浪曲などという話芸に直接に接する機会などこれまでの私にはなかった。それがこの度、プロの浪曲師を前にして、その節を真似たり、本物の語り芸のさわりに接する貴重な機会を得た。
昨夜(10月12日)かでる2・7において、北海道文化財団が主催する「北芸亭・寄席演芸講座」の第3回講座が開催され参加した。(過去2回の講座はスケジュールが合わず参加できなかった)第3回目の今回は「玉川太福/曲師・玉川みね子「浪曲入門講座 3」という講座だった。玉川太福は関東の浪曲界にあって若手の出世頭と目されている有望株だそうだ。
玉川太福はまず、日本の三大古典話芸として①落語、②講談、③浪曲、とあるが、浪曲が最も新しく明治の初めに誕生した話芸だと紹介した。
「浪曲」の始まりは仏教の布教手段である「説教」から来ているとされ、仏教に馴染みのない聴衆に伝わりやすくするために、話す文句(説教)に抑揚(フシ)を付け、人々の情念に訴えかけるように工夫された「節談説教」が始まりとされていると説明があった。
※ この日、玉川太福はメガネをかけて登場した。
そして「浪曲」を大衆の中に広めた浪曲の育ての親とも言えるのが「桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)」という浪曲師だそうだ。
浪曲は一つの物語を「節(ふし)」と「啖呵(たんか)」で演ずるのだが、「節」の部分は「七五調」で演じられるところが特徴だという。「なにがなにして なんとやら」的に詠じられる。
ここで玉川太福は玉川一門のお家芸だった「天保水滸伝」の外題付け(浪曲の歌い出し)の部分を、玉川太福に倣いながら講座参加者一同で詠じる体験をした。「利根の川風 袂に入れて……」と。素人が声に出すというのは、なかなか難しいことであるが、何度も何度も反復するうちに少しは声が出せるようになったようだ。
※ 玉川太福に倣いながら参加者が詠じた「天保水滸伝」の外題付けです。
参加者の中にはかなりの浪曲通もいたようで、玉川太福が「一人で詠じてみないか?」と問いかけたが、さすがに皆の前で詠じる勇気を持った方はいらっしゃらなかった。
そして講座の最後は、玉川太福が浪曲「水滸伝」を約30分間にわたって朗々と演じてくれ、浪曲の醍醐味を深く味わうことができた。
※ 曲師を務めた玉川みね子さんです。
なお、曲師の玉川みね子は、玉川太福の師匠であった玉川福太郎、後の三代目玉川勝太郎のご夫人だというが、お二人の息のあった浪曲を深く味わうことができた一夜だった。