東陽町 最後にご紹介するのは・・・石工 丈八(橋本勘五郎)です。
昨日ご紹介した林七の孫に当たり、全盛時代に最も活躍した一人です。
通潤橋は布田保之助の像がありますが、この人は庄屋で、実際に造った
石工は 丈八その他となっています。今までに私が紹介した中にもあり
肥後に多くの石橋を残しています。後に明治政府から呼ばれて、上京し、
「万世橋」などを造りました。橋を作ったということで「橋本」の姓を
名乗ることを許されました。
石匠館に東京で撮った写真がありましたが とてもハンサムです。
橋本勘五郎が72歳(1895年)の作品 は 「鍛冶屋自然石橋」です。
橋の長さ2.0m 橋幅1.3m 径間 1.0m
鍛冶屋自然石橋の上のほうに 昨日ご紹介した上橋が あって、そこに
「この橋を見たら引き返すこと」と書いてありました。だから一旦は引き
返しました。でもどうしても足が止まります。どうしても見たいけれど、
山の中 いくら魂を奪われていても、肝は細い・・・一人で行けません。
座り込んで考え 例のタクシーを呼び うっそうとした山道に入りました。
車を降りてわき道に入りドキドキしながら標識に沿って行きました。
橋本勘五郎が74歳(1897年)の作品 は 「大久保自然石橋」です。
橋の長さ1.7m橋幅0.7m 径間 0.8m
帰らなくてよかった。今思い出しても涙が出ます。小さな小さな石橋です。
こんな山の中で よく頑張ったね。
ご紹介したいのは この二つの石橋ですが、写真は後ほど投稿します。
何故なら こんなつまらない文章とは別に、写真だけを見ていただき
先人の功績をたたえてほしいからです。
もったいぶるようでスミマセン。文と一緒に入れるのが憚られるんです。
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