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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道低山紀行 33 駒ケ岳(大沼)登山

2013-06-23 23:24:35 | 北海道低山紀行 & Other
 あれっ?と思うほどあっけなくピークに達してしまった。振り返って考えてみると、その原因は私のリサーチ不足なのだが、登山口が山奥深くにあったり、登山そのものが馬の背までしか許されていなかったりしたことがそう感じることになったようだ。 

          
          ※ この写真はウェブ上から拝借した駒ヶ岳の写真です。

 そもそも私が「駒ケ岳へ」と思い立ったのは、「道民カレッジ」のガイドブックの中で唯一登山の実技を開設している「森誘クラブ」という団体が函館地方にあり、道南の各地の山に登っていた。
 そのクラブが6月21日に駒ケ岳登山をすると知り、以前から「いつか登ってみたい山」と考えていた私は応募して参加したということである。

        

 前日から大沼入りしていた私は約束の9時30分に町営温泉「ちゃっぷ林館」の駐車場に赴いた。すると、参加者がクラブの主催者のご夫妻と、友人、それに私と4人だけという少人数だった。主催者は「いつもはもっと多いのですが…」と言っていたが、少人数もまた良しである。しかも全員が同年代というのも良い。

          
          ※ 集合場所となった町営温泉「ちゃっぷ林館」の建物です。

 私はすっかりその駐車場から登山が開始されるものと思っていたが、「乗用車で登山口まで上る」という。添付したマップを見ていただければ分かるが、集合場所が「ちゃっぷ林館」、登山口はそこから5㎞以上奥へ入った「赤井川登山道6合目広場」ということだったのだ。(JRやバスを交通手段する人は9㎞も歩行・登山しなければならないが、私たちは2㎞だけの登山だった)

          
          ※ 登山者名簿に記入し、いざ登山開始です。

 9時55分、用意を整えて登山開始である。さすがに山奥深く入った登山口だったから、登山口から直ぐに上りが始まる。火山特有の赤茶けたガレ場の道が続く。けっして速いペースではないが、上りが休みなく続くので直ぐに汗が噴き出してきた。天候はあいにくの曇り空で、ピークの馬の背付近は雲に覆われていた。

          
          ※ 登山開始間もなくの同行者の3人です。

          
          ※ 登山道は写真のような赤茶けたガレ場がずっと続きます。

 登山道はほとんど変化なくガレ場が続き、斜度も上がり続ける。最初は休みなく登っていたのだが、リーダーも年齢である。一度休みを取った後は、上りながら小休止が絶えず入るようになった。
 8合目付近で振り返ると、眼下に大沼・小沼が見える。遠くの山々は残念ながら雲に阻まれ眺望がきかない。

          
          ※ 8号目付近から見えた大沼・小沼です。手前が大沼。

 主催者が用意してくれた資料によると、平成8年、10年、12年と駒ケ岳は小噴火を繰り返しているらしい。そのことがピークの剣ヶ峰まで行くことができない要因のようだ。また、高山植物が少なかったのもそうしたことが原因なのだろうか?

          
          ※ 数は少なかったが出合った高山植物の一つタニウツギです。

 9合目を過ぎたあたりから雲の中に入ったためだろうか、下界の眺望がきかなくなってしまった。そんな中、これといった変化のないまま、登山口からちょうど1時間後の10時55分馬の背に達した。それ以上はロープが張り巡らされていて上には行けないようになっていた。馬の背の標高は893mだとのこと。ちなみに駒ケ岳の頂上である剣ヶ峰は標高1131mである。
 もし剣が峰を登ることができたなら、この先はかなり苦労する登山になりそうなのだが…。

          
          ※ 馬の背に立っていた標識です。

          
          ※ ご覧のように馬の背は雲に阻まれ眺望はまったくきかず。

 馬の背からの眺望はまったくきかなかった。眺望はきかず、弁当の時間には早い。私たちは馬の背滞在15分にして、そそくさと下山することになった。

          
          ※ そそくさと下山開始です。

 そもそも私が「駒ケ岳」に登ってみたいと思ったのは、同じ名前を有する山が全国に点在し、それぞれ有名である。また、大沼の駒ケ岳は独立峰でその優美な姿がイメージとしてあったのだ。だから私の中では駒ケ岳の別称が「渡島富士」だと記憶していたのだが…。
 調べてみると、そう呼ばれていたのは遠い昔のことらしい。1640年というから寛永年間である。当時は1700mくらいの高さがあったらしいのだが、大噴火によって山頂部が吹き飛んでしまい現在のような山容になったらしい。私のとんだ錯覚だったのだ…。
 それでも駒ケ岳は人気の山のようだ。平日にもかかわらずたくさんの登山者に出会った。私と同じように憧れをもっている人がたくさんいるように思えた。(強引なまとめである)

          
          ※ 下山時に見つけたベニバナイチヤクウです。

 ちょうど正午過ぎ、6合目駐車場の着いた私たちは「少し早いですが…」というリーダーの言葉で解散となった。