合唱などというのは私の興味関心の対象外である。なのに入場料1,000円も出して北陽中学校の定期演奏会を聴きに行った。なぜ私を突き動かしたかというと、そこに一つのストーリーがあったからだった…。

※ 演奏会当日のプログラムです。
札幌市内では、毎日市内各所で数多くのイベントが開催されている。どのイベントをチョイスするか、それは自分の興味関心に依るところが大きい。
しかし、中には今回のように興味関心の対象外でもあるにも関わらず、私を突き動かす場合もある。それには次のようなストーリーがあり、そのストーリーに後押しされたのだ。
18日(金)の道新夕刊の「まど」欄に「最後の演奏会」と題する次のような記事が載った。少し長いが引用する。
札幌市立北陽中合唱部の定期演奏会が20日、開かれる。場所は、札幌コンサートホールキタラの大ホール。世界でも有名な合唱団やオーケストラが公演に使う道内最高の舞台だ。
今回の定期演奏会は特別な意味を持つ。
北陽中合唱部顧問の教諭、阿部和佳代さん(60)にとって定年退職前の最後の演奏会。阿部さんが合唱部を指導してきた北陽中、手稲東中、北野台中(いずれも札幌市)の教え子たちが実行委員会をつくり、「先生の退職記念にキタラの大ホールで」と、1年以上前から準備を進めてきた。
実行委員の一人、札幌市内の会社員大貫寿恵さん(38)は、1990年に北野台中合唱部が全国大会に出場した時の部員。卒業後も阿部さんが勤務する学校の合唱部に出向き、練習を手伝うなど交流を続けた。「就職の相談にものってもらったんですよ。生徒のことで知らないことはない先生です」と慕う。
演奏会には、教え子を中心に400人以上が集まる予定。大貫さんは「教え子の母のような存在。感謝とお疲れさまを伝えたい」と話す。

※ ウェブ上から拝借した阿部和佳代先生の顔写真です
。
私はこの記事を目にした時、脳裏にさまざまな光景が浮かんだ。
まず何といっても、阿部先生がそれぞれの赴任校において合唱部を指導して全国大会へ導くという音楽的指導力の素晴らしさである。特別な学校ではない。ごく普通の市立の中学校である。難しい年代の中学生をまとめ上げ、全国へ導くことは至難の業である。そうした中学生をまとめ上げるために、阿部先生は音楽の指導以外でも子どもの指導に非常に情熱を傾けられた、と大貫さんのコメントは語っている。
私の描いたストーリーの中の先生は、実際にはどんな先生なのだろう?子どもたちはどんな生徒なのだろう? 私は俄然興味がわき、昨日20日(日)午後、会場のキタラに向かった。
キタラは多くの聴衆で溢れ返っていた。大ホールのキャパは2,008名と聞くが、後方やサイドの席が空いていたが、それでも1,200~300人は入っていたのではないか?一中学校の合唱部の定期演奏会としては異例の集客数だろう。今回は通常の定演とは違い「~阿部和佳代先生のご退職を記念して~」という特別な定演であったということではあるが…。

※ 写真はNGなので開演前に一枚だけ。後ろとサイドは客を入れませんでしたがステージ前面は満席状態でした。
指揮者・阿部和佳代先生が登場した。遠くからは表情まではうかがえないものの、小柄で細見、ショートカットの髪型が若々しく、指揮ぶりもまたとても60歳とは思えぬエネルギッシュな指揮だった。
演奏会は、現役の合唱部はもちろんのこと、同部のOB、OGをはじめ北野台中、手稲東中のOB、OG、さらには北野台中、手稲東中の現役合唱部も加わっていたのではないか。
それらの人たちが、時には現役単独で、時にはOB、OGだけで、そして全体で、とさまざまに工夫を凝らしたステージが繰り広げられた。
全員がステージに登場したときは250名を超えていたと思われる。
披露された合唱曲は、阿部先生が独白していたように若干マニアックな選曲で、合唱関係者にとってはたまらない曲の選曲だったかもしれないが、合唱の素人には難しい曲が多かった。
それでも全員合唱による混成合唱はなかなか聴くことができない迫力に満ちたものだった。

※ これもウェブ上から拝借したもので、どこかへ指導に行った時のものようです。右側が阿部先生です。
ステージでは、曲の合間などに阿部先生を語るビデオレターが時おり流されたが、それが阿部先生の横顔を雄弁に語っていた。
それによると、阿部先生は難しい世代を指導する中学校教諭として生徒指導においても手腕を発揮したらしい。人柄は外見とは違い、飾り気なく、毒舌をはきながらも生徒に親身になって関わるような先生だったらしい。
それは曲の合間に、予定外のMCを会場に向かって発する彼女の声にも表れていた。今回の主役であるはずの彼女だが、まったく気取ったところのない、茶目っ気たっぷり語りで聴衆を笑いに誘っていた姿に、それが垣間見れた。
最期のセレモニーまで、涙など見せることなく、むしろカラっとした彼女の人柄が多くの生徒を引きつけたに違いない。
彼女がステージでいみじくも言っていた。「好きなことをやっている時には疲れなんか感じないんですよ」と…。彼女は好きな音楽を仕事として、生徒たちと上質の音楽を創り上げることに没頭した教師人生は、山あり、谷ありの時もあったと想像されるが、振り返ればきっと幸せな教師人生だったに違いない。
これも教師としての一つの生き方かなのもしれない…、と思う。

※ 演奏会当日のプログラムです。
札幌市内では、毎日市内各所で数多くのイベントが開催されている。どのイベントをチョイスするか、それは自分の興味関心に依るところが大きい。
しかし、中には今回のように興味関心の対象外でもあるにも関わらず、私を突き動かす場合もある。それには次のようなストーリーがあり、そのストーリーに後押しされたのだ。
18日(金)の道新夕刊の「まど」欄に「最後の演奏会」と題する次のような記事が載った。少し長いが引用する。
札幌市立北陽中合唱部の定期演奏会が20日、開かれる。場所は、札幌コンサートホールキタラの大ホール。世界でも有名な合唱団やオーケストラが公演に使う道内最高の舞台だ。
今回の定期演奏会は特別な意味を持つ。
北陽中合唱部顧問の教諭、阿部和佳代さん(60)にとって定年退職前の最後の演奏会。阿部さんが合唱部を指導してきた北陽中、手稲東中、北野台中(いずれも札幌市)の教え子たちが実行委員会をつくり、「先生の退職記念にキタラの大ホールで」と、1年以上前から準備を進めてきた。
実行委員の一人、札幌市内の会社員大貫寿恵さん(38)は、1990年に北野台中合唱部が全国大会に出場した時の部員。卒業後も阿部さんが勤務する学校の合唱部に出向き、練習を手伝うなど交流を続けた。「就職の相談にものってもらったんですよ。生徒のことで知らないことはない先生です」と慕う。
演奏会には、教え子を中心に400人以上が集まる予定。大貫さんは「教え子の母のような存在。感謝とお疲れさまを伝えたい」と話す。

※ ウェブ上から拝借した阿部和佳代先生の顔写真です
。
私はこの記事を目にした時、脳裏にさまざまな光景が浮かんだ。
まず何といっても、阿部先生がそれぞれの赴任校において合唱部を指導して全国大会へ導くという音楽的指導力の素晴らしさである。特別な学校ではない。ごく普通の市立の中学校である。難しい年代の中学生をまとめ上げ、全国へ導くことは至難の業である。そうした中学生をまとめ上げるために、阿部先生は音楽の指導以外でも子どもの指導に非常に情熱を傾けられた、と大貫さんのコメントは語っている。
私の描いたストーリーの中の先生は、実際にはどんな先生なのだろう?子どもたちはどんな生徒なのだろう? 私は俄然興味がわき、昨日20日(日)午後、会場のキタラに向かった。
キタラは多くの聴衆で溢れ返っていた。大ホールのキャパは2,008名と聞くが、後方やサイドの席が空いていたが、それでも1,200~300人は入っていたのではないか?一中学校の合唱部の定期演奏会としては異例の集客数だろう。今回は通常の定演とは違い「~阿部和佳代先生のご退職を記念して~」という特別な定演であったということではあるが…。

※ 写真はNGなので開演前に一枚だけ。後ろとサイドは客を入れませんでしたがステージ前面は満席状態でした。
指揮者・阿部和佳代先生が登場した。遠くからは表情まではうかがえないものの、小柄で細見、ショートカットの髪型が若々しく、指揮ぶりもまたとても60歳とは思えぬエネルギッシュな指揮だった。
演奏会は、現役の合唱部はもちろんのこと、同部のOB、OGをはじめ北野台中、手稲東中のOB、OG、さらには北野台中、手稲東中の現役合唱部も加わっていたのではないか。
それらの人たちが、時には現役単独で、時にはOB、OGだけで、そして全体で、とさまざまに工夫を凝らしたステージが繰り広げられた。
全員がステージに登場したときは250名を超えていたと思われる。
披露された合唱曲は、阿部先生が独白していたように若干マニアックな選曲で、合唱関係者にとってはたまらない曲の選曲だったかもしれないが、合唱の素人には難しい曲が多かった。
それでも全員合唱による混成合唱はなかなか聴くことができない迫力に満ちたものだった。

※ これもウェブ上から拝借したもので、どこかへ指導に行った時のものようです。右側が阿部先生です。
ステージでは、曲の合間などに阿部先生を語るビデオレターが時おり流されたが、それが阿部先生の横顔を雄弁に語っていた。
それによると、阿部先生は難しい世代を指導する中学校教諭として生徒指導においても手腕を発揮したらしい。人柄は外見とは違い、飾り気なく、毒舌をはきながらも生徒に親身になって関わるような先生だったらしい。
それは曲の合間に、予定外のMCを会場に向かって発する彼女の声にも表れていた。今回の主役であるはずの彼女だが、まったく気取ったところのない、茶目っ気たっぷり語りで聴衆を笑いに誘っていた姿に、それが垣間見れた。
最期のセレモニーまで、涙など見せることなく、むしろカラっとした彼女の人柄が多くの生徒を引きつけたに違いない。
彼女がステージでいみじくも言っていた。「好きなことをやっている時には疲れなんか感じないんですよ」と…。彼女は好きな音楽を仕事として、生徒たちと上質の音楽を創り上げることに没頭した教師人生は、山あり、谷ありの時もあったと想像されるが、振り返ればきっと幸せな教師人生だったに違いない。
これも教師としての一つの生き方かなのもしれない…、と思う。