北大全学企画公開講座の最後は、東京2020の開催を1年後に控えて、オリンピックが他のスポーツイベントとは一線を画し大きな関心を集める要因とされる、二つの問題について解説し、考える講座だった。
北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の最終回(第8回目)は7月22日(月)夜に開講された。
最終回は「理想主義との対話~未だ達成されぬオリンピック・デモクラシーの歴史」と題して、北大教育学研究院の池田恵子教授が講師を務めた。
オリンピックが他のスポーツイベント(例えばサッカー・ワールド・カップなど)と決定的に違うのは、近代オリンピックの創始者であるクーベルタンが「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍などさまざまな差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」という趣旨のオリンピック憲章を提唱し、そのことを実現するための大会と位置付けたことである。そのことをオリンピズムと称しているという。
それではそのオリンピズムが実際のオリンピックにおいて生かされてきたかどうかについて池田教授は振り返った。しかし、残念ながらオリンピックはオリンピズムに反するような事態を次々と産んでしまった。人々の記憶に残ることとしては、1936年のベルリン・オリンピックがナチスの宣伝の舞台となってしまったこと。1972年のミュンヘン・オリンピックにおいてはパレスチナゲリラによってイスラエル選手団9名が犠牲になったこと。1980年のモスクワ・オリンピック、1984年のロスアンゼルス・オリンピックにおける東西両陣営のボイコット合戦、等々…。池田氏は触れなかったが、ドーピングの問題もオリンピズムを著しく傷つける行為だろう。
このように現実のオリンピックはクーベルタンが描いたような理想に必ずしも近づいているとは言い難いが、これからもその理想に向かって歩み続けることが大切なのだろうと思う。そこにこそオリンピックの存在意義があると思われるからだ。
※ アテネ・オリンピックの野球・ソフトボール会場はご覧のように雑草が生い茂っているそうだ。
一方で、最近のオリンピックにおいて急浮上しているのがオリンピックレガシーの問題である。例えば2004年のアテネ・オリンピックに使用された施設の80パーセントが現在では未使用となっているという。また、2006年冬のトリノ・オリンピックの選手村の施設は不在滞在者によって占拠されているという。オリンピックを開催したばかりのリオデジャネイロ・オリンピックの会場もいまや閑古鳥が鳴いているというニュースが伝わってきた。オリンピックを開催するために理想的な施設を建設しても、その後は豪華な施設が開催都市にとっては維持・管理が重荷になっている事実がある。そのことがオリンピック・ムーブメントにおける影の部分としてクローズアップしてきたことから、IOCとしても座視できなくなってきて、ある指針を示した。それによると、オリンピックレガシーとは、①スポーツレガシー、②文化的レガシー、③環境レガシー、④社会的レガシー、⑤経済的レガシー、といった側面から準備し、検証する必要があるとした。
「レガシー」を日本語に置き換えると「遺産」と訳されるが、「遺産」という言葉からは「在るものを守る」という消極的イメージがある。しかし、「レガシー」の本来的な意味はオリンピックを契機として国や都市が発展することだとするプラスのイメージを産み出すことらしい。ということから日本においても「レガシー」とそのまま表現することになったと池田氏は解説した。
いろいろな問題や課題を抱えながら、東京2020は一年後に迫った。そこにおいて「オリンピズム」はどれだけ具現化されるのか?「オリンピックレガシー」が国や東京にどのようなプラスを産み出すのか、見守っていきたいと思う。
※ 私の表現の中で「国」という言葉を使用したが、本来オリンピックは「都市」が開催するものであることは承知している。しかし、現実においては「国」が相当部分関与している実態から「国」と「都市」を並列して表記することにした。