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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道低山紀行 32 定山渓天狗岳(天狗山) 前編

2013-06-18 22:04:50 | 北海道低山紀行 & Other
【札幌近郊低山紀行】とは、「低山」の定義を標高1,000m前後の山としてその山々を巡ろうというものである。数えたところ札幌近郊には30峰以上の登山に適した低山があるようである。そこを体力づくりも兼ねながらぼちぼちと挑戦することにした。

 
 私がこれまで体験した札幌近郊の低山の中では最も困難な山だったのではないかと振り返る定山渓天狗岳である。体力的にも、技術的にも非常に困難を極め、心が折れそうになったのだが…。 

 市民登山教室の中で、道央勤労者山岳連盟所属の各山岳会がクリーンハイクと称する登山会の催しを紹介された。私は「山遊会 ル・レラ」が主催する定山渓天狗岳(以下定天と称する)の登山に参加することにした。
 なぜ定天を選んだかというと、これまで未体験の山だったので体験を一つ増やしたいというくらいで深くは考えていなかった。

          
          ※ 登山者名簿に入山記録を記し、いざ出発です。

 6月16日(日)空は快晴、午前8時に道路情報館で待ち合わせ、山遊会の方の車に乗り換えて、定山渓から道々95号線を豊羽元山に向かい、白井二股というところの駐車場に着いた。そこは登山口ではないのだが、登山口までそこから30分ほど林道を歩くことになる。
 パーティは山遊会のメンバーが男女4人(いずれも50代)、私以外の一般参加の男女4人は20~30代、そして私が60代という9人のパーティだが、私が一番年長という組み合わせだった。その中で山遊会の中の2人が長靴を履いていたのがちょっと奇異に映った。

          
          ※ 初めは写真のような林道を行きます。写真は同行した若者のグループです。

 8時45分、白井二股から林道トレッキングで定天の登山は始まった。林道の横を流れる白井川が融雪期で水嵩が増しているからだろうか、ゴーゴーと音を立てながら大量の水が流れている。快晴の山の朝は冷気に包まれ心地良い。
 途中ですでに下山してくる登山者に出会った。するとズボンのすその部分がドロドロに汚れているのが目立った。

          
          ※ 林道から「あれが定山渓天狗岳の頂上です」とリーダーが教えてくれました。

          
          ※ ここが定天の登山口です。ここから本格的な登山の開始です。

 9時20分、登山口に到着し一休みした後、いよいよ本格的に熊の沢コースの登山道に入り登山開始である。
 最初は少しの間林間コースだったが、やがて熊の沢の渓流に沿った登山道となる。その渓流を右に左にと渡りながら歩くのだが、私の前を行くサブリーダーは長靴が威力を発揮し、ジャブジャブ水の中を行くのだ。しかし、登山靴の私たちは飛び石を見つけながら付いて行かねばならない。この時期の長靴の威力を見せつけられた思いだった。
 初めはこの変化に富んだコースを楽しんでいたが、徐々に、徐々に私の中に疲れが貯まりはじめ体力を消耗していったようだ。流れを渡るときの足元がだんだんと怪しくなり、時には流れの中に嵌まってしまう場合も出てきた。

          
          ※ まずは写真のような林間トレッキングから始まりました。

          
          ※ やがてこのような渓流を渡りながらの登山が始まりました。

          
          ※ この写真も渓流を渡ってさらに高みへと向かうメンバーです。

 やがて大きな岸壁が現れた。岸壁にはロープが下がっており、それを使わねばとても登れそうにない岸壁である。
 リーダーは私の疲れ具合を見て、あるいは滑落する危険を察知したのかもしれない。私の体をザイルで縛り、上部から確保する手段を取ってくれた。リーダーの適切な措置もあり無事に第一の岸壁を通過できた。しかし、岸壁に下がっていたロープは泥にまみれていたため、私の手袋やウェアはいたるところ泥だらけになってしまった。

          
     ※ いよいよ現れました大岸壁です。写真じゃ大したことなさそうに見えますが…、とんでもありません!(初級者には)

          
          ※ このようにロープを頼ってなんとか…。岸壁が濡れているのがお分かりと思います。

 この後、第二、第三の壁が私を待っていた。雪が消えたばかりの季節とあって、沢の水も多く、コースは全体がぬかるんでおり、ベテランの山遊会の人たちも「定天をあなどっていたな」と言わしめるほど難しい条件だったのかもしれない。
 コースはまだ中盤、私の悪戦苦闘はまだまだ続く。(続きは明日の後編へ)

北のシネマ塾 99 雪に願うこと

2013-06-17 23:26:08 | 映画観賞・感想

 凍てつく寒さの中、馬たちの白い息や、身体から沸き立つ湯気などが朝焼けの逆光の中に浮かび上がる幻想的で美しいシーンを見ることができただけでもこの映画を観た価値があると思った。 

               

 6月15日(土)午後、北の映像ミュージアムが主催する「北のシネマ塾」の6月例会が開催された。今回取り上げられた作品は根岸吉太郎監督作品で輓馬を題材として取り上げた「雪に願うこと」だった。

 帯広で開催されているばんえい競馬の厩舎がその舞台であり、人生に挫折した主人公(伊勢谷友介)が廃馬寸前だったウンリュウの姿に自分が重なり、その調教を始めた。再起しようと励むウンリュウの姿に刺激を受け主人公は再び人生を歩もうと決心する、という映画である。

 私がこの映画を観るのは2度目なのだが、1度目を観終えてピンとこなかったことを憶えている。
 それはまず題名の「雪に願うこと」という意味がよく分からなかったことだ。確かに映画の中では、病気の馬の回復を願った場面、主人公がウンリュウの勝利を願った場面で、雪だるまを屋根の載せるところを象徴的に描いてはいるが…、映画全体の中で何を願っていたのだろうか、と…。ばんえい競馬の繁栄なのか? 主人公・学の再起なのか? それとも…。

         

 二つ目に、なぜこのストーリーにばんえい競馬が舞台として最適と考えたのだろうか?
 ばんえい競馬の描写、厩舎の生活を描く際のディテールのこだわりなどは素晴らしいのだが、その舞台で描かれる廃馬寸前の馬と主人公の交流にリアル感をあまり感ずることができなかったのだ。私などはむしろよりドキュメンタリータッチでばんえい競馬を描くことで、北海道の一地方でしか実施されていないマイナーなばんえい競馬を多くの人に興味を抱いてもらえるキッカケになったのではないかと思ったりするのだが…。

 今回、再び観賞してみてそのあたりのこだわりが解消したわけではなかったが、主演の伊勢谷友介はそれなりに好演していたし、それ以上に佐藤浩一をはじめとする小泉今日子、香川照之、山崎努などの存在感のある演技がこの映画を引き締めていることの気づいた。

         

 シネマ塾では、映画鑑賞の後、北の映像ミュージアムの理事の和田由美さんが解説してくれた。それによると、鳴海章さんの小説「輓馬」を故・相米慎二監督が映画化を企図したがそれが果たせず、その遺志を継いで相米監督の親友・根岸吉太郎監督が映画化したということだ。また、この映画には彼女自身もエキストラで参加したと語った。

 私の抱いた感想とは反対に、映画は業界からは好評だったようで、2005年の東京映画祭ではグランプリをはじめ4冠に輝いた作品だというから、私の映画を観る目もまだまだ節穴だということなのかもしれない。


そらちフットパスウォーク 6 長沼町 後編

2013-06-16 22:51:35 | フットパスウォーク & トレッキング
馬追自然の森ルート

 「馬追山」、「長官山」とルート内に小さいながらも二つの山頂を通過するコースはけっして容易いコースではなかった。しかし、あまり人の手が入っていない「馬追自然の森」のコースは心地良く歩くことができた。

 馬追山の山頂「瀞台」で休憩した後、私は登ってきたときとは反対の「馬追温泉」口を目ざして下りはじめた。一部に下草刈りが終わっていないところもあったが、おおむね気持ち良く下りることができた。

          
          ※ ちょっと鄙びた感のある「馬追温泉」の温泉宿です。

 やがてコースは道々3号線と交差する登山口に至る。そして道々3号線を100mほど歩いて「馬追温泉」の老舗温泉宿のところに至る。ここが「長官山」の登山口である。
 「馬追温泉」は鄙びた印象を受ける温泉宿であるが、「ながぬま温泉」と競合することになる。上手く棲み分けができているのだろうか?(余計なお世話か?)

 長官山も馬追山同様、高さ254mと小さな山である。それでも登山気分はちゃんと味わえた。林間トレッキングから始まり、徐々に高度を増していくにつれて傾斜がきつくなるというように…。山頂近くになると、小さいながらも二つ目の山とあって息切れもしだした。

          
          ※ 長官山に向かうトレッキングコースです。両脇の雑草を刈り取った跡が分かります。          

 そうしているうちに山頂に到達した。山頂でちょっとガッカリ。極彩色に塗られた展望台がお目見えしたのだ。展望台から見る長沼平野の眺望は良かったのだが…。同じ設置するなら周囲の風景に溶け込むような色遣いはできなかったものだろうか?

          
          ※ この色遣いをどう思いますか?好みは人それぞれですが…。

 ところで「長官山」という名前が面白いが、前述したように長官山は小さいながらも山頂に立つと眺望が素晴らしいが、1891年に渡辺千秋北海道庁長官(3代目)が、北海道内の視察を目的とした道内行脚を行うに際して、この山へ登頂し、当時はまだただの広い原野であった石狩平野の開拓構想を練ったことにちなんで名付けられたと山頂に説明板があった。

          
          ※ 長官も同じ景色を見たのだろうか?現代とは少し違いますか?

 マップでは山頂近くに「辻村もと子文学碑」が立っているという。山頂付近には何の案内もない。ただ、山頂付近から登ってきたルートと別に二か所の階段があった。「こちら!」と見当をつけ300mほど下ったがそれらしきものを発見することができなかった。もう一方も、と思ったが確証が得られないために断念した。是非ともしっかりした案内を設置してほしいものである。

 今回のルートでは、この他にも「馬追自然の森」のコミュニティセンターに下りるルート、「馬追自然の森」を出てゴール地点のながぬま温泉に至るルートも説明が不十分であったように思う。私のように町の地形に不案内な者も利用することを想定して、親切な案内をお願いしたいものである。

          
          ※ スタート&ゴール地点の「ながぬま温泉」近くにあった地域の鎮守「八幡神社」です。

 全長14.5kmと歩き応えのあるフットパスルートである。しかもコースの大半は「馬追自然の森」の遊歩道である。気持ち良く歩くことができた4時間だった。

《フットパスウォーク実施日 ‘13/06/12 距離14.5km》

※ 前編でお断りしたように私のうっかりミスで写真の少ないレポートとなってしまいました。

そらちフットパスウォーク 6 長沼町 前編

2013-06-15 19:40:30 | フットパスウォーク & トレッキング
空知支庁10市14町では空知総合振興局の勧め(?)で各市町それぞれ1コースずつのフットパスコースを設定し、それをまとめたルートガイドを発刊した。いずれもが各市町の見どころを満載したルートとなっている。私はこの24のコースを時間をかけて、ゆっくりと完歩したいと思い立った。

      

馬追自然の森ル ート

 長沼町の馬追丘陵の中に造られた「馬追自然の森」はほど良い整備が施された心地良い遊歩道が伸びていた。ところが私はスタートして間もなく、自分の大失態に気付かされるのだった…。 

 自宅から車で約1時間かけて長沼町コースのスタート&ゴール地点である「なかぬま温泉」に降り立った。「なんでわざわざ車で出かけてウォーキングなんて?」といぶかる向きもあるかもしれないが、趣味の世界などというものは同好の士以外から見ると理解しがたい行為なのかもしれない。

          
          ※ ながぬまコミュニティ公園からながぬま温泉の建物を撮ったところです。

 スタート&ゴール地点の「ながぬま温泉」の駐車場に立った私は早速ウォークを開始した。ながぬま温泉に続いて広がっている「ながぬまコミュニティ公園」、「マオイオートランド」がある。公園では町民がパークゴルフを楽しんでいたが、オートキャンプ場であるオートランドの方はさすがに人の気配がなかった。

               
          ※ まだ季節ではないということでしょう。マオイオートランドには人の気配がありませんでした。

 そしてコースは馬追丘陵に向かう農道をしばらく歩くことになる。するとその突き当りのところに「馬追の名水」と呼ばれるカルシウムやマグネシウムを含んだ湧水が出ているところがある。何人かの町民の方がその水を汲んでいたたこともあり、私はそこをパスしてしまった。

           
          ※ 「馬追の名水」では地元の人が水を汲んで家に運ぼうとしていました。         

 「馬追の名水」のところに「馬追自然の森」遊歩道の入口があり、その先は鬱蒼とした森林の中を進むことになる。入口には「熊注意!」などという物騒な看板も立てられていた。
 ここから延々と「馬追自然の森」の中を歩くことになるのだが、私はこの自然の森の様子を「ほど良い整備が施されている」と表現した。その意味するところは、遊歩道の人の歩くところは下草が刈り取られ、路上は枯れ葉が積み重なった足に優しいコースとなっていた。そうでありながら、人工的な造営物は最低限に抑えていることを窺わせてくれたことがこうした表現に繋がったのである。(後編で出てくる長官山の展望台はいただけないが…)

          
          ※ 「馬追自然の森」F地点の入口の表示です。

          
          ※ 自然の森内は写真のような遊歩道が延々と続いていました。

 ところで私は「馬追自然の森」を馬追山の山頂を目ざしているとき、大失態をしていることに気付かされた。私はいつものようにポイント、ポイントで写真を撮りながら歩を進めていた。すると突然カメラから「内臓メモリーの空き容量がありません」というメッセージが表示された。ここで私は初めてカメラのメモリーを装着していないことに気付かされたのだ。内蔵メモリーではせいぜい15枚程度しか記録することができない。私はこの長沼町のフットパスの写真記録を厳選して撮らねばならないことになってしまった。情けないことがしかたがない。

           
          ※ 遊歩道の中には人がようやく潜れるくらいのトンネル道もありました。        

 さて、気分を変えて話題をフットバスに移すと、「馬追自然の森」を歩く中で、最初の目的ポイントは入口から2,800mほど上がった馬追山の山頂である。標高わずか272.8mの山であるが、標高的にはスタート地点から約250mほど登っている。ちょっとした登山気分を味わうくらい私の息はけっこうあがっていた。          

 途中でトレッキングを楽しむ婦人と出会った。彼女は熊対策のためかラジオを鳴らしながらトレッキングをしていた。私もたまたまラジオを持参していたので、彼女に真似てそこからはラジオを聞きながらのトレッキングとなった。ラジオを聞くと、木々を渡る風の音を聞くことができなくなるのだが、熊の怖さには勝てない。

          
          ※ 写真のように金網のフェンス越しに長沼町の田園地帯を眺める頂上の瀞台です。

 この馬追山の山頂は通称「瀞台(しずかだい)」と呼ばれている。その理由は、明治19年北海道庁技師 内田瀞氏がこの山に登り、植民地地区選定を行った業績を讃えて「瀞」の一字を入れたことによるそうだ。
 瀞台には小さな標識があり、その向こうに長沼の田園地帯の眺望が広がっていた。ただ、辺り一帯は自衛隊が管轄する土地が迫っており、金網が張り巡らされているため金網越しの展望となっていたのが艶消しだった。

 ここで小休止をしたあと、私は「馬追山」を下り、続いて「長官山」に向かったのだった。(以後は後編にてレポートすることにする)

在スリランカ大使に聞く 国際協力のすすめ

2013-06-14 22:02:21 | 講演・講義・フォーラム等
 在スリランカ大使の粗(ほぼ)信二氏は云う。日本が世界で生き残っていくには、①イノベーション、②差別化、③グローバル化がキーワードだと…。 

          
          ※ 講演会が開催された会場の北大百年記念会館です。

 6月10日(月)午後、北大百年記念会館において在スリランカ大使講演会が開催され参加し、耳を傾けた。演題は「激動する世界と日本 ~ 国際協力のすすめ~ 」と題して北大の卒業生であり、現在のスリランカ大使である粗信二氏が講師を務められた。

 スリランカは私にとって全く無縁の国ではない。その昔、学生時代に海外を彷徨して歩き、インドのボンベイ(現在のムンバイ)から日本へ向けた船旅で一泊だけだったが当時セイロンと呼ばれていたスリランカに立ち寄ったことがあるのだ。当時のセイロンついては微かな印象しか残っていないが、インドに比べて穏やかな国という印象だったように記憶している。

 粗氏の話であるが、短い時間の中で多くのことを伝えたいという思いがあったようで、私の記録もなかなか付いていくことができなかったが、印象的なことを記しておくことにする。
 まず粗氏は世界経済のグローバル化が本格化したのはソ連崩壊後の1991年だと規定した。このことは多くの識者の一致するところである。このグローバル化の進展によって現在生起されているさまざまな世界的な問題が顕在化し、その中に当然日本も巻き込まれ現在のような状況が生まれているという。
 
 そのような中で、21世紀は「アジアの世紀」とも称され、経済成長の重心がアジア地域にシフトしてきているとした。この認識も多くの識者が指摘するところであるが、粗氏はさらにアジアの中でも特にインドを含めたインド東側が注目の地域であるとした。
 それらの地域は人口増加地域であり、インド洋を中心としたサプライチェーンも形成されつつあるとその兆候を語った。

          
          ※ 講演をする粗(ほぼ)信二在スリランカ大使です。

 また粗氏はJACAに在籍していた経験もあり、こうした可能性のある国々に対するODAが大変効力を発揮することについても語った。特に一時危機に陥ったインドネシア、バングラディシュなどがODAによって国を立て直した例をあげた。
 
 そして発展途上国と言われる国々の経済が発展するためには次の三つが欠かせないとした。それは、①公正な選挙、②地方分権、③格差是正、が実現して政治的社会的安定が確保されることが重要であると指摘した。

 このような背景の中、最初に紹介した日本が世界で生き残っていくため三要件を示したのだが、ここで最近とみにその存在感を増してきている中国と日本の国際援助の違いについて述べた。
 日本には中国と比較して圧倒的な技術力があると云う。さらに日本の国際援助は指導者だけを日本から派遣し、現地で人を育てようとしているのに対して、中国の国際援助は全てを自国民で賄おうとする国際援助である。つまり、日本の国際援助は人と人の繋がりを大切にしていて、必ずや相手国から信頼を得て、そのことが将来に繋がるであろうと強調された。

 こうした中、氏が赴任しているスリランカは発展するインド洋地域に属し、政治的にも安定し、ポテンシャルの高い国であると…。そのスリランカと日本の関係強化に努めたいと話を結んだ。

 常に世界的視野に立ちながら仕事してきた粗氏の話は論理性に富み、歯切れが良く聞いていても心地良かった。もちろんこうした見立てにはその立場、考え方によって異論反論は当然のように存在すると思われるが、日本の可能性を信じながら職務を遂行している大使の話を聞く機会を得たことは無駄ではなかったと思っている。

北海道低山紀行 定山渓小天狗岳(登山教室実習登山)

2013-06-13 21:45:11 | 北海道低山紀行 & Other
 2010年に次いで2度目の定山渓小天狗岳だったが非常に辛かった。自分のペースで登れる個人登山と違い、グループ登山はリーダーのペースに合わせなければならないが体力の衰えた自分にはけっこう辛い登山だった。
 

 登山教室の実習登山は、砥石山と定山渓小天狗岳のどちらかを選択することになっていた。どちらも一度登ったことのある山だったが、実習登山の翌週(16日)に定山渓天狗岳の募集登山に応募したこともあり、小天狗岳を選択した。
 私たち小天狗岳登山第1班は班員9名、それにリーダー、サブリーダーの計11名で行動することになった。
 当日9日(日)はこのところの好天同様、カラリと晴れ上がり気温も25.2℃と真夏並みの気温だった。

          
          ※ 小天狗岳登山のベースになる定山渓ダム園地に集った登山者です。

 小天狗岳は山としては小さな山(高さ756m 標高差445m)だが、階段登行の多い山である。登山路に人工的な階段が造成されている山は私が大嫌いな山だったのだが…。
 定山渓ダム園地の登山口から少しの間は緩やかな上りのトレッキングコースなのだが、直ぐに階段が現れる。そうなると高温も手伝い直ぐに汗が噴き出し始めた。そして息も上がり始めた。小休止のほしいところだが、グループ登山ではある程度は我慢しなければならない。

          
          ※ 定山渓ダム園地か少し行くと「登山口」の看板があり、同時に「熊注意!」の看板も目立ちます。

 延々と階段登行が続く。登山路に人工的に造られた階段は高さを稼ぐには最も効率的な方法であるが、それだけにエネルギーも消耗も激しい。決められた階段の高さを若者も、高齢者も同じように乗り越えなければならないのだから、私には辛い。
 先頭を務めた山のベテランは簡単そうに登っていくが、ついていく私たちは息せき切ってという感じだった。そのために登山中の写真を撮る余裕もなかった。

          
          ※ この写真は以前登った時のものを借用したもの。左にB7版のノートを置いています。 
           階段の段差の大きさを分かっていただけたら思い再掲示しました。

 それにしてもさすがに山岳連盟の登山である。ひたすら登るだけで、周りの山野草や動植物などについての説明は一切ない。上り続けて1時間15分、喘ぎ喘ぎなんとか山頂に達した。「夏山ガイド」に出ていた所要時間と大して違わない。短い時間ながらも私にはかなり辛い登山だった。

          
          ※ 快晴のこの日はこのように日陰で小休止を取りました。

 山頂での滞在時間は30分。小腹を満たす程度で下山開始となった。できればゆっくりと山頂で休みたいという思いもあったのだが…。下りは一度の休憩だけで55分で降りてきたが、その時の時刻はまだ11時45分だった。これほど余裕があったのだから…。

          
          ※ 辛い登りの末に見たこの光景はやはり何とも云えず美しく見えました!
                         
 小天狗岳を登っていて気になったことがあった。
 再三言及しているように小天狗岳の登山路は非常に階段登行の多い登山路である。ということは登山路を造成した時にはかなりの労力と予算をつぎ込んだように思われる。
 ところが、その登山路の階段状のところがずいぶんと崩れ始めているのだ。木製の柱状のものを鉄杭で止めるようにして造成したと思われるのだが、その木が腐って崩れてしまい、鉄杭だけが残っているところが多数見受けられた。リーダーも注意していたが、下山時にはそれらの鉄杭が凶器のように下山する我々に向かってくるような状況なのだ。
 加えて、登山路に横たわる木がとても多くそこを乗り越えたり、潜ったりしなければならなかった。

          
          ※ 苦しんだ末での登頂に誰もが笑顔、笑顔の記念写真です。

 いろいろな山を登っていると、地元山岳会の方々が登山路を整備されている山に出会うことが多い。小天狗岳はその点はどうなっているのだろうか?そうした人たちの好意を享受するばかりではいけないが、今回の登山で多くの登山者に出会ったところを見ると小天狗岳は人気のある山のように思われる。是非とも関係者の一考をお願いしたいと思った。

札幌市民登山教室

2013-06-12 23:47:19 | 講演・講義・フォーラム等
道央勤労者山岳連盟が主催する「札幌市民登山教室」が先月末から4回にわたって開催され参加した。費やした時間と労力に割には…、とも思うが得ることも多かった教室だった。 

 初心者向けの登山教室が開催されると知って、これまで我流で登っていた私にとっては「良い機会」と考え、参加することにした。スケジュールは次のとおりだった。

          
          ※ ベテランの講師の方の装備品が参考として陳列された。

 ◆5月28日(火) ◇登山計画と装備
           ◇歩き方や休み方、山の危険
 ◆6月04日(火) ◇地形図の見方、コンパスの使い方
           ◇実習登山ミーティング
 ◆6月09日(日) ◇実習登山 定山渓小天狗岳
 ◆6月11日(火) ◇実習登山の反省
           ◇道央勤労者登山連盟の所属会の紹介

 私が登山教室に参加した動機は、これから本格的に登山に取り組もうということではなく、私のような軽登山を志す者にとっても得るものがあるのではとの期待から参加したものだった。その意味では2日目の地図の読み方、コンパスの使い方に興味があった。
 ところが、残念なことにこの回の講義が講義の体を成していなかった。講師が不慣れということに尽きるのだが、受講者のほとんどの人が理解できずに終わったのではないか。幸い私は昔オリエンテーリングに親しんでいたこともあり、シルバーコンパスの使い方については多少知識があったので、そのことで思い出す良い機会とはなったのだが…。

          
          ※ 実習登山 定山渓小天狗岳第1班のミーティングの様子です。

 そんなこともあり、やや不満の多かった教室だったのだが、ここでは私なりに得たことを記しておくことにする。なお、実習登山のついては明日レポートすることにする。
《私なりに得たこと》
 ・装備品として例え日帰り登山でもあっても、ツェルト、ヘッドランプは必携品と考える。
 ・雨への対策としてザックカバーより、ザック内の荷物を雨から守る工夫の方が使い良い。
 ・例え軽登山であっても、危険は常に存在することを念頭に入れておくこと。
といったところか…。何よりの収穫は「山へのいざない」という50数ページに及ぶテキストをいただいたことだ。これを熟読することで登山の基礎を学ぼうと思う。

 登山教室を開催する趣旨の一つとして、主催者側は会員勧誘のリクルートの場でもあるようだった。しかし、私はそこまで登山にのめり込むことは考えていない。これからも個人での登山、あるいは募集登山(こちらを主として)に応募しながら、自分のペースで登山を楽しみたいと思っている。

そらちフットパスウォーク 5 岩見沢市 後編

2013-06-11 15:36:49 | フットパスウォーク & トレッキング
棚田広がる上幌ルート 

 相変わらずコースの両側は水田の光景が続くが、コース途上にpeach walk gardenとか、メープル小学校、そしてウッドチップ舗装の遊歩道など興味深いポイントが次々と現れる楽しいコースだった。 

 岩見沢市内からはかなり離れた「こんなところに客は来るのかなぁ」と思われる石蔵カフェ「和徳石庵」を後に、ウォークを再開した。

          
          ※ 昨日掲載した写真を再掲しました。カフェ「和徳石庵」です。

 水田は田植えが終わったばかりの時期のようだ。その水田の畝を見ていると、機械で何列も一度に植えられていることが良く分かる。畝の曲がり方が同じなのが面白い。

          
          ※ 田植えを終えたばかりの水田です。畝の曲がり方が同じなのが面白い。

          
          ※ 道路がカーブをしていても両側は田んぼ、田んぼ、田んぼです。

 
          
          ※ ちょっと小ぶりのイングリッシュガーデンです。

 水田の中には一枚の田が小学校のグランドなどより大きなものも目につく。それほど広いと田を水平にするにも苦労が伴いそうな気がするのは素人考えか?水田の傍のあぜ道付近に黄色い菜の花が目立つところがあった。どこからか種が飛ばされてきたのだろうか。

          
          ※ 田んぼの脇に菜の花が!どこからか種が飛んできたのでしょう。

 コースを直角に折れ曲がったところで正面に「萩の山市民スキー場」のリフトが見えてきた。そのスキー場の近くになんともメルヘンチックな名前を冠した「メープル小学校」がある。名前同様校舎もメルヘン的である。校名の由来を調べてみたが、どうやらそれほど深い理由があるわけではなさそうだ。行政も住民も粋なことを考えたものである。

          
          ※ 「萩の山市民スキー場のリフトが見えます。

          
          ※ 学校名同様メルヘンチックな校舎です。

 小学校を過ぎるとコースは道路を離れ、ポプラの木々に囲まれた遊歩道に導かれる。ここに足を踏み入れたとたん、踏み込んだ足が優しく押し返されるような感覚になる。良く見るウッドチップを固めたようなものが敷かれていた。しかしウッドチップだけでは私が感じたような弾力性は出ない。何が原因なのかと考えていたが、少し行くと固めたものが一部剥がれているところがあった。それを見てみると、ウッドチップとともにゴムを小さく裁断したものが混じっていた。それが弾力性を生んでいたと思われる。

          
          ※ こうしたポプラを両側に植樹した並木道が約1キロくらい続きます。

          
   ※ その遊歩道に敷かれていたのが、写真のようなウッドチップとゴムのを細かく砕いて固めた路材でした。

 心地良いウォークの合間に木々の間から一面に広がる水田の風景を見ることができる。そうしているうちにゴール間近の岩見沢公園のパークゴルフ場に着いた。まるで本来のゴルフ場のように芝生が整美されている。

          
          ※ ポプラ並木の間から見えた水田の様子です。

          
          ※ 岩見沢公園内のパークゴルフ場のグリーンは本物のゴルフ場と見紛うばかりです。
   
 ゴールの岩見沢公園の一部では改修工事が行われていた。近くの看板には「2013年リニュアルオープン!」と大書されていた。さらに魅力的な公園が実現するようだ。

          
          ※ 岩見沢公園の一部は現在リニューアル中でした。

 岩見沢のフットパスコースは他の自治体のコースと違って、駅付近や市街地を除いたコース設定となっていた。それはそれで岩見沢市の特徴を良く知ることができるコースであり、岩見沢が誇る水田地帯の光景を十分に味わうことができた。

《フットパスウォーク実施日 ‘13/06/06 距離11.5㎞》

そらちフットパスウォーク 5 岩見沢市 前編

2013-06-10 18:03:01 | フットパスウォーク & トレッキング
空知支庁10市14町では空知総合振興局の勧め(?)で各市町それぞれ1コースずつのフットパスコースを設定し、それをまとめたルートガイドを発刊した。いずれもが各市町の見どころを満載したルートとなっている。私はこの24のコースを時間をかけて、ゆっくりと完歩したいと思い立った。

     

棚田広がる上幌ルート

 見渡すかぎり田んぼ、田んぼ、田んぼ…。米どころ空知を代表する岩見沢の水田地帯の中を巡った。

 
 夕張市でのフットパスウォークを終えた私はその足で岩見沢市に向かった。交通費のことを考えたら、やはり一度に二つくらいのコースを巡らなくては…。

          
          ※ スタート&ゴール地点の岩見沢公園の中にある室内公園「色彩館」の建物です。

          
          ※ 岩見沢公園の売りの一つ「バラ園」は開花前ということで残念!

 岩見沢市のスタート&ゴールは「岩見沢公園」である。この公園は岩見沢市の郊外に位置しているのだが、かなり広大な公園である。私は今まで公園内にある野外音楽堂「キタオン」にしか来たことがなかったが、バラ園、グリーンランド遊園地、キャンプ場、スキー場、パークゴルフ場等々…、あらゆるレジャー施設が整っているのではという公園であることを初めて知った。

          
          ※ 岩見沢公園を一歩外へ出るとご覧のような水田が広がっていました。

 岩見沢公園自体が郊外にあるので、公園を出ると直ぐに水田が広がる風景である。人などあまり歩かないのではと思われる歩道の両側には大きな水田が広がっている。
 そのように中に、まるで彩りでも添えるかのように「林農園直売所」という建物が目に入った。せっかくなので中を覗いてみると野菜などは市価より安いようだったが、ザックに入れて歩いては鮮度も落ちると考え購入することは止めた。

          
          ※ あまり人が通らぬような歩道には雑草が侵入してきています。

          
          ※ コースが主要道でないからでしょうか?このような直売店はここだけでした。

 近くに「性顕寺」というお寺があり、境内にミヤギノハギという木があるとマップに説明があったが、残念ながら花の時期ではないためどの木がミヤギノハギなのか分からなかった。

          

 暑い日差しの中、農村道を黙々と歩く。分岐点を曲がると地域の鎮守「上幌神社」があった。その隣には閉校してしまった「上幌小学校跡」の碑があり、校舎の一部は集落の集会場として使われているようだった。
 マップでは近くに「山田なつかし資料館」があるとなっていたので、近くを探したが見つからなかった。あるいは分岐点の反対側の道沿いだったのかも知れない。(見たかった!残念!)

          

          
          ※ 閉校記念碑の横に建つ二宮金次郎像が学校跡の何よりの証です。

 その後は緩やかな上りの一本道が約3キロにわたって続く。両側はもちろん水田オンリーである。緩やかな上りの道の両側が水田ということは、水田を造成するためには段差を付けなければならない。いわゆる段々畑=棚田である。
 このコースの名称にもなっている「棚田広がる上幌ルート」だが、私がイメージする棚田とはかなり違い、四角形にきれいに整備された水田は、日本の里山に見られる棚田とはかなりの違いである。(その意味ではちょっとガッカリかな?)

          
          ※ 確かに棚田は棚田なのですが…。

          
          ※ 両脇に水田を従え(?)一本道がずーっと続きます。

 延々と続く一本道の最後に英国コッヅウォルズ地方の雰囲気を味わえるというリトルロックヒルズという個人が整備した敷地がある。私有地のために入ることは許されず、説明を伺うと毎日ガーデンツアーが行われているということだった。
 丁度コースの中盤だったこともあり、そのリトルロックヒルズの敷地内にある石蔵カフェ「和徳石庵」で一休みすることにした。

          
          ※ 英国風の建物がいかにもイングリッシュガーデンの雰囲気を出しています。

          
          ※ 石蔵のカフェは雰囲気もありましたが、飲み物の料金もそれなりに請求されました。

 本日のレポートはここまでとします。(コース後半のレポートは後編で)

北大の研究所・センター施設見学

2013-06-09 23:58:02 | イベント
 北大の大学祭に合わせての企画だと思われるが、昨8日(土)北大にある五つの研究所・センターが公開されると知り、めったにない機会と思い訪れてみることにした。 

 公開された研究所・センターとは、
 ◇創成研究機構
 ◇低温科学研究所
 ◇電子科学研究所
 ◇遺伝子病制御研究所
 ◇スラブ研究センター
の5カ所だったが、一応全ての施設を訪れてみた。

 面白いなあ、と思われたのはそれぞれの施設によって力の入れ具合が違っていたことだった。
 最も力が入っていたのは一番先に訪れた「電子科学研究所」だった。立派なリーフレットを用意し、展示も最も豊富だったし、サイエンストークも充実していた。ところが私にとってはナノテクノロジーの世界は最も苦手とする分野であり、午後に同じ北大博物館の土曜市民セミナーを受講することにしていたので、先を急ぐことになってしまい腰を落ち着けて説明を受ける余裕がなかったのが残念だった。

          
          ※ 「電子科学研究所」で唯一詳しく説明を受けたの“光るマウス脳”の話だった。

 二番目に訪れたのは「創成研究機構」だったが、ここはエントランスロビーだけを会場にしたあっさりしたものだった。しかし、各展示の説明員が熱心だったので三つのブースで説明を受けたり、体験をさせたりしてもらった。
その中で最も興味深く聞いたのは「海の森をつくるゲル」というブースで、ゲル状のものに昆布の種を植え付け、それを海底に据え付けることで藻場を人工的に作りだすという研究だった。創成研究機構が目ざす産学共同研究の一つの例として興味深くうかがった。

          
     ※ 専門分野同士がコラボすることで新しい価値を見出そうとする創成研究機構の近代的な外観です。

 三番目には「低温科学研究所」を訪れた。ここも学生(研究生?)が熱心に説明してくれた。氷の研究を専門とされている方で、近くグリーンランドの現地でのフィールドワークを控えている方とのことで、グリーンランドのこと、南極大陸のことなどいろいろとうかがうことができ、私には興味深かった。

 午後の博物館での市民セミナーを挟んで、四番目に訪れたのが「遺伝子病制御研究所」である。こちらもナノの世界の話である。肝心の話は聞かず、遠心分離機の威力を体感する実験をさせてもらってお茶を濁した。

          
          ※ 何の変哲もない(?)遠心分離機を写しました。

 最後に訪れたのが「スラブ研究センター」である。こちらは他の四施設が理系だったのに対して、スラブ各国を研究対象としたいわば文系の研究センターである。展示が最もあっさりしていた印象だった。こちらはむしろ3回の研究者のトークに力点を置いていたようで、私が訪れたときには全てのプログラムが終わっていた。

          
          ※ モンゴルとウルグスタンの民族衣装が展示されていました。

大学祭の模擬店がずらーっと並ぶ喧騒の中、そこからちょっと離れてふだんの大学の研究の一端を覗かせていただくこのような企画は本来の大学祭の在り方でもあろう。
次の機会があったときは、もう少し一つ一つの研究施設をじっくりと訪れてみたいと思った私であった…。

          
     ※ サービスショットです。北大のブルーグラス研究会が構内の一角でコンサートをしていました。