モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



鹿児島旅行も最後です。今回の旅行で1番みたい石橋が残っています。薩摩川内市です。

 私が石橋にはまった児童文学  「肥後の石工」 をまず ご覧くださいね。


これからご紹介する 江之口橋の石工は 肥後の石工 岩永三五郎 その人なんです。「江之口橋」です。





車を停めて歩きまわります。嘉永2年(1849年)架設です。160歳です。





自転車のおじさんが来て、視線がチカチカっと合いました。どこから来たか聞かれました。

どうせ分るはずないから 北九州 って言ったら 北九州のどこかって。。勤め先は若松区で隣の芦屋町に住んでいますと私。






若戸大橋を「造った」って言われました。ゼネコンのT建設に勤めていたそうです。お名前はこの橋の名前と同じなんです。





私 以前にもこういう経験をしています。橋本勘五郎の大窪橋をバスで見に行った時 帰りのバスがなかった。

非番になった産交バスの運転手さんが帰り道 拾って下さったんですがお名前が橋本さんでした。





八代の石橋の博物館 石匠館に行った時のタクシーの運転手さんは 明治天皇からご褒美に刀を貰った石工の孫さんでした。






しばらく 石橋や 若松の話をして写真を撮らせて貰い、そして橋を渡って行かれました。。遠くなって声は聞こえません。





一人で旅をすると 地元の方とのこういうふれあいが多くあります。




川の水が多かったら 水面に映って眼鏡のようになるのにと、残念そうに繰り返し繰り返し仰っていました。





この遠ざかる写真を私は5枚撮っています。



ところが ご自宅とは違う方向を私のために渡られたようで戻ってこられました。





あぁ 時間がなくなってしまった。。もう川内市は諦めて溝辺に行こう。 妹夫婦との合流地点だけど少し早いからあそこの石橋を最後にしよう。。



この方に写真をお送りしました。その時に若戸大橋の写真を同封しました。自筆でお礼のお手紙が来ました。

「若戸橋の写真も入って居りまして若い時を思い出しました。若松の人 戸畑の人たちと仲良しになり食事をしたり 酒を飲んだりしたことが昨日のように思われます。」



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