田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ヘルシーウォーキング㊺ 食と自然を独り占め富良野ウォーク

2024-10-21 19:14:09 | JRヘルシーウォーキング
 いや~、寒い一日でした。遠く十勝連山の峰々には白い雪が被り、近くの山々もすっかり紅葉する中、ブドウ畑や秋まき小麦の畑の田園風景を見ながらのウォークとなった。ワインとチーズもしっかりとゲットしながら…。
           
 ※ JRウォーキングのマップでは初めて2枚組のマップでした。

 10月20日、予告どおりJR北海道の「一日散歩きっぷ」(2,540円)を利用し、JRヘルシーウォーキングの「いつでもウォーク」として設定されている富良野コースを歩いた。
 「なぜわざわざ遠く富良野まで出かけて歩かねばならないの?」と事情を知らない方は訝るかもしれない。趣味の世界というのは、関心がない人にとっては「何が面白いの?」ということになる。
 私の場合は、昨年からこのJRウォーキングに取り組んでいるのだが、このJRウォーキングはポイント制を採用しているところが参加者をくすぐるのだ。私は昨年30ポイントを獲得し、主催者からささやかなプレゼントをいただいた。今年も「ぜひ30ポイントを!」と思い取り組み始め、春先は順調に道内各地を巡りポイントも積み重ねだのだが、途中から「さっぽろラウンドウォーク」にも取り組み始めたために、こちらの方がおろそかになっていたのだ。ウォーキングシーズンも終わりに近くなり、慌てて帳尻を合わせようと思い始めて、まだ歩いたことのない富良野コースを選択したということなのだ。
 昨日の朝、札幌駅発6時35分の鈍行列車に乗り、岩見沢、滝川で乗り継いで富良野駅に到着したのは10時46分だった。(鈍行列車は辛い!滝川駅で1時間半も待たされた)

    
    ※ JR富良野駅です。駅内には「駅そば」が開店していました。

 駅そばで腹ごしらえをしたり、トイレを使ったりしてスタートは午前11時富良野駅前をスタートした。

    
    ※ 富良野駅からは西側と南側に駅前通が伸びといるが、写真は西側の駅前通です。

 すると厚目のアウターを羽織っていたのに「寒い!」のだ。それもそのはず、遠く十勝連峰の峰々は白い雪が被っていたのだ。この日私が札幌を出る時も雨が霰に変わり道が白く染まり始めていた。

    
    ※ 十勝連峰の峰々はすでに真っ白くお化粧をしていました。

 ルートは駅前から直ぐに郊外の田園風景と変った。初めは普通の畑作地帯だったが、しばらく進み道を折れ曲がると、周りは一面ブドウ畑に変わった。富良野市のウリの一つである「富良野ワイン」の原料となるブドウ畑が連なる道を歩いた。

    
    ※ 写真のようなブドウ畑が延々と伸びていました。

 そのブドウ畑の中にたくさんの車が駐車している「カンパーナ六花亭」が建っていた。「カンパーナ六花亭」は、本業の菓子の販売はもちろんのこと、ちょっとオシャレなランチの場ともなっているようだ。六花亭は札幌でもそうだが、ちょっとハイクラスなお店づくり長けているように思える。ここを通った時、ちょうど正午だったのだが、建物の一部に鐘楼があり、正午を伝える鐘が鳴り渡った。

    
    ※ たくさんの車が駐車している「カンパーナ六花亭」です。鐘楼は写真の右側に建っていました。

 さらにその先には「ふらのワイナリー」の工場が建っていたが、先を急ぐ私は工場には寄らず通過した。

    
    ※ 「ふらのワイナリー」の建物です。

 ルートは街中近くの住宅街に導かれ、さらには街中へと一時戻ったが、そこには「富良野神社」が建ち、さらにその向かいには「富良野小学校」が建っていた。その小学校の校庭には「北海道中心標(正式には、「北海道中央経緯度観測標」)」という高さ4m、重さ34トンという大きな標石が置かれていた。富良野市は「へそのマチ」として知られているが、その由来がこの中心標が立てられていることによるようだ。

    
    ※ 富良野神社の第二鳥居と本殿です。
    
    ※ 富良野小学校の校庭に立てられていた「北海道中心標」です。
    
    ※ 中心標の傍には「北海へそ祭り」をPRする人形も立っていました。

 ルートは富良野の道の駅的存在でもある「ふらのマルシェ」という富良野地方の産品を一堂に並べて販売するマーケットであるが、ここも私は一度訪ねたこともあり、時間的に余裕もなかったのでパスして先へと進んだ。

    
    ※ 「ふらのマルシェ」は大盛況のようで、第二会場も建設されました。

 ルートはまたまた田園地帯へと導かれる。ほとんど休みらしい休みもとらず10キロ近くも歩き続けたことでかなり疲労がたまってきたようだった。畑は収穫が終わり、整地されていて単調な風景だった。中に一部緑色の畑が見えたが、秋まき小麦が芽を出した状態のようだった。

    
    ※ 秋まき小麦の畑では?と思われますが…。

 ルートの目的はただ一つ、畑作地帯の先にある「富良野チーズ工場」を目ざすことだったが、疲れた体にはこれが遠かったぁ…。畑作地帯の外れ小高い丘の中腹にそれはあった。日曜日とあって観光客がたくさん詰めかけていた。私はこうした時に、土産などは購入しない主義なのだが、せっかくの記念とあって妻に富良野ワインとここの工場で生産されたチーズをお土産を購入した。

    
    ※ 「富良野チーズ工場」の庭(写真上)と工場・売店の建物です。
    

  あとは一部来た道とルートは違ったが、一路約4キロをゴールの富良野駅に向かって歩み続けるだけだった。

    
    ※ 富良野駅から南に伸びている駅前通です。こちらがメインかな?とも思われました。

 ゴールの富良野駅に着いたのは午後2時40分。つまり所要時間3時間40分を要したのだった。コースは約15キロということだったが、途中私の地図読みの甘さから2度ほどルートを間違えてあちこちと彷徨ったこともあり、私の歩測計では約17.5キロと出ていた。
 富良野市での滞在時間は4時間15分。私はその大半を歩いていたことになる。そして札幌からは遠方ということで2ポイントを獲得し、札幌駅へは午後6時47分に帰り着いたのだった。

        ※ 若い頃、何度も何度も、何度も滑った富良野スキー場(旧称:北の峰スキー場)です。

 私は今後さらに2コースのJRウォークを予定している。なんとか目標の30ポイントを獲得できるのではないかと計算している。
◇ウォーク実施日  2024年10月20日(日)
◇歩いた距離    約15.0 km

“回想法” って何だ??

2024-10-20 04:38:09 | 講演・講義・フォーラム等
※ 本日は他人から見れば “なんて酔狂な!" と思われるかもしれないが、朝早くから富良野に列車で向かい、JRウォーキングをやって、夜8時過ぎに帰宅予定である。そのため予めブログを投稿してから出かけることにしました。

 “回想法” などという言葉は私にとっては初耳だった。“回想法” はどうやら我々高齢者にとっては脳を活性化させるための有効な手段のようだ。この分野では国内でも高名な方のお話を伺った。

     
 昨日(10月19日)午前、札幌学院大学新札幌キャンパスにおいて「札幌学院大学心理臨床センター市民講座」が開講され受講した。講座のテーマは「高齢者の語りと回想法~豊かな今とこれからに向けて~」と題して上智大学名誉教授で、黒川由紀子老年学研究所々長である黒川由紀子氏が講師を務められた。
 黒川氏の講義は2時間にわたるものだったために、回想法を含めた高齢者に関わる多岐のことに及んだが、ここでは私が把握することができた “回想法” に絞ってレポすることにする。
 そもそも “回想法” とは、アメリカの精神科医であるロバート・バトラーが提唱した心理療法の一つだそうだ。
 その “回想法” を一言で言い表すと「昔の懐かしい写真や音楽、昔使っていた馴染み深い家庭用品などを見たり、触れたりしながら、昔の経験や思い出を語り合う心理療法の一つ」だという。
 そしてその効用は、「昔のことを思い出して言葉にしたり、相手の話を聞いて刺激を受けたりすることで脳が活性化し、活動性・自発性・集中力の向上や自発語の増加が促され、認知症の進行の予防となります。また、昔の思い出に浸り、お互いに語り合う時間を持つことで精神的な安定がもたらされる」ということのようだ。
 その方法には「マンツーマンで行う個人回想法と10名前後で行うグループ回想法がある」という。

    
    ※ 講演する黒川由紀子氏です。

 黒川氏は云う。人間には「流動性知能」「結晶性知能」と二つの知能が存在するが、「流動性知能」とは、処理のスピード力、直感力、図形の処理能力、法則を発見する能力などを差すが、対する「結晶性能力」とは、言語能力、洞察力、創造力、内省力、コミュニケーション力などを差すという。その二つの知能のうち「流動性知能」は加齢と共に衰えていくのに対して、「結晶性知能」の方は高齢となっても維持され、安定する傾向があるという。高齢者は、「結晶性知能」の方を維持するためにも“回想法”を採り入れるべきであるというのが黒川氏の主張と理解した。
 そして黒川氏は、“回想法”の特性を次のように説明された。
 「昔の思い出は、高齢者の方が今まで歩まれてきた人生そのものであり、昔を懐かしんで話をされている時は、自然と穏やかな表情になっていらっしゃることでしょう。語り合う相手がいれば、喜びや幸せな気持ち、大変だった経験を乗り越えてきたことも一緒に分かち合い、充実した時間を過ごすことができます。楽しかったこと、辛かったこと、家族や友人とのエピソード、生き抜いてきた社会的背景など、人それぞれ過ごしてきた時間は異なります。今までの自分の人生を振り返り、人生を再確認することで、現在の自分も肯定的に受け入れやすくなります。昔の思い出に親しむことはごく自然なことであり、回想法は今の自分を認め、人生を豊かにするための手段のひとつとも言えるでしょう」と…。
 この後、黒川氏は実際に実施した体験談をいつか紹介してくれた。
 黒川氏のお話を聴いていて、私が所属する「めだかの学校」で今取り組んでいることが多少関係がありそうだな、と思えてきた。
 というのも、「めだかの学校」では今年度下半期の学習プログラムの一つに「めだか会議 放談会」というプログラムを開始した。このプログラムはテーマを決めて、会員があれこれとテーマに関して喋り合うというものである。拙ブログにおいて先日も投稿したが、10月のテーマは「私の健康法」だった。これは“回想法”とは結び付かないが、今後のテーマの中には「私の忘れえぬ思い出(旅、食、出来事、他)」とか「私が名作だとお勧めできる作品」、あるいは「北海道内のお勧めスポット」などは、それぞれの過去のことを語ってもらうものである。
 これらは必ずしも“回想法”のねらいと直結するものではないが、ある種繋がっている部分も感ずることができる。
 今回“回想法”のことを学び、会員の発言を肯定的に受け止めるよう努めることによって、会員一人ひとりが自らを肯定できる機会となれば嬉しいかぎりである。そして将来は「めだかの学校」においても“回想法” そのものを実践してみたいと思わせてくれた講義だった。

またまた感動!札幌大谷高校音楽科演奏会

2024-10-19 16:29:13 | ステージ & エンターテイメント
 先月の北星女子高校音楽科の演奏会に続いて、今回は札幌大谷高校音楽科の演奏会を聴かせていただく機会があった。音楽の専門家を目ざす(?)彼ら、彼女らの演奏は真剣そのもので難度の高い曲目に挑む姿に感動を覚えた。

   

 昨夜、札幌コンサートホールKitara(今回は大ホールではなく小ホールでの演奏会だった)において札幌大谷高校音楽科の第39回定期演奏会があり、知人が入場整理券を入手してくれたので演奏会を聴く機会に恵まれた。
 今回の演奏会も北星女子高校と同様、音楽科生徒52名の校内オーデションを経たうえで選抜された10名がソロで演奏を披露したそうである。例によって演奏された曲目と独奏、独唱の違いを紹介すると…、(演奏した生徒名は割愛)
 ① F.リスト/即興的ワルツ S.213  (ピアノ独奏)
 ② パイジェッロ/もはや私の心には感じない 他(ソプラノ独唱)
 ③ F.リスト/ハンガリー狂詩曲 第6番  (ピアノ独奏)
 ④ J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 他(サクソフォン独奏)
 ⑤ ラフマニノフ/《楽興の時》第1番 変ロ長調 Op.16-1  (ピアノ独奏)
 ⑥ ラヴェル/《スペイン狂詩曲》より「祭り」  (電子オルガン独奏)
〈 休  憩 〉
 ⑦ 田中喜直/《たんぽぽ》 他(ソプラノ独唱)
 ⑧ J.ユー/《ファンタージー》  (フルート独奏)
 ⑨ バルトーク/《戸外にて》より1.「笛と太鼓で」 他(ピアノ独奏)
 ⑩ A.トマジ/《バラード》  (サクソフォン独奏)
 ⑪ プロコイエフ/4つの練習曲 第2番 Op.2-2 e-mooll  (ピアノ独奏)
そして最後に音楽科生徒52名による合唱曲2曲が披露された。その曲目は…、
 ◇武満徹/ 混声合唱のための《うたⅡ》より「死んだ男ののこしたものは」
 ◇上田真樹/混声合唱とピアノのための組曲《夢の意味》より「4.夢の意味」「5.
夢の名残」
 以上だったが、北星女子と違い大谷高校は共学ということもあり、男子生徒の出演ももちろんあった。④、⑤、⑪は男子生徒の演奏である。
 私はいつもこの種の演奏会を聴くときに、私なりの感想をプログラムにメモするようにしているが、今回も逐一演奏ごとにメモし続けた。
 そのメモをもとに私なりの感想を述べてみると、第一にピアノ独奏はいずれもが難しい曲に挑戦していたのではないか?と思われたことだ。いずれの演奏者の曲も、非常に速い運指を必要とする曲だったが、さすがに高校生ともなると「凄いなぁ」と率直に関心した。ただ、それがソプラノ独奏となると、大人の声とは違い成長途上の声という印象は否めなかった。しかし、それは人の成長に伴って肉体が変化していくことに伴うものだから致し方のないことでもある。サクソフォン、フルート、電子オルガンについても、各人が高度な技を獲得して演奏に臨んでいたと思えた。
 そして北星女子のときと同様、各人が演奏する曲目をどのように解釈し、どのように演奏しようとするのか、その思いをプログラムに寄せていたが、それぞれが演奏する曲目を深く理解して演奏に臨んでいたこと窺わせてくれた。
 いずれにしても、将来的に音楽の専門家を目ざしているであろう若い高校生たちの真摯な努力の成果に触れることができ、満ち足りた思いでKitaraを後にした。

 

初めての冬囲い

2024-10-18 15:00:23 | ボランティア
 “初めてのお使い” ならぬ “初めての冬囲い” である。慣れぬ手つきながら、なんとか恰好だけは整えた。しかし、実際に幼木は無事に冬を越すことができるのか?その答えは来春になるまで分からないのだが…。

 本日午後、私にとっては人生初めての「八重紅枝垂桜」の幼木の冬囲いに挑戦した。
 というのも、15年間継続してきた道立近代美術館前の歩道の清掃ボランティアだが、(そのボランティアについては拙ブログで折に触れて投稿してきた)会員の高齢化によって今秋をもって終止符を打つことにした。残念だが、高齢化は抗しがたい現実である。
 そこで会の会費に若干余剰金があったことから、「活動を続けてきたことを記憶に残すため、記念の植樹をしよう!」ということになった。樹種は私の希望も入れてもらって「枝垂桜」にすることになった。

    
    ※ 樹名板は東急ハンズで制作しました。

 ネットを通じて小さな幼木を入手し、9月末に会員の手によってマンションの庭に植樹した。植樹して3週間が経ったが、今のところ順調に育っているようである。

        
       ※ 購入した枝垂桜の幼木です。無事に育ってくれますように…。

 そこで必要となるのが雪国寒冷地である札幌においては “冬囲い” が必須である。市の緑のセンターに出向いて、指導員の方から冬囲いについてレクチャーを受け、ホームセンターに行って器材を購入した。購入したのは「サンムシロ」という石油由来のむしろ、風除けネット、ネット張り用支柱、結束バンド、などである。
 まずサンムシロで枝垂れ桜の幼木を覆い、棕櫚縄を使って結わえた。

    
    ※ まずサンムシロで幼木を覆いました。

 続いて、その周りを覆うように支柱を立てて風除けネットを巡らし、結束バンドで支柱に結わえた。

       
       ※ サンムシロで覆った幼木をさらに風除けネットで覆いました。 

 と書くと、なんとなく冬囲いが立派にできたように聞こえるかもしれない。 
 しかし、この出来具合で、厳しい札幌の冬の気候に耐えうるのか?と問われるといささか自信がない。何せ素人仕事なのだから…。
 冬本番を迎えて、吹雪のために風除けネットが吹き飛んでしまうかもしれない。それくらいあやふやな作業で自信がないのだ。もし吹き飛んだから、冬の最中に補修作業に追われる羽目となるかもしれない。
 心配の種は尽きないが、“その時はその時” と腹をくくってこの冬を過ごすしかないかなぁ、と思っている。そんないささか自信のない “初めての冬囲い” でした…。

「命の嘆願書」の著者が語る

2024-10-17 16:59:50 | 講演・講義・フォーラム等
 戦争とはなんと非人間的な行為なのか、私のような者が軽々しく云うべきではないのかもしれないが、敗戦国となった我が日本の旧ソ連抑留者の中に、仲間のために自らの危険も顧みず、抑留国政府に嘆願書を送りつけた三人の日本人がいた。著者はその埋もれていた事実を執念の追跡で事実を明らかにした。

   

 昨夜、自治労会館において今年度第1回目の「労文協リレー講座」が開催された。第1回目は「『命の嘆願書』が訴えるもの~モンゴル・シベリア抑留の物語」と題して、元読売新聞記者の井出裕彦氏が講師を務めた。

   
   ※ 講演をする井出裕彦氏です。

 「命の嘆願書」とは、第二次世界大戦によって敗戦となった日本軍の兵士は旧ソ連全域とモンゴルに57万5千人が抑留された。そして抑留中の死者の数が5万5千人にも上ったという悲惨な事実があったのだが、その中でモンゴル抑留者の中には日本兵のみならず民間人も多数含まれていたという。(モンゴル抑留者1万4千人中、約1割が民間人だったそうだ)
 著書はモンゴルに抑留された日本人のリーダー3人が、自らの危険も顧みず旧ソ連政府に嘆願書を送り付けたという事実があったことを知った。歴史に埋もれようとしていたその事実を著者は執念の追跡でそれを明らかにした書なのである。
 その著書を紹介する記事を転写する。

  飢餓、極寒、重労働──。
  「殺してくれ」凍傷に倒れた同胞は死を願った。
  生き延びるために、抑留国政府を相手に
  自らの危険を顧みず嘆願書を送りつけた三人の日本人がいた。
  本書は、国家機密の壁を越え、その闘いを緻密に追跡した
   元読売新聞記者による135万字の記録である。

 著者である井出裕彦氏は現役の読売新聞社時代にモンゴル抑留者のことを知ったようだ。そしてモンゴル外務省中央公文書館において、3人の日本人が作成した嘆願書の存在を確認したという。井出氏はこの事実を発掘することをライフワークとする決心を固め、新聞社を辞し、一人で取材を進め、3年間にわたる執筆作業によって135万字にも上る大書を上梓したのである。
 自らの危険を顧みず嘆願書を送りつけた三人の日本人とは、
 ◇満州熱河省日本人居留民団長 久保昇 氏
 ◇ウランバートル収容所日本人部隊指揮官 小林多美男 氏
 ◇日本人向け病院部隊の軍医 木本隆夫 氏  
の三人である。

   

 嘆願書は公文書館において9通が見つかったという。その内容は、久保氏の名による「民間人の抑留は国際法違反であり、捕虜の扱いを受けるのは了解できない」として早期の本国帰還を求めたもの。一方、小林氏、元木氏の嘆願書は、モンゴル到着後、日本人抑留者の間で相次いだ凍傷に対する緊急対策を求めたものだった。
 その見返りはやはり厳しく、3人は投獄されたり、帰国が他より遅らされたりした。特に小林氏は過酷な取り調べを受け「水牢」に4ヵ月以上も収容されたりもしたという。
   
※ 久保氏が提出した嘆願書の写しです。

 著者の井出氏は何度か公文書館に足を運ぶうちに抑留者の中で、現地で死亡した283人(その後の再調査でさらに分かった67人も加え)の「死亡診断書」、「死亡証明書」を見つけて、その写しを自費で入手し、著書にそれらの方々の氏名を公表し、ご遺族に死亡記録(写し)を無償提供することを現在も続けているという。

   
※ 135万字とは、新書版に換算すると実に30冊分に相当するという大書であるという。

 話は多岐にわたったが、講演の趣旨は以上のような内容だった。私はお話を聴きながら、確か小学校の低学年の頃だったと思う。ラジオから流れてくるソ連、中国、朝鮮などから引き揚げてくる人たちが帰港する「舞鶴港」からの実況中継していたアナウンサーの声が忘れられない。帰港する方々の数奇な運命など分からないまま、アナウンサーの方が興奮した声で語る声が耳に残っている。その中に、モンゴルで苦しまれた方もいらっしゃったのだろうか…。
 なお、講師を務められた井出裕彦氏は読売新聞社退社後、その理由は語られなかったが、現在は石狩管内の当別町に居を移して、当別町を拠点に活動を続けているそうだ。身近なところに、素晴らしい生き方をされていることを知り、大いに刺激された。

 ※ 実は、私が井出氏のお話を伺うのは7月24日に続いて2度目である。

山岡荘八著「徳川家康」に熱中しています!

2024-10-16 15:39:23 | 本・感想
 “何を今さら” と揶揄されるかもしれないが、この歳になってようやく歴史物に興味を抱きだしたという極晩熟(ばんじゅく)の私である。山岡荘八全集の中で「徳川家康」編は26巻あるのだが、現在8巻まで読み進めた。面白い!熱中しています。

 ある時、某氏と話をしていた際に、私が「山岡荘八の伊達政宗を読んでいる」と話したところ、その某氏が「じゃ、次は徳川家康だね」と言われ、主体性のない私は某氏のお勧め通りに「徳川家康」に手を染めたということなのだ。

   
 いや~、実に面白い!その第一の要因は山岡荘八の筆致の巧みさに私が単純に酔っているということなのだが、人の命を虫けらのごとく扱う戦国時代において、家康の戦略家のとして読みの鋭さ、そして人間としての奥の深さが私にはとても興味深い。
 第1巻「出生乱離の巻」
 第2巻「獅子の座の巻」
 第3巻「朝露の巻」
 第4巻「葦かびの巻」
 第5巻「うず潮の巻」
 第6巻「燃える土の巻」
 第7巻「颱風の巻」
 第8巻「心花の巻」
と読み進めてきたが、第8巻において風雲児とも称された織田信長が京都「本能寺」において家臣であった明智光秀の謀反によって倒されたところである。

   
 考えてみると、戦国時代において全国制覇を狙っていた今川義元、武田信玄、そして織田信長といった傑物たちが次々と倒れていった時代である。その時代を生きた徳川家康自身がどう考えていたか知る由もないのだが、少なくとも表面上はけっして野心を剥き出しにするようなことがなかったのは事実のようだ。

   
 物語はまだ1/3も読み進んでいない。この後、残った羽柴秀吉とどのような丁々発止を繰り広げてゆくのか、いやいや家康のことだから柳の木が風に逆らうことなく流されるようで、流されることなく、自らの意志を深く潜航させながら貫いていく様がどのように描かれていくのか興味を持ちながら読み進めたい。
 とは云っても、私の読書時間はけっして多くはない。だいたいが寝る際に睡眠薬代わりに読むことがほとんどであるうえ、遅読ときているから、遅々として先へ進めないのが現実である。残り18巻の完読が何時になるのか?予測もつかない。おそらくお正月を過ぎてもまだまだその途中であろう。今のペースなら来年一年間はかかるかなぁ…。
 私のペースで、焦ることなくじっくり味わいながら読み進めたいと思っている。

あなたの健康法は?「めだか会議 放談会」

2024-10-15 16:44:30 | 「めだかの学校」関連
 めだかの学校の会員の方々が実に多彩な健康法を実践していることを知ることができた!食事に気を付けている方、体力づくりを計画的に実践されている方、積極的に外出し講座、講演を聴いている方、人それぞれであったが参考になることが多かった。

 私が所属し、代表を務めているシニアの生涯学習グループ「めだかの学校」では、本日より今年度下半期の学習企画を実施することとなった。下半期は二つの企画を実施することにしている。
 その一つが、「めだか会議 放談会」と称して、テーマを設定し、そのことについて会員同士が自由に発言し、交流を図るというものである。
 そしてもう一つが、「DVDフォーラム」と題して会員所蔵のDVDを視聴して感想を語り合うという企画で、両者を交互に月に1度ずつ実施していく計画である。
 本日はその初回として「めだか会議 放談会」が「私の健康法」をテーマに交流を図った。
 すると、めだかの学校の会員は “意識高い系” が多いのか、次々と自らの健康法を語ってくれた。

   

 曰く、食事(特に朝食に)に必ず体に良いもの(酒粕、玉ねぎ、ヨーグルト、ブロッコリー等)を採り入れているという人、3食をしっかりと摂るよう心がけているという人、玄米採食を摂っている人、と様々ではあったがいずれもが “健康の源は食事である” ということを意識し、食事には特に注意を払っている方が多かったようだ。
 続いて、運動である。こちらはラジオ体操、そして歩くことを心がけている方が多かった。年代としてはそれが妥当かな、と思われた。中にはボランティアに取り組むことで自然と身体を動かすことに繋がっていると発表された方もいた。
 さらにボケ防止のために、新聞の社説や歳時記の書写を習慣化している人、積極的に講演・講座の受講を心がけている方。また、 “健康検診” の必要性を主張する方も多かった。そして「めだかの学校」に参加することによって交流を図ることができていることに感謝する言葉もあった。
 私は?というと、ふだんあまり健康法を意識することなく暮らしている自分に気付いたが、最近少し体力の衰えを感ずることが多くなってきたので、自分はふだんどうしているのかについて振り返る良い機会だった。
 そうして振り返ってみると、食事に関しては毎朝一杯のトマトジュースを飲むことと、朝食後にヨーグルトを摂ることをここ20数年間継続していることに気付いた。食事自体については妻に任せっきりであるが、食卓にはいつも多品種の食品が並べられていることが健康に繋がっているものと妻には感謝している。
 運動については、近年はやはり “歩く” ことが中心となっている。しかし、毎日決まった歩数を歩くという方法ではなく、その日その日によって歩く距離も、歩くところもマチマチである。ただ、スマホの歩数計を見るかぎり今年の一日平均歩数が今のところ一万歩を超えているのでまずまずかな?と思っているところだ。ただ、筋肉系の運動が不足していることが反省点である。
 また、ボケ防止という点では、札幌に住んでいるアドバンテージを活かして積極的に講座、講演、そしてステージにと毎日のように歩きまわり、それをブログとして投稿していることがボケ防止に繋がっているのではと思っているところだ。
 私の反省点としては、もっと意識を高く持って意図的な健康法を実践することかな?と反省しているところである。

   

 放談会は自分の実践していること交流し合い、そこから学ぶことを狙いとしているが、今回はゲストに招いた道民カレッジの事務局(生涯学習振興課長)の方のアドバイスもいただき、実り多い放談会になったと振り返っている。今後の「放談会」も楽しみになってきた。

ついに完成!さっぽろラウンドウォーク セクション10

2024-10-14 19:30:37 | さっぽろラウンドウォーク
 70代のお爺たちがさっぽろラウンドウォーク140キロをついに完成することができた!最後のセクション10は、距離こそ約16キロと長かったものの、セクション9、2と険しいルートを体験したお爺たちにはむしろ易しいルートに映ったのではないだろうか?

     

 本日、ラウンドウォークの最後となるセクション10(すずらん公園渓流口 ⇒ 真駒内駅)を実施した。参加者はこのところのいつものメンバー6人が顔を揃えた。コンディションは絶好の秋晴れに恵まれ、私たちの最後を後押ししてくれた。
 9時20分、地下鉄「真駒内駅」に集合して、直ぐにバスに乗車してセクション10のスタート地点の「すずらん公園渓流口」に降り立ち、それぞれ準備して10時05分にスタートした。

   
   ※ 晴天、そして適度な冷気の中ラウンドウォークの始まりです。

 最初はすずらん公園沿いを走る道々453号線を15分ほど歩き、最初のポイント「真駒内滝野霊園」に導かれた。ルートは霊園を縦断するように設定されている。メンバーはお墓を横目に歩くが、さまざまな形のお墓がきれいに立ち並び、霊園の名のごとくまるで公園内を歩くように楽しんで歩いているようだった。

   
   ※ 真駒内滝野霊園内を往くメンバの方々です。

 霊園内の名所(?)の一つ「八角堂」のところでは、大きな鐘が釣り下がっており「一突き100円」と案内が出ていたので、100円を集金箱に入れ一突きさせてもらった。

  
    
    ※ 大鐘を突く私です。

 その後、さらに霊園の名所となっている「ストーンヘンジ」、「頭大仏」、「モアイ像」などを巡って歩いた。メンバーの中には初めて訪れたの人もあり、一つ一つが珍しいためか、なかなか前に進めず、時間がかかってしまった。

   
   ※ 真駒内滝野霊園の名物、モアイ像の前で記念写真を撮りました。

 霊園を後にし、再び道々453号線沿いを往き、今度は新興住宅地の「サンライズ真駒内」に導かれた。この時すでに11時45分。「真駒内 虹の緑地」という名の公園風のベンチで一休みすると、メンバーから「ランチにしよう!」との提案がありランチタイムとした。

   
   ※ 屋根が付き、陽光を避けての昼食です。

 ランチの後、「サンライズ真駒内」を縦断し、またまた道々453号線に出て、「札幌芸術の森」、「関口雄輝記念博物館」などを横目に見ながら、「札幌市立大学」へと歩を進めた。「札幌市立大学」は「真駒内川」の河岸段丘のような形状を利用して校舎を建築しているユニークな校舎であるが、ここも横目に見ながら先へと歩を進めた。
 そしてルートは道々453号線の裏側を流れている「真駒内川」沿いを往くルートを淡々と進んだ。途中、川沿いに造られた「石山こだま公園」で休憩を入れた後、今度は道々453号線を跨ぎ、札幌のユニークな公園として知られる「石山緑地」へと導かれた。「石山緑地」は「札幌軟石」を掘り出した跡を公園化したところであるが、初めての人もいたのでコースを若干外れたが、公園全体(南ブロック)を見て回った。

    
    ※ 石山緑地内の中心「ネガティブマウンド(石の広場)」です。

 その後、石山地区市街地に建つ、歴史的建造物である「旧石山郵便局(ぽすとかん)」、「旧定山渓鉄道石山駅」を眺め、さらには「旧定山渓鉄道線路跡」も見ながら、地域の公園である「石山北公園」内を進んだ。
 「石山北公園」から、道路が幾重にも交差する「石山陸橋」を潜り、「北海道警察学校」を左手に見ながら進んだ。ここの歩道がユニークで、道路とは段差があり、森の中の一部を歩くような造りになっていた。
 そして最後は、地下鉄「真駒内駅」裏に広がる通称「桜山」(正式名:真駒内保健保安林)内を進んだ。緑に囲まれた「桜山」は地域住民の恰好な散歩道ともなっているようだった。

   
   ※ 「桜山」内の散策路を往くメンバーの方々です。

 そして「桜山」から道路に導かれると、そこはもう地下鉄「真駒内駅」のすぐ傍だった。
 ゴールにたどり着いたのは14時45分。昼食、休憩時間も含め4時間40分のウォーキングで、マップ上の距離は約16kmだが、私のスマホの歩測計では約18kmだった。

   
   ※ ゴールの地下鉄「真駒内駅」前で、最後の記念写真を撮りました。

 リード文でも触れたが、前回(セクション2)、前々回(セクション9)と比べると、今回のセクション10は起伏も少なく、気象条件も最高で、全員が気持ち良く最後のウォーキングを楽しめたようだった。
 とはいっても、メンバーの年齢が年齢である。一人Y女史だけは60代だが、男は皆70代である。平均年齢を計算してみたところ76.2歳と出た。この年齢で毎回10キロ以上の距離を歩き続けたのだから、私たちは自らを誇ってよいのではと思っている。
 最高齢のN氏からは、早くも来年の企画の提案を口にされた。今はひとまず、計画をやり遂げたことの充足感を味わいたいと思っている。

浪曲を倣ってみた、味わってみた

2024-10-13 13:45:28 | 講演・講義・フォーラム等
 浪曲などという話芸に直接に接する機会などこれまでの私にはなかった。それがこの度、プロの浪曲師を前にして、その節を真似たり、本物の語り芸のさわりに接する貴重な機会を得た。

 昨夜(10月12日)かでる2・7において、北海道文化財団が主催する「北芸亭・寄席演芸講座」の第3回講座が開催され参加した。(過去2回の講座はスケジュールが合わず参加できなかった)第3回目の今回は「玉川太福/曲師・玉川みね子「浪曲入門講座 3」という講座だった。玉川太福は関東の浪曲界にあって若手の出世頭と目されている有望株だそうだ。

       

 玉川太福はまず、日本の三大古典話芸として①落語、②講談、③浪曲、とあるが、浪曲が最も新しく明治の初めに誕生した話芸だと紹介した。
 「浪曲」の始まりは仏教の布教手段である「説教」から来ているとされ、仏教に馴染みのない聴衆に伝わりやすくするために、話す文句(説教)に抑揚(フシ)を付け、人々の情念に訴えかけるように工夫された「節談説教」が始まりとされていると説明があった。

        
        ※ この日、玉川太福はメガネをかけて登場した。

 そして「浪曲」を大衆の中に広めた浪曲の育ての親とも言えるのが「桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)」という浪曲師だそうだ。
 浪曲は一つの物語を「節(ふし)」と「啖呵(たんか)」で演ずるのだが、「節」の部分は「七五調」で演じられるところが特徴だという。「なにがなにして なんとやら」的に詠じられる。
 ここで玉川太福は玉川一門のお家芸だった「天保水滸伝」の外題付け(浪曲の歌い出し)の部分を、玉川太福に倣いながら講座参加者一同で詠じる体験をした。「利根の川風 袂に入れて……」と。素人が声に出すというのは、なかなか難しいことであるが、何度も何度も反復するうちに少しは声が出せるようになったようだ。

   
 ※ 玉川太福に倣いながら参加者が詠じた「天保水滸伝」の外題付けです。

 参加者の中にはかなりの浪曲通もいたようで、玉川太福が「一人で詠じてみないか?」と問いかけたが、さすがに皆の前で詠じる勇気を持った方はいらっしゃらなかった。
 そして講座の最後は、玉川太福が浪曲「水滸伝」を約30分間にわたって朗々と演じてくれ、浪曲の醍醐味を深く味わうことができた。

        
        ※ 曲師を務めた玉川みね子さんです。

 なお、曲師の玉川みね子は、玉川太福の師匠であった玉川福太郎、後の三代目玉川勝太郎のご夫人だというが、お二人の息のあった浪曲を深く味わうことができた一夜だった。


災害時における積雪寒冷地のリスクとは?

2024-10-12 16:23:21 | 講演・講義・フォーラム等
 我が国において最も北に位置する北海道が、もし冬季の寒冷期に地震などの被災地となった場合は大きなリスクを負うことになることは容易に想像できる。専門家から「もしも…」の場合の心がけや備えについてお話を聴いた。

 本日午前、札幌市立大学公開講座がアスティ45で開講されたので受講した。
 テーマは「積雪寒冷期の地震災害への備えはできていますか?~避難生活で起こり得るリスクと必要な備え~」と題して同大学看護学部の講師である鬼塚美玲氏が講師を務めた。

   
※ 本講座は市民の関心も高いようで満員の盛況だったが、要請に応え12月に追加開催を予定しているとのことだった。

 我が国は北海道に限らず意外に北国のようだ。鬼塚氏によると、「寒冷法(積雪寒冷特別地域における道路交通の確保に関する特別措置法)」によると我が国の中で62%が「積雪寒冷特別地域」にあたるそうだ。さらには、国交省では国土の50%が「豪雪・特別豪雪地帯」に指定されているそうだが、その中でも特に北海道では寒冷や雪による影響が受けやすい地域であることは疑う余地がないところだ。
 さて、そのような北海道においてもし寒冷期に地震災害などに遭ったら、地震による一次的、二次的被害に加え、寒冷・雪環境による影響が加わり被害拡大のリスクが増大するということも容易に想像できる。
 具体的には、避難行動ができない。避難所に入れないという避難困難。陸路と空路の制限による支援物資の到着遅延ライフライン途絶の長期化冷えた食事の摂取避難所での寒冷暴露寒冷ストレスが引き起こす健康障害低体温症脱水症・エコノミークラス症候群一酸化中毒季節性感染症の拡大。等々、実に多彩なリスクが考えられるという。
 講義はここからそうしたリスクが考えられる積雪寒冷期における備えのポイントに話は移った。大きくは次の4点について備えよう!と講師は呼びかけた。
 ① 最低一週間分を備蓄しよう!
 ② カロリー摂取&温食のための備蓄をしよう!
 ③ 様々な防寒グッズを準備しよう!
 ④ 「濡れない」準備をしよう!
 留意点としては、一般的なカセットコンロは気温5℃以下ではガスが十分に気化しないため使用しないこと。またAEDも0℃以下では作動しないことがあるので要注意とのことだ。
 耳寄り情報としては「防災アルミブランケット」が安価(300~400円)にもかかわらずコンパクトで断熱性・保温性に優れているのでぜひ備えてほしいとお話があった。

   
   ※ 講師から紹介のあった「防災アルミブランケット」です。

 講義を受けて、我が家の場合はまだまだ備えが不足していることを痛感した。「もしも」に備え、上記の4点を意識したいと思った。