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北大全学企画公開講座№6 ドーピングを法的に考える

2019-07-19 21:25:48 | 大学公開講座

 講師の小名木教授は、講義の最後に「なぜ、スポーツにおけるドーピングだけが規制の対象となるのか?」と疑問を呈せられたのが印象的だった。スポーツ界におけるドーピングの実状についてお話を伺った。 

 北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の第6回目は7月15日(月・祝)午後、第5回目の「様々な温度環境に対する人体の生理応答」に続いて開講された。(会場はこの日だけ、フロンティア応用化学研究棟の2階レクチャーホールだった)

 第6回目は「スポーツをめぐる法と理論-ドーピング問題」と題して、北大法学研究科の小名木明宏教授が講師を務めた。

            

 ドーピングが社会問題として大きく顕在化したのは、ソウルオリンピック(1988年)の100mにおいてベンジョンソンがドーピングによって金メダルをはく奪されたことで世間を大いに騒がせたが、私もこの事件については強く記憶に残っている。

 日本におけるドーピングの規制の歴史は、2001年に「日本アンチ・ドーピング機構(JADA)」が設立されたのが始まりである。さらに2009年「スポーツ基本法」が全面的に改正された中で、「ドーピング防止活動の推進」が付加された。その中には違反者に対して個人、チーム、関係団体に対する制裁が明記された。

 こうしたドーピング禁止の理由として日本アンチ・ドーピング機構は次のようにその理由を明記している。「全世界で共有されているスポーツ全体のルールです。①フェアプレーの精神に反する。②アスリートの健康を害する。③反社会的行為である。といった、スポーツの価値の根幹を損なう、スポーツに正々堂々と向かうことのできない「ずる」くて「危険」な行為でもあります。」

 スポーツに人一倍興味関心のある私からみて、こうした理由は妥当だと思うのだが、法律を研究する小名木教授からすると「法益の面から考えると、はたして妥当なのだろうか」と疑問を呈する。「法益」とは、法によって保護される利益と解される。つまり現行法ではドーピングによって罰することには疑問が生ずるというのである。          

 スポーツの世界では「ドーピング」ということで選手たちは非難され、選手生命を絶たれる危険もあるが、一般社会においては筆記試験に際して向精神薬(リタリン)を服用して試験に臨んでも何の咎めもない。あるいは、眠気覚ましに良く服用される栄養ドリンクも特別問題なることはない。

 一方、現役の選手たちは体調不良で服用する薬にも禁止薬物が含まれる可能性があるため、風邪薬さえも容易に服用できない現状だという。こうしたことから、小名木教授はリード文でも触れたような疑問を呈せられたようだ。

 ドーピングの世界も日進月歩だという。例えば、頭脳ドーピング、物理ドーピングなど、あの手この手で規制をかいくぐるように新たな手法が出てきているようだ。小名木氏はそうした現状に対して法の研究者として、関係法の整備の必要性を強調された。う~ん。法を整備するということはなかなか難しいことのようだ。

 ※ 法律の話だけに、なかなか難しかった。レポの内容は必ずしも小名木氏のお話を正確にレポできていないきらいがあることをお断りしておきます。