田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 アイ・ラブ・ピース №243

2019-07-21 15:55:09 | 映画観賞・感想

 聴覚障害者である主演の女優(忍足亜希子 おしだりあきこ)が、技師装具士を目指す聾唖者を演ずるという難しい映画である。忍足 亜希子さんの熱演が光った映画だった。

※ 映画タイトルの前にナンバーリングを付けた。この数字は私が2007年に札幌に転居後に観た映画の通算の数である。「映画は最高のエンターテイメント」と考える私にとって、これからも有料・無料にかかわらずできるだけ映画を観ていこうと思っている。

                

 7月19日(金)午後、札幌エルプラザにおいて「エルプラシネマ」が開催され参加した。

今回取り上げられた映画は2003年に制作・公開された「アイ・ラブ・ピース」だった。

 映画は聾唖者で技師装具士を目指す花岡いずみ(忍足亜希子)がアフガニスタンの内戦の爪痕が残る中で地雷を踏み片足を失くしてしまった少女パリザットの義足を作ろうとする中での二人の交流を描くものである。

           

          ※ 左がパリザット、右が花岡いずみ(忍足亜希子)です。

 日本の義足制作の優秀さがアフガニスタン内戦で傷つき、犠牲となった人たちの義足を作ってあげるという話はあり得る話である。しかし、聴こえない、話せない聾唖者が技師装具士を目指すという話は極めて特殊なケースのように思える。というのも、義足を作るということは、一人一人の脚の形に合わせるためには犠牲となった方とのコミュニケーションが欠かせないはずだからである。なのに敢えてそのような設定としたところがこの映画の見どころなのだろう。

 事実、いずみはパリザットとのコミュニケーションが満足に取れないことで苦慮する。それでもいずみは同僚などの助けを得ながら懸命にパリザットの義足づくりに励み、完成させる。ところがパリザットは長年彼女を支えた松葉杖(クラッチ)を話そうとしない。いずみはボディランゲージを加えながら懸命にパリザットに杖を離すように説得する姿には鬼気迫るものがあった。忍足亜希子の熱演で非常に見ごたえある映画となった。

              

             ※ 忍足亜希子は現在49歳だそうだ。写真は何歳の時のものだろうか?

 実はこの「アイ・ラブ・ピース」は“アイ・ラブ”シリーズの三作目だそうだ。1999年制作の「アイ・ラブ・ユー」、2001年制作の「アイ・ラブ・フレンズ」に続いての制作だそうだ。この三部作に忍足亜希子は全て主演している。聴覚障害者である彼女の特性を生かした映画だと思われるが、他の作品もぜひ見たいと思う。


コンサドーレの久々の快勝を目撃!

2019-07-20 19:52:38 | スポーツ & スポーツ観戦

 このところ3試合、勝ち星がなく足踏み状態が続いていた北海道コンサドーレ札幌だったが、今日(7月20日)は5点ものゴールラッシュで胸のすくような快勝だった。

         

        ※ 試合前の先発選手の発表時に声援の声を上げる熱烈サポーター席です。

 今日、コンサドーレはホームの厚別競技場に湘南ベルマーレを迎えてのJ1リーグ第20節の戦いがあった。他にスケジュールを入れていなかったこともあり、6月22日以来のスタジアム観戦を決めた。

        

        ※ 今日は入場者全員にご覧の団扇が配布されました。

        

        ※ ボードには両チームの先発イレブンが掲示されました。

 前回(6月22日)は雨とも戦わねばならなかったが、今日は暑さとの戦いを覚悟していた。しかし、試合が始まったあたりから上空に雲が出て、快適な気温の中で観戦することができた。そして今日、私はいつものバックスタンドではなく、正面スタンドのコンサの選手たちが出入りするゴールライン付近に陣取った。そこは選手たちを間近に見ることができるため人気のエリアのようで立錐の余地がないほど観戦客が集中していた。

        

        ※ 試合前のアップを終えてロッカールームに引き上げる荒野選手です。

        

        ※ 同じくルーカス選手(左)とロペス選手(右)です。両選手とも今日はベンチスタートでした。

 試合は、序盤は湘南が押し気味の試合展開だったが、18分に進藤が、21分にはジェイが、立て続けにセンタリングのボールをゴールに叩き込んでコンササポーターにとってはたまらない試合展開となった。ゴールの度に隣のご婦人、もう片方となる隣の若い女性とハイタッチを繰り返して歓びを分かち合った。前半の36分には湘南に1点を返されたが、前半は2対1で折り返した。

        

        ※ 前半を終えロッカールームに引き上げるチャナティップ選手です。右はコーチ?or トレーナー?

        

        ※ 同じく福森選手(前)と菅選手(後)です。

        

        ※ 同じく宮澤選手(左)とジェイ選手(右)です。真ん中はコーチ?

        

        ※ 同じくソンユン選手(左)と進藤選手(右)です。

 後半もコンサドーレのゴールラッシュは続いた。後半26分には再びジェイが、35分にはジェイに代わって入ったロペスが、39分にはチャナテップが、と面白いように得点を重ねた。コンサにはこれ以外にもオフサイドになってしまったゴールや、ゴールから掻き出されてゴールの判定にはならなかったものもあったので、うまくゆけばまだ2~3点入ってもおかしくない試合展開だった。

         

        ※ 札幌のチャンスで競り合う両チームの選手たち。バックスタンドも満員状態でした。       

 後半ロスタイムにコーナーキックから湘南に1点返されたが、大勢には影響はなく、5対2でコンサの快勝という結果で試合終了のホイッスルを聞いた。

        

        ※ 試合終了時のスコアボードです。

 今日は気持ちの良いほどに次から次へとゴールが決まったが、サッカーの場合には今日のようにうまくいく場合と、チャンスが多くてもゴールに嫌われる試合もあるところがサッカーの面白さであり、難しさでもあるような気がする。

 一点だけ気になるのは、得点者が1得点目の進藤以外は外国人選手の得点だったことだ。外国人選手はストライカーとして期待されて入団したのだから、それはそれでいいのではないか、という考えの方もいるとは思うのだが、やはり日本人選手ももう少し得点に絡んでほしいと思うのは狭量的過ぎる考えだろうか? 頑張れ!鈴木武蔵!

        

        ※ ゴール後にサポーター席まで走ったロペス選手を、控えのGK菅野選手が駆け付けたところです。

 もう一つ改めて感じたことがあった。スタジアムで観戦していると細かなプレーや微妙なプレーが分かりづらいことがある。今日の試合でも、なぜ荒野のゴールが認められなかったのか?(ジェイがオフサイドの位置にいたらしい)、私のところから見たら完全にインゴールに入ったと思われた武蔵のゴールが認められなかったのか? チャナテップのゴールはなぜ直ぐに認められなかったのか? 等々…。どのプレーもTV観戦だとビデオで再生したものが見られるために納得できるのだが…。

        

        ※ 試合終了後、グランドを一周後に私たちのところにも選手たちがやってきました。

 まあ、そうしたことはあったとしてもやはりライブ観戦に勝るものはないということがあれだけの大観衆を集めるのだろう。何といっても目前で選手たちの息遣いを感じながら試合展開を追えるのだから…。


北大全学企画公開講座№6 ドーピングを法的に考える

2019-07-19 21:25:48 | 大学公開講座

 講師の小名木教授は、講義の最後に「なぜ、スポーツにおけるドーピングだけが規制の対象となるのか?」と疑問を呈せられたのが印象的だった。スポーツ界におけるドーピングの実状についてお話を伺った。 

 北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の第6回目は7月15日(月・祝)午後、第5回目の「様々な温度環境に対する人体の生理応答」に続いて開講された。(会場はこの日だけ、フロンティア応用化学研究棟の2階レクチャーホールだった)

 第6回目は「スポーツをめぐる法と理論-ドーピング問題」と題して、北大法学研究科の小名木明宏教授が講師を務めた。

            

 ドーピングが社会問題として大きく顕在化したのは、ソウルオリンピック(1988年)の100mにおいてベンジョンソンがドーピングによって金メダルをはく奪されたことで世間を大いに騒がせたが、私もこの事件については強く記憶に残っている。

 日本におけるドーピングの規制の歴史は、2001年に「日本アンチ・ドーピング機構(JADA)」が設立されたのが始まりである。さらに2009年「スポーツ基本法」が全面的に改正された中で、「ドーピング防止活動の推進」が付加された。その中には違反者に対して個人、チーム、関係団体に対する制裁が明記された。

 こうしたドーピング禁止の理由として日本アンチ・ドーピング機構は次のようにその理由を明記している。「全世界で共有されているスポーツ全体のルールです。①フェアプレーの精神に反する。②アスリートの健康を害する。③反社会的行為である。といった、スポーツの価値の根幹を損なう、スポーツに正々堂々と向かうことのできない「ずる」くて「危険」な行為でもあります。」

 スポーツに人一倍興味関心のある私からみて、こうした理由は妥当だと思うのだが、法律を研究する小名木教授からすると「法益の面から考えると、はたして妥当なのだろうか」と疑問を呈する。「法益」とは、法によって保護される利益と解される。つまり現行法ではドーピングによって罰することには疑問が生ずるというのである。          

 スポーツの世界では「ドーピング」ということで選手たちは非難され、選手生命を絶たれる危険もあるが、一般社会においては筆記試験に際して向精神薬(リタリン)を服用して試験に臨んでも何の咎めもない。あるいは、眠気覚ましに良く服用される栄養ドリンクも特別問題なることはない。

 一方、現役の選手たちは体調不良で服用する薬にも禁止薬物が含まれる可能性があるため、風邪薬さえも容易に服用できない現状だという。こうしたことから、小名木教授はリード文でも触れたような疑問を呈せられたようだ。

 ドーピングの世界も日進月歩だという。例えば、頭脳ドーピング、物理ドーピングなど、あの手この手で規制をかいくぐるように新たな手法が出てきているようだ。小名木氏はそうした現状に対して法の研究者として、関係法の整備の必要性を強調された。う~ん。法を整備するということはなかなか難しいことのようだ。

 ※ 法律の話だけに、なかなか難しかった。レポの内容は必ずしも小名木氏のお話を正確にレポできていないきらいがあることをお断りしておきます。

 


札幌市立中央中学校の新校舎拝見!

2019-07-18 21:07:13 | 札幌(圏)探訪

 その名のとおり札幌の中心部に立つ札幌市立中央中学校は周りを会社のビルやマンション群に囲まれ、教育環境としてはけっして恵まれたものとは言えないが、新校舎はそのデメリットを補う近代的な装備が施されていた。

          

           ※ 校内各所に掲示されていた校訓「吾あり 人あり 学びあり」とても気に入った校訓である。

 昨日(7月18日)、所属する退職組織の年に一度の研修会があった。研修会は例年、中央区内の学校を訪問し、同じく社会教育的施設を見学して、その後に懇親会を催すというのが恒例となっている。

 今年もまた例年と同じような内容での研修会となった。その内容とは、学校訪問が「札幌市立中央中学校」を訪れ、社会教育的施設の見学は新装なった札幌市中央体育館「北ガスアリーナ札幌46「旧永山武四郎邸」を見学した。懇親会はサッポロファクトリー内にある「ビアケラー札幌開拓使」で行われた。

           

          ※ 札幌市立中央中学校の正面です。4階建てにしか見えませんが、実際は5階建ての校舎です。

 メインはあくまで学校訪問であるが、札幌市立中央中学校は北4条東3丁目と札幌駅に近いJR函館線の近くに立地していた。周りは会社のビルやマンション群に囲まれ、近くにはサッポロファクトリーも控えるなど、札幌市の中心に位置しているといってよかった。訪問当たっては学校長自らが案内・説明にあたっていただいた。

          

          ※ 学校長自らが学校概要について説明をしていただきました。この後、校内も案内してくれました。

 その説明によると、中央中学校の歴史は割合浅く、昭和40年代に札幌中心部のドーナツ化現象によって生徒が減少したため、当時あった一条中と凌雲中が昭和43年に統合して誕生した中学校とのことだった。ちょうど学校は昨年開校50周年記念式典を行ったということだ。ところが最近はまた住民の都心回帰現象から生徒数が増加傾向にあるとのことだった。

 さて校舎の方であるが、平成29年8月に5階建ての校舎として新築落成したということだった。だから私たちが訪れたのは新築落成から約2年後ということになる。昨日はかなり気温が上がったが、校内に入ると空調が効いていて快適な図書室で説明をうかがった。学校長の説明で最も驚いたのは、やはり都心にある学校だからだろうか?学校全体がロスナイ(全熱交換器)システムを採用しているとのことだった。詳細は理解できなかったがなんでも4段階に校舎内の室温を設定できる(?)システムだとうかがった。

          

         ※ 3年生の普通教室の様子です。

 校舎の施設は現在考えられる中では十分の施設が整えられていると思われた。普通教室は各学年5教室が確保され(現在は、1・2年生が4クラス、3年生が3クラス)、さらには将来さらに生徒数が増えた際に最大限対応できるように多目的室として2クラス分が準備されているということで、最大7クラス体制でもやっていける校舎としなっているとのことだった。体育館・武道場も十分な広さが確保されていたし、特別教室や特別支援教室、通級指導教室などの施設・設備も完備されていた。

          

          ※ バスケットボールコートが2面取れるのではないかと思われるほど広い体育館です。

 今どきの恵まれた施設・設備の中で勉学に専念できる環境は、昔の人間から見たらうらやましいかぎりである。しかし、私たちの時代とは違った新たなさまざまな課題を抱えながら現代の学校の教育活動がなされていることも事実である。

 学校長はそのことついて言及はしなかったが、日々神経を研ぎ澄まして学校経営にあたっておられることと思う。恵まれた施設・設備をフルに活用し、子どもたちが伸びやかに育つ学校であってほしいと願った学校訪問だった。

          

          ※ 玄関ホールのところに中学生らしい微笑ましい部活動の檄文が掲示されていました。


北大全学企画公開講座№5 温度環境と人体の生理

2019-07-17 22:19:34 | 大学公開講座

 “暑い”“寒い”という温度環境が人間の生理に大きな影響を及ぼすことについて私たちは経験的に知っている。講義はそうした現象を科学的に解明するものだった。 

 北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の第5回目が7月15日(月・祝)午後開講された。(この日は祝日だったが、午後に第5講と第6講が続いて開講された)第5回目は「様々な温度環境に対する人体の生理応答」と題して、北大工学研究院の若林佐井斉准教授が講師を務めた。

          

 講義はまず、近年熱中症による死亡数が急増していることを指摘した。このことは、地球の温暖化が進展していることを端的に示す証拠であるが、特に炎暑となった2010年の統計が突出しているのが顕著である。

          

 次に、人体が熱収支のバランスを崩す因子について図を用いて説明があったが「なるほど」と納得できるものであった。

          

 熱中症の予防としては、水分をしっかり摂ることが常識とされているが、その場合に同時に塩分を摂取することの重要性も指摘された。それは発汗する汗の中には塩分が含まれているのだから、ある意味当然のことかもしれない。

          

 ある意味の新発見として、北海道のTVの気象情報では見ることができない「熱中症予防情報」というものが関東地方では流されていることを初めて知った。また、年齢によって人体に占める水分量が違うという図も私には珍しいものだった。

          

          

 続いて寒冷環境における人体の生理について話が移った。講師の若林氏はどちらかというとこちらの方が専門に研究されている分野だと伺った。

 若林氏が強調されたのは、寒冷時において人体のパフォーマンスは低下するということだった。この点について、私も体験的になんとなく理解出来ることであった。氏の研究室では、そのことを実験を通して検証しているということである。

          

 そして、そのパフォーマンスの低下は人種によっての違いも明らかになってきているとのことだった。寒冷時において著しくパフォーマンスが低下するのはやはりアフリカンであり、続いてアジア系、最も影響を受けないのがコーカサスなど北極圏に位置する人々だとの結果が出ているということだが、納得できることだった。

 また、海女さんも低温時においてパフォーマンスの低下が小さいという結果が出ているとのことだったが、やはり長年低温の水中で作業を継続することで、体が低温に順応するということなのだろうか?

          

 寒冷時における人体のパフォーマンスの低下について、氏の専門でもあることから、残念ながら私には理解できないことも多く、理解できた部分のみのレポとなってしまったことをお断りしたい。


北海道低山紀行 92 北広山

2019-07-16 18:59:53 | 北海道低山紀行 & Other

 意外にあっさりと山頂に達した感があったが、山頂からは樽前山、紋別岳、イャンコッペ山などが望め、それなりの達成感を味わわせてくれた山だった。

          

          ※ 「北広山」の山頂標識です。ガイドブックではここにベンチがあることになっていましたが…。

 このところ山へ向かおうとする意欲が持続している。ということで、近郊では未踏だった「北広山」を目ざした。我が家から車で50分、25キロ走り北広山の登山口に着いた。登山口は国道36号線の北広島大曲から道々790号線に入り、約6キロまっすぐ走り舗装道路から砂利道に変わりさらに2キロほど走り、2番目のゲートのところが登山口だった。登山口のところにはけっこう広い駐車スペースがあった。

          

          ※ 登山口の近くにあった駐車スペースです。かなりに車が駐車できそうです。

          

          ※ 登山口の標識ですが、この右側には「熊に注意!」の表示がたくさんありました。

 午前7時、準備を整え出発した。登山道は最初平坦な道を沢に沿って進む。ところどころで沢に注ぐ小さな流れが何か所かあった。特に問題はなかったが融雪期などはけっこうな流れになるのかな?と思われた。そうして歩いているとき、ズドーンというお腹に響くような音が聞こえた。考えてみると、近くに自衛隊の島松演習場があり、そこでの射撃訓練の音が伝わってきたようだった。

          

          ※ 初めは右側の沢の流れを横に見ながら、緩やかな登りです。

 やがて沢と別れ、やや本格的な登りとなる。といってもそれほど厳しい登りではない。コースはしっかりと整備されているが、両脇のクマザサが覆いかぶさるようなところがあり、ちょっと不気味な思いを抱きながら登り続けた。やがて平坦なところに出た。あたりはダケカンバが目立つ。すると一本の木に「白樺平」と書かれた表示が目に入った。ここまで30分を要した。まだまだ疲れを感じるところではなかったが、林の中の湿度が高かったため、背中には汗が滲んでいた。

          

          ※ 沢と別れて本格的な登りが始まりました。

          

          ※ 唯一目にした山野草です。クルマバソウかな?

          

          ※ 写真のようにササが覆いかぶさっているところはちょっと不気味でした。

          

          ※ 「白樺平」の標識です。

 「白樺平」を過ぎると、またそれなりの登りが待っていた。「さあ、これからが本格的な登りかな?」と思いながら登り続けた。やがて林が消えて空が見え始め、「これからは眺望の効いた中を登るのだな」と思って、気合を入れ直したところ登山路脇に「北広山 487.8m」という看板が見えた。さらにその先にも「北広山」と書かれた茶色い標柱があった。どうやらこの地点が北広山の山頂らしい、と気づいた私だった。白樺平からはわずか15分しかかかっていなかった。なんだかあっけない登頂だった。

          

          ※ 「白樺平」を過ぎると少し本格的な登りが続きました。

          

          ※ 木が無くなり視界が広がるかな?と思われたところにご覧のような山頂標識がありました。

 山頂を過ぎると、そこには「防衛省用地 立入禁止」と書かれた看板が立てられ、近くにはレーダサイトの建物が見えた。

          

          ※ 「防衛庁用地 立入禁止」と標識が立っていました。

          

          ※ 自衛隊のレーダサイトのようです。

 空は雲に覆われていたが、けっこう眺望が効き遠くには樽前山、紋別岳、イチャンコッペ山などが遠望でき、眼下には清田地区の市街地も望むことができた。

          

 ※ ピントが甘くなりましたが、左手奥に見えるのが樽前山、中央のピークが紋別岳、右側のピークがイチャンコッペ山のようです。

 このところ6/28、7/3、7/7、7/12、そして今日7/16と、登頂、未登頂は別にして低い山を主としてコンスタントに山を目指している。近年の私にしては珍しいことだ。このことは万全とは言えないながらも、体調が良い証拠なのだと思う。無理せずに目標とする100登頂を目指したい。

【北広山 登山データ】
標 高  487.8m (標高差 202m)

駐車場  第2ゲートの手前に10台近く停まれる駐車スペースがある。
行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     登山口→(30分)→白樺平→(15分)→北広山々頂→(10分)→白樺平→(20分)→登山口

時 間  上り(45分)  下り(30分)  

天 候  曇り、弱風

登山日  ‘19/07/16


SAPPORO CITY JAZZ 2019 PARK JAZZ LIVE

2019-07-15 20:45:06 | ステージ & エンターテイメント

 13、14日の二日間、私はSTVホールに入り浸った。トリオあり、ソロあり、そしてビックバンドありと、札幌内外で活動するミュージシャンたちが思い思いに演奏する音を二日間にわたって楽しんだ!

                   

 PMFと並んで今や札幌の夏の風物詩となった感のある「サッポロシティジャズ 2019が7月7日から8月25日の間で開催されている。(冬にもあるようだが)その中でも私が毎年楽しみにしているのは「パークジャズライブ」である。

 「パークジャズライブ」はHPによると全国から1,500名、300組のミュージシャンが二日間にわたって札幌市内13ヵ所に分かれてライブを繰り広げるイベントである。私は昨年から、それまでと違ってホールで楽しむことにした。その理由はホールの場合比較的ビックバンドの会場に割り当てられることが多いと気づいたからだ。昨年は札幌市教育文化会館で楽しんだ。しかし今年、同館は会場となっていなかった。そこで今年はそれに代わったのであろう「STVホール」で楽しむことにした。

          

     ※ 7/13の2番手で登場した「Flavor」のウィンドシンセサイザーがとてもドライブ感のある演奏をしてくれた。

 7月13日(土)、この日のライブ開始時間の11時35分STVホールに赴いた。最初に登場したのは女性のボーカルを中心としたロックバンド「BLUE 2nd」だった。各バンドの持ち時間は30分、大体のバンドがおよそ4曲程度を演奏して、次々と登場した。ところがこの日は、私が期待するビックバンドはいっこうに登場せず、3~6人程度のバンドがほとんどだった。音楽的にもジャズというよりはロック系が多かった。

          

          ※ 8番目に登場した「トンキッシュ」のリードギターの技量が素晴らしかった!

 唯一のビックバンドは7番目に登場した「SP JSビックバンド」という16人のバンドでようやくジャズ系の音を聴かせてくれるバンドだった。

 結局、この日STVホールでは14のバンドが出演したが、私は11のバンドの演奏が終わったところで帰宅した。

 翌7月14日(日)、再び私はSTVホールに出陣(?)した。この日STVホールでは11時より16団体が出演予定だった。バンド名を見るとJazz Orchestraとか、ジャズバンド部という名が並び、期待を抱かせてくれた。その期待どおりこの日のSTVホールはジャズバンドのオンパレードだった。大人のバンドあり、若者のバンドありで、さまざまなジャズの名曲を聴かせてくれ、大いに楽しませてくれた。その中でも私の耳に出色と思えたのは「室蘭市立翔陽中学校ジャズバンド部」だった。編成は18人だったが、一人一人の確かな技量に裏打ちされた自信に満ちた演奏が見事だった。翔陽中ジャズバンド部は、旧鶴ケ崎中ジャズバンド部が母体で、そのころから「室蘭に鶴ケ崎中ジャズバンドあり」と有名だったが、彼らはその伝統をしっかりと受け継いでいるようである。

          

          ※ 抜群の技量を発揮した室蘭市立翔陽中ジャズバンド部です。

          

          ※ 各パートがソロで演奏する場面が多くあったが、誰もが確かな技量を発揮していた。

 さらには、翔陽中ジャズバンド部のOB、OGで編成された「Muroran₋Flaps Jazz Orchestra」の演奏も見事だった。彼らは全員が高校生年代と見たが、中学校時代に培った技術を生かした演奏が素晴らしかった。

          

          ※ 翔陽中ジャズバンド部のOB,OGで構成したMuroran-Flaps Jazz Orchestraの演奏です。

 その他に登場したビックバンドもそれぞれが特色を出した演奏を披露してくれ大いに楽しませてくれた。

          

          ※ 大人の演奏を披露してくれたWorld Mercy Jazz Orchestraです。

 結局、私は二日間で22のグループの演奏を聴かせてもらった。仕事や学業の合間を縫い、一生懸命に取り組んだ成果を市民に無料で提供してくれるこのような機会は私にとっていつも楽しみに待っているイベンドである。これからも「パークジャズライブ」を楽しませてもらいたいと思っている。


北大全学企画公開講座№4 認知科学とスポーツ

2019-07-14 18:51:32 | 大学公開講座

 スポーツの世界で経験的に感じていたことやメンタル面のことなどについて、認知科学の面からそうした現象について実験を交えながら解き明かしてくれるという興味深い講義だった。 

 北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の第4回目が7月11日(木)夜開講された。第4回目は観(み)る、視(み)られる、省(かえり)みる:認知科学から覧(み)るスポーツ」と題して、北大教育科学研究院の阿部匡樹准教授が講師を務めた。

          

          ※ 講義をされる阿部匡樹准教授です。

 阿部氏はタイトルどおりに、①他者を「観る」②他者に「視られる」③自己を「省みる」の構成で講義された。

 ①の他者を「観る」ということに関しては、他者の運動を観察する際に、私たちは同じ運動を脳内でシュミレーションし、それを重ね合わせることでその運動を理解しようとしているとのことだ。そのことをミラーシステムと称しているそうだ。脳内でシュミレーションするには、私たちはその前に獲得したその運動のプログラムがあって初めてシュミレーションが可能になるとも言われた。

          

※ この図は、阿部氏が私たちに対して行われた実験の一つであるが、少し長くなるが説明すると・・・。阿部氏は「画面に出た絵と同じ手をできるだけ早く挙げほしい」と指示され、最初に右側の図を見せられた。全員素早く同じ方の手(右手)を挙げた。そのうえで次に左側の図を見せられたところ、私たちはかなりの時間を要して手を挙げた。このことは人がミラーシステムを活用しようとするとき、できるだけ早く自身の身体とイメージを重ね合わせる時に留意すべき点の一つということが言えそうである。

 続いて②の他者に「視られる」に関しては、私たちは他者の視線に敏感であり、他者の視線が私たちの運動に影響を与えるということだ。このことは私も体験から理解できる分析である。試合本番で「アガル」という現象などはまさにこのことである。他者の視線によって注意の方向が変わったり、他者の存在によってパフォーマンスが変わったりすることはよくあることである。

 最後の③の自己を「省みる」である。私たちは自分の能力を過大評価する傾向があるそうだ。このことを認知科学の世界では「平均以上効果」と称するという。こうした傾向は、能力の低い人ほど強く、反対に能力の高い人は自身を過小評価する傾向があるという。このことを「ダニング=クルーガー効果」と呼ぶそうである。

 以上のようなことについて、私たちは経験的になんとなくそう感じていることも多いのではないだろうか?そうしたことを認知科学の世界では、さまざまな実験や、データの集積によって解明してきたという。

          

        ※ 年代別の「車の運転に自信があるか」を問うた時の割合である。想像以上の数字に驚いた。

 阿部氏が提示されたたくさんのデータの中で非常に興味深いものがあった。それは③に関することであるが、運転技術に関して「自分は車の運転に自信がある」と答えた割合が60歳から80歳にかけて年齢と共に「自信がある」と答えた割合が増加しているという結果が出たということだ。このことなどは、自己の能力の低下を顧みず、自己を過大評価している典型のような気がする。阿部氏が講義の最後に指摘された「自身の能力を適切に見積もることは、思っているほど容易ではない」ということを心に深く受け止めたいと思った今回の講義だった。


映画 飛べ!ダコタ №242

2019-07-13 19:01:45 | 映画観賞・感想

 史実をもとにして制作された映画だそうである。太平洋戦争終結後5ヵ月、イギリス空軍の輸送機「ダコタ」が佐渡島に不時着した。その際の島民たちと飛行機の乗員との交流、そして不時着機を再び飛び立たせようと力を合わせる島民たちの姿を描いた感動的な映画である。 

※ 映画タイトルの前にナンバーリングを付けた。この数字は私が2007年に札幌に転居後に観た映画の通算の数である。「映画は最高のエンターテイメント」と考える私にとって、これからも有料・無料にかかわらずできるだけ映画を観ていこうと思っている。

                

 7月11日(木)午前、久しぶりに札幌市生涯学習センターの「ちえりあ映画会」に参加した。今回取り上げられた映画は、2013年に制作・公開された「飛べ!ダコタ」という映画だった。

 リード文で紹介したように、映画は実際にあった話題を題材として制作されたもので、タイに現存していた飛行機(ダコタ DC-3)を佐渡島に移送してロケを行ったそうである。

 映画は虚実(おそらく)織り交ぜて数々のエピソードが挿入されながら進行する。その底流にあるのは日本人の優しさ、佐渡島人の人の好さが流れていた。不時着した浜の村長が「困っている者を助けるのが佐渡の者(もん)だ」という言葉に日本人の良さを感ずる。何せあの大戦争での敗戦から5ヵ月しか経っていない時の言葉であるから、その心根を同じ日本人として誇らしく思う。

            

 映画は滑走路のない佐渡島で島民が力を合わせて浜に石を敷き詰めて500メートルもの滑走路を造り、再び飛び立たせた。

 主演は村長の娘役を演ずる比嘉愛未という沖縄出身の女優さんであるが、彼女の恋人(窪田正孝)は軍隊に行き足を失くしてしまう。その彼が「戦争中、足を失くして、もう戦争にはいかなくて済む、そんなことを悦ぶ時代にはもう戻りたくない…」というセリフには泣かされた。

 この映画は、声高には叫ばないものの戦争の悲惨さ、愚かさを静かに訴える映画でもあった…。

               


北海道低山紀行 91 盤渓山〈夏〉

2019-07-12 16:52:45 | 北海道低山紀行 & Other

 小さな山だったが、雨模様ということもあり、かなり自分自身を急き立てた。さらには眺めの良いはずの山頂は厚い雲に覆われ眺望はゼロだったためか?帰宅した私は疲れと落胆から昼寝を決め込んだのだった…。

           

          ※ 盤渓山の山頂標識です。

 私には前回の朝里天狗岳と同様にリベンジしなければならない山が残っていた。それがこの「盤渓山〈夏〉」である。その経緯は次のとおりである。

 2016年の冬(2016/1/14)に私はスノーシューで盤渓山の登頂を果たしていた。続いて同年の夏に盤渓山に登ろうと山に向かった(2016/7/23)。冬に登ったのだから容易だろうと思ったのだが…。ところが周りの様相は一変していて盤渓山への取り付き口が一向に分からないのだ。登山口の周辺であちらこちらへと右往左往しながらも、とうとう取り付き口を発見できずに敗退したのだった。

 本日(7月12日)、天気は良くなかったがそれでも近景は眺めることが出来るだろうとリベンジ登山に出掛けた。

          

          ※ 盤渓市民の森の入り口にはこのような駐車帯があります。

           

          ※ 市民の森入り口からしばらくは車道を上ります。        

 8時20分、盤渓市民の森の入り口に車を停め登山を開始した。約350mの車道を上ると緩く右にカーブする地点に小さなゲート(丸太が2本)があり、そこから左の沢へ下りていく。すると、幅広く下草刈りをした道が現れた。私はすっかりそこが登山道だと思い込んだ。その下草刈りをした道を進んでいくのだが、いっこうに沢の方に下っていかないので「?」と思った。記憶では丸太のゲートのところからグングンと下って行くのに…。私は再び前回と同じ過ちを犯しているらしいことに気づき、ゲートのところまで戻ってみた。するとゲートから10mも離れていないところに左に折れる微かな踏み跡を見つけ出した。頭上を見るとピンクのテープも招いていた。「間違いない!」と確信して、微かな踏み跡を辿り沢へと下りて行った。

          

       ※ 車道をそのまま行くと「妙福寺」というお寺に至ります。登山道は左の丸太のゲートから入ります。

          

          ※ 丸太のゲートを通過すると写真のような刈り取りされた道があり、つい誘われてしまいます。

            しかし、登山道は手前の草むらから下の方へ下った行くのが正解でした。

 下りていく途中、この登山で唯一の山アジサイが見事な紫色の花を付けていた。後にも先にもこの時だけ目にした花だった。やがて小さな渡渉地点を渡った。冬の時も水は涸れていた確かに渡った渡渉地点だった。もう間違いはない!このまま踏み跡を辿ればいい!と確信した。

          

          ※ 緑一色の山中で唯一目に入った山アジサイの花です。

          

          ※ ピンクのテープが登山道であることを示しています。

          

          ※ おぼろげに覚えていた渡渉点に至り「間違いない!」と確信しました。

 渡渉地点まで下った登山道はそれから尾根に向けての急登に入った。休む間もない急登で一気に汗にまみれながら登り続けた。ようやく尾根に出て、けっこうな時間登り続けたと思ったが、時計で確認するとそれほどの時間ではなかった。

          

          ※ 渡渉点の後、尾根に向かっての急登が続きました。

 尾根に出てからは緩急を繰り返しながら高度を上げていく。特にポイントとなるところもなく、登り続けた。登りながら、他の登山道では見られない異変(?)に気づいた。それは、登山道のところどころに何やら同じような植物の欠片(?)が固まっておかれてあるのだ。いくら登って行ってもそれが目に入る。「何だろう?」と思い、たまらず手に取ってみた。するとそれはササの先にあたる生長点のところを抜き取ったものだと判明した。それが結局登山道の全体におかれていた。私にとっては初めて見る光景だった。いったいあれは何なんだろうか?山の事情に疎い私は次のように推察してみた。ササの生長点を抜き取ることによってササの生長が止まり、登山道がササに覆われてしまうのを防ごうとしているのではないか?ちょっとガセネタっぽいが、私にはそうとしか考えられないほど、登山道のいたるところにそうした光景が広がっていた。そして、私も真似してササの生長点を抜き取り、先においた固まりの上に置いて行ったのだった。

          

          ※ 尾根に至ると、こうした緩やかなところもありました。

          

          ※ 周りの木は樺の木や広葉樹が多かったようです。

          

          ※ このような草の固まりがいたるところで見られました。何だろう?

          

          ※ 手に取ってみると、ササの生長点のところでした。

          

          ※ 私も真似して生長点を抜き取り、こうした登山道上に置きました。

 登山道の方は相変わらず緩急を繰り返しながら高度を上げていた。ガイドブックでは最後の急登に汗をかく、と書かれていたので「ここが最後の急登?」と何度も騙されながら何度目かの急登の後、ようやく山頂に到達することが出来た。

          

          ※ この「火の用心」と書かれた石標は何でしょうか?水溜には小さいし???

          

          ※ 山頂近くの急登の一つです。

          

          ※ 山頂手前にケルンが積んでありました。

          

          ※ 私には珍しい自撮りの写真を掲載しました。

          

          ※ 山頂はご覧のように眺望はゼロでした。

 山頂は、朝自宅を出た時よりも雲が厚く覆っていて、眺望はゼロだった。私は冬に登ったときに眺めた見事な眺望を思い浮かべながら自分を慰めた。

 眺望の効かない山頂での長居は無用である。10分後には山頂を後にしていた。下山開始後まもなく、雨がぽつりぽつりと私の頬を叩いた。本格的な降りとなる前に下山を完了したいと先を急いだ。結局、最後までぽつりぽつり以上の降りにはならず、下山を完了した。標準のコースタイムでは1時間というコースを珍しく私は50分で完了した。標準タイムを上回るなんて珍しい。雨が私を追い立てたのだ。

          

          ※ 下山時には雨がポツリポツリと落ちてきました。雨に濡れた葉です。

 帰路、盤渓山の近くにある幌見峠のところにある札幌の新名所「ラベンター園」を覗いて帰宅した。

           

          

          

【盤渓山〈夏〉 登山データ】
標 高  604m (標高差 334m)

駐車場  盤渓市民の森の入り口に5~6台が駐車できるスペースがある。
行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     市民の森入り口→(70分)→盤渓山山頂→(50分)

時 間  上り(1時間10分)  下り(50分)  

天 候  曇り、弱風

登山日  ‘19/07/12