空知支庁10市14町では空知総合振興局の勧め(?)で各市町それぞれ1コースずつのフットパスコースを設定し、それをまとめたルートガイドを発刊した。いずれもが各市町の見どころを満載したルートとなっている。私はこの24のコースを時間をかけて、ゆっくりと完歩したいと思い立った。
北炭歴史遺産ルート
“炭都”華やかしころの面影があちこちに散在する北炭夕張鉱の拠点だった清水沢地区を歩いた。栄華の残骸を見るようなウォークはけっして愉快なものではないが、それもまた私たちの歴史の1ページだったのだ…。
爽やかな気候の6月にできるだけウォークを楽しみたい。そんな思いが朝早く、私を夕張へ誘った。自宅からおよそ1時間50分かけて夕張市のフットパスルートのスタート地点「清水沢駅」に着いた。
駅舎は意外と大きかったが(その昔は夕張市で最も人が集中していた地域)人の姿は見えず閑散としていた。石炭産出華やしころは石炭を積みだす貨車が頻繁に往来していたというが、今は僅かな乗降客が利用するだけだという。
そして駅前の光景が清水沢の衰退ぶりを象徴しているかのようだった。廃業した商店が列を成しているという感じだった。
※ 清水沢駅前の国道に面した商店街だったところです。
マップを見てほしい。スタート直後のコースが難解を極めるほどに行ったり来たりを繰り返す。なぜそんなコースを設定したのかと思われるほどだが、設定者はおそらくその衰退ぶりを目に焼き付けてほしいとの思いがあったようだ。国道から一歩入った昔の飲食店街も事情は同じだった。
※ その昔は料亭か旅館だったような建物である。急ぎ建増しをした感じである。
複雑な経路を注意深くコースをなぞっていくと、草生した広場に出る。傍に旧「清水沢小学校碑」があり、近くには朽ち果てようとする校舎の残骸も見て取れた。
さらにコース沿いには「龍仙寺」と表札が書かれた寺らしき建物があったが既に閉鎖されているようだった。檀家の減少によって閉寺されたのだろうか?
コースは清水沢ダムに向かって進むが、マップ上で最初の旧炭鉱住宅群にさしかかったが、それらしきものは見当たらなかった。マップの写真にあったような古い住宅はすでに解体されてしまった後のようだった。
※ 炭鉱住宅が取り壊された跡のように見えました。
意外に気温が上がった国道を汗ばみながら進むと、木工場のようなものが見えてきたが、建物が歴史を感じさせるものだった。説明によると「北炭清水沢鉱・旧繰込所跡」の建物だという。繰込所とは、炭鉱員たちが採掘現場へ向かうための待機所のことようだ。
「北炭清水沢鉱・旧繰込所跡」を後にし、「清水沢ダム」に向かうが、その途中に「北炭清水沢鉱立て坑跡」という表示があるとのことだったが、草が生い茂っていたこともあり発見できず残念だった。
「清水沢ダム」は北炭が炭鉱用の電力生産のために建設したそうだが、今は役目を終え堰堤上の欄干も錆びついておりなんだか古い残骸を見るようだった。
またその清水沢ダムから下流方向にこれまた古びた大きな建物が建っている。この建物は1914(昭和16)年に完成し、自社産出の石炭を使った火力発電所だったということだが、地元の人の話によると今年いっぱいで解体されるとのことだった。解体前に目にすることができたのは幸運だった。
清水沢ダムを引き返して本格的な旧炭鉱住宅街に向かうのだが、その途中にこれもまた炭鉱華やかしころを想起させる「旧北炭体育館」が古びた形で建っていた。古びてはいても現役で使用されているようで「健康会館」と表示がかかっていた。
そしていよいよ旧炭鉱住宅群の中を進んで往く。右にも左にも同じような住宅が幾重にも幾重にも並んでいる。いったいここでどれだけの人たちが暮らしていたのだろうと思わせるほど延々と住宅群が続いた。
炭住街ウォークはまだまだ続く。(後編へ)
北炭歴史遺産ルート
“炭都”華やかしころの面影があちこちに散在する北炭夕張鉱の拠点だった清水沢地区を歩いた。栄華の残骸を見るようなウォークはけっして愉快なものではないが、それもまた私たちの歴史の1ページだったのだ…。
爽やかな気候の6月にできるだけウォークを楽しみたい。そんな思いが朝早く、私を夕張へ誘った。自宅からおよそ1時間50分かけて夕張市のフットパスルートのスタート地点「清水沢駅」に着いた。
駅舎は意外と大きかったが(その昔は夕張市で最も人が集中していた地域)人の姿は見えず閑散としていた。石炭産出華やしころは石炭を積みだす貨車が頻繁に往来していたというが、今は僅かな乗降客が利用するだけだという。
そして駅前の光景が清水沢の衰退ぶりを象徴しているかのようだった。廃業した商店が列を成しているという感じだった。
※ 清水沢駅前の国道に面した商店街だったところです。
マップを見てほしい。スタート直後のコースが難解を極めるほどに行ったり来たりを繰り返す。なぜそんなコースを設定したのかと思われるほどだが、設定者はおそらくその衰退ぶりを目に焼き付けてほしいとの思いがあったようだ。国道から一歩入った昔の飲食店街も事情は同じだった。
※ その昔は料亭か旅館だったような建物である。急ぎ建増しをした感じである。
複雑な経路を注意深くコースをなぞっていくと、草生した広場に出る。傍に旧「清水沢小学校碑」があり、近くには朽ち果てようとする校舎の残骸も見て取れた。
さらにコース沿いには「龍仙寺」と表札が書かれた寺らしき建物があったが既に閉鎖されているようだった。檀家の減少によって閉寺されたのだろうか?
コースは清水沢ダムに向かって進むが、マップ上で最初の旧炭鉱住宅群にさしかかったが、それらしきものは見当たらなかった。マップの写真にあったような古い住宅はすでに解体されてしまった後のようだった。
※ 炭鉱住宅が取り壊された跡のように見えました。
意外に気温が上がった国道を汗ばみながら進むと、木工場のようなものが見えてきたが、建物が歴史を感じさせるものだった。説明によると「北炭清水沢鉱・旧繰込所跡」の建物だという。繰込所とは、炭鉱員たちが採掘現場へ向かうための待機所のことようだ。
「北炭清水沢鉱・旧繰込所跡」を後にし、「清水沢ダム」に向かうが、その途中に「北炭清水沢鉱立て坑跡」という表示があるとのことだったが、草が生い茂っていたこともあり発見できず残念だった。
「清水沢ダム」は北炭が炭鉱用の電力生産のために建設したそうだが、今は役目を終え堰堤上の欄干も錆びついておりなんだか古い残骸を見るようだった。
またその清水沢ダムから下流方向にこれまた古びた大きな建物が建っている。この建物は1914(昭和16)年に完成し、自社産出の石炭を使った火力発電所だったということだが、地元の人の話によると今年いっぱいで解体されるとのことだった。解体前に目にすることができたのは幸運だった。
清水沢ダムを引き返して本格的な旧炭鉱住宅街に向かうのだが、その途中にこれもまた炭鉱華やかしころを想起させる「旧北炭体育館」が古びた形で建っていた。古びてはいても現役で使用されているようで「健康会館」と表示がかかっていた。
そしていよいよ旧炭鉱住宅群の中を進んで往く。右にも左にも同じような住宅が幾重にも幾重にも並んでいる。いったいここでどれだけの人たちが暮らしていたのだろうと思わせるほど延々と住宅群が続いた。
炭住街ウォークはまだまだ続く。(後編へ)