Photo at 沖永良部島
沖永良部島はフェリーの時間帯の関係から、島を巡る時間は半日の日程になってしまった。少し急ぎ足になってしまったきらいがあったが、予定していたところはおおよそ訪れることはできた。
2月28日(金)徳之島から沖永良部島の和泊港に着岸したときには正午を回っていた。
島に上陸後、直ちにレンタバイク店に直行し、ホテルのチェックインは後に回して直ぐに島巡りとなった。
レンタバイクは半日だったからだろうか?レンタル料がわずか1,000円という格安で、走行距離が80キロに満たない新品同様のバイクを借りることができたのはラッキーだった。
バイクにまたがり、島の北部にある国頭小学校を目ざした。国頭小学校の校庭には「日本一のガジュマル」があるということで、そのガジュマルとの対面が楽しみだった。
や がて国頭小学校に到着すると、その樹は堂々として校庭の一角を占めていた。まるであのCMの「この木 何の木 気になる木 ♪…」と同じような姿でそこに立っていた。
根回り8m、枝張りの直径22mというスケール感が素晴らしかった。
そのガジュマルからさらに北に向かった海岸に「フーチャ」と呼ばれる一見奇岩にも見える海岸線に出た。フーチャとは、隆起サンゴ礁の洞窟を指すということだ。
私はその一帯のゴツゴツした風景に驚いたが、見どころはその隆起サンゴ礁が浸食されてできた洞窟に東シナ海の荒波がぶつかり時には10m以上もの潮を噴き上げるところらしい。私が訪れたときは海が荒れていなかったため、残念ながらそうした光景は目にすることができなかった。
それよりは、この時点では空が晴れていたため、素晴らしい海の青さが印象的だった。
フーチャを後に、県道620号線という道を淡々と島の南西に向かって走る。行き交う車はほとんどいない。翌日、私が出港することになる「伊延港」を横目に、「西郷隆盛上陸の地」の碑と海岸を見た後、「ワンジョビーチ」というところに寄った。
奄美の島々で見る海岸はどれをとっても素晴らしく、このワンジョビーチもその一つだった。
県道620号線はここから内陸に入り、私は「和泊町歴史民俗資料館」に立ち寄った。ここで沖永良部島がユリの花の栽培で歴史のあることを知った。
しかし、それより衝撃的だったのは、特別展で展示されていた本土復帰に関する展示だった。奄美群島の本土復帰に関して、奄美大島・徳之島と沖永良部島・与論島が一時分離されて、沖永良部島・与論島の復帰が置き去りにされそうな動きがあったそうだ。そのことに対して、沖永良部島々民が一大住民運動を展開してそのことを回避したことを、資料館のスタッフが私に非常に熱心に説明してくれたことが印象的だった。
その資料館で、島の内陸部にある「昇竜洞」へ行く道を訊いたのだが、二人のスタッフはあまり自信がなさそうだった。そこへ幸いなことに詳しい人が資料館を訪ねてきて、親切に教えてくれた。それほど複雑な道を辿って「昇竜洞」に辿りつくことができた。
その昇竜洞は、入場料(1,000円)もしっかり徴収されたが、想像以上に規模も大きく素晴らしいものだった。
昇竜洞からの帰り道も不安だったのだが、付近の住民に尋ねながら、なんとか島を周回する県道620号線に出ることができた。
のある和泊地区への帰途、「ジッキョヌホー」というところに立ち寄った。方言が謎めいていて「何のことだろう?」という期待感があったのだが…。後から調べると「ジッキョヌホー」とは「瀬利覚の川」という意味で、水道が普及する以前に地域住民の水源として重宝されていたということだ。周辺は小公園風に整備されていたが、他所からの者にとってはそれほど意味のあるものとは映らなかった。
「昇竜洞」を見るために内陸に入ったこともあり、島内を一周したとは言い難い沖永良部島巡りだったが、おおよそのところは押さえたかな、という思いである。
翌3月1日の朝「西郷南洲記念館」を訪れ、説明員から90分間にも及ぶレクチャーを受けたことは先に記したが、そこを訪れる前に「南洲神社」を訪れた。その境内には東京・上野の西郷像を小さくしたような犬を従えた西郷像があった。
私はこの後、着岸した和泊港からフェリーが出ると確信していたのが、急に島の対岸の伊延港から出港すると知り、慌ててタクシーで伊延港に向かったのだった…。