モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



この真直ぐな道 突き当りには貴布禰神社があり 石橋が2つあります。 橋を見つけた8年前は蔵内邸は個人所有で公開されていませんでした。 

この石橋は 8年前に偶然観てたんですよ。  niemonさんは観られてますけどね・・

ボランティアガイドさんがお出迎えです。  旧蔵内邸は一昨年から公開されている国指定名勝です。

 

旧蔵内邸 で検索すると たくさんあると思いますが 私は拙い写真と 自分の言葉で ご紹介します。

 

照明は明治のものだそうです。 電灯は別ですが・・・ 三つ巴の家紋がありました。 廊下の舟天井の照明 何の形ですかとガイドさん。 私はスズランと言ったんですが金魚鉢といった方が・・・

すずらん灯ですが 金魚鉢といった方の想像力が素晴らしいと思いました。

 

今まで 蔵内邸に行った人が 口を揃えて 伊藤伝衛門邸とは比べ物にならんくらいよかった・・・といいます。  築上町より飯塚のほうが近いし親近感もあるから そうなん~? という感じでしたが説明を聞いて納得

組子欄間・・・日本の職人さんの技術は素晴らしい・・

 

伊藤邸は 白蓮さんを迎えて生活をする場所  蔵内邸はお客様を迎える迎賓館 だそうです。 そもそも比べちゃいけない。。

それにこの建物は築上町ですが 炭鉱は筑豊にあったそうなんです。 すっきりしました。

欄間はそれぞれ趣向を凝らしたものでした。 上段左 蓮欄間  下段右 彫刻なんだけど背景は隙間 つながってる面積は狭いです。

 

床の柱 石に埋め込んだように見えるでしょう? 目で見てもそうなんですが それじゃ雨水が入って腐るそうなんですよ。 だから石に合わせて木のほうを削ってるそうです。

 

長い廊下ですが 長い1本の木が使われてます。 ガラスは古い建築物で観られた方も多いと思いますがちょっと歪んで。。。というか段がついています。。

 

 

ガラスといえば お風呂屋洗面所のガラスは 中が見えないようになっています。 すりガラスじゃなく ケソウガラスと言われました。 ガイドの方に どんな文字か聞きましたら 結霜(けっそう)ガラスでした。

 

そして・・・洗面所は大理石・・・

 

お手洗いは・・・ 組子の壁と窓  陶器の便器  外の手洗い場も・・・ 茶室は当たり前だけど お手洗いまで。。

 

部屋の中からお庭を見たら 池があります。 部屋を移動しながら 三つの橋を見ました。

 

贅を極めた建物は どんだけ書いても足りません。 玄関を出たら お庭の門があります。 石橋も外からみてまたご紹介します。

 



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遠賀川 河口から2番目の橋芦屋橋です。  芦屋町内だけで繋がった橋は 前回ご紹介したなみかけ大橋と この芦屋橋 だけです。 

毎年 精霊流で賑わう橋です。 花火大会もここです。

 

時の経過の速さに唖然としています。 ”この橋が開通したのは2年じゃないよねーもう3年か~#” と思って このブログで検索 5年も前のことでした。

2010年10月31日 開通式での・・親子三代渡り初めのもようです。 

 

 

物心ついたころから通った芦屋橋のほかに 折れ橋 と言ってる橋がありました。 それが古い蘆屋橋 親柱が保存してあります。 芦屋側 これは知ってました。

 

今回の遠賀川遡上は・・・・・ 【淡彩スケッチ画文集 遠賀川ふるさと散歩】 西川幸夫さんの美しいスケッチ画をもとに その同じ位置に立つ という試みなんです。 そしたら違うんですよね~ 対岸にもあるって知りませんでした。

私なら 多分 奥行きのない この平べったい親柱の絵を描くでしょう。

 

でも・・・・画家は違うんですね~ 船や車やごみはなかったことにして この角度の絵を描かれてました。 旧芦屋橋(芦屋町山鹿)です。

 

そこに立ってみて 初めて 私が生まれる前にあった ガラス越しの蘆屋橋と対面しました。  文字を入れたのは そこにカメラを持った私の顔が映り込んでいたから・・・

 

前回は 遠賀川を隔てた 向こう側 の景色でしたが 橋のこちら側 の景色です。 芦屋橋と なみかけ大橋 の間

ここは親しい同級生の実家です。 裏側は海に面して 船が家の中に入ってきてました。(子供の目にはそう見えました。)

旧唐津街道・芦屋宿 (芦屋町西浜町)です。

 

 

 

そして岡湊神社 それこそ 物心ついたころから おぎおんさん の祭りに行ったり 境内でサーカスもやってました。

文章の中で 大崎好一さんが芦屋歌舞伎について書かれています。 芦屋歌舞伎役者町跡 の石碑です。

 

岡湊神社と芦屋歌舞伎 (芦屋町船頭町) です。

 

そして 遠賀川河口から3番目の橋 河口堰管理橋 人は通れます。 芦屋町と 水巻町に架かっています。

 

2回に分けて 芦屋町の景色をご紹介しました。画家の立ち位置を探すのは骨が折れるから 続きはいつになるかわかりませんが

ゆっくり探したいと思います。

 

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偶然通りかかって 田植えの写真を撮った あの日から・・・4ヶ月以上経った11月2日です。  隣町の内浦小学校の稲刈りを見に行くことができました。

最近は不審者も多く 学校は神経を尖らせているんでしょうが 連絡くださいました。 早めに行ったら機械で刈っています。 子供たちに刈りやすいところを残して少し刈っておくそうです。

 

農家の方たちに説明を聞いた後 稲刈りの始まりでーーす。 カマはケガしないように こういう風にするんだよ。 

 

最初は ギーコギーコしてましたが みんなだんだん慣れて、切れるようになりました。 私もしたくてたまりませんでした。

 

落とさないように しっかり持って・・・

 

 

よいしょ よいしょ・・・・

 

 

持っていったら 走~って 戻って また刈らなくっちゃ・・・

 


少し身体を低くして待って受け取る・・・この方は 先生だろうなぁと思いました。

 

 

先生に渡したら 農家の方に渡して 機械に入れる・・・ これがまた優れモノでした。 周囲の田んぼは 稲刈りも済んでます。もち米だから少し遅いんだそうです。

雀がいっぱいいたからきっと毎日来てたんでしょう。案山子も作ればよかったのにね・・・

 

 

いつも言うように 私は田舎暮らしですが農業地域ではないから 田植えも稲刈りも経験はなく こういう機械も近くから見たのは初めてです。

後ろから カスが落ちてました。 

 

 

真っ青な空  ゆっくり見させてもらって帰りましたが 振り向いたら 交替の児童たちが道路で待っているのが遠くに見えました。

12月には 収穫したもち米で 餅つきをするそうです。

 

6月 田植えの写真です。 

 



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河口の町に住んで 上流はどんなだろうと思って 橋を基準にして遡上したのは2006年4月からでした。 

今回は 【淡彩スケッチ画文集 遠賀川ふるさと散歩】 西川幸夫さんの美しいスケッチ画と 大崎好一さんの興味深い文章 を読んでもう一度 遠賀川を遡上したくなりました。

最初の橋 なみかけ大橋です。

 

 

今回は 画家が選んだ立ち位置に私も立ってみようと思いました。 絵は描けませんが・・・それに 絵はコピーするわけにはいきませんが・・・・、

写真で撮ると 同じところに立って こうなります。

画文集 最初に紹介されているのは 遠賀川起点(芦屋町西浜町) 

 

 

絵は画家の感性で写真とは違いますが 私はこの場所を探すため 漁協事務所に絵をお見せして ここに行きたい と言ったら 綱引き場だからここに車を置いて先の方 と教えてくださいました。

右側の岩の下は深い海です。 そこからコンクリート中段に腰かけて移りました。 下段は胸くらいの高さがあります。

 

 

ここから洞山がみえます。でも ここから見たら はみ出た樹がギャクです。。 ずーーっと狩尾岬のほうに行って描かれたんです。

 

 

画家の立ち位置に行くには なみかけ大橋を渡り山鹿地区に行きます。   芦屋の2枚目 洞山の風穴(芦屋町柏原) 

 

 

山鹿地区の3枚目は 10月に コンサートのご紹介をした芦屋釜の里です。

絵では右手前の低木はありません。 強調したり 消したり 絵は素晴らしいです。

3枚目 芦屋釜の里 (芦屋町山鹿)

 

遠賀川の本流に面していなくても 流域の町の景色が描かれています。。 絵は想像してくださいね。次回お楽しみに・・

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芦屋町の砂像展  いよいよ残り少なくなりました。 8日(日曜日)までです。

まだお越しでない方 ぜひお越しくださいね。。

 

 

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上陽町(八女市)の石橋は何度も紹介してますが ここを訪ねたのは久しぶりです。 八重谷橋です。

以前の自分の記事からコピーしました。 市役所から資料を送ってもらってます。 長さ15.5m  幅2.4m  大正10年架設 石工棟梁 山下佐太郎

 

川の中に 神事の跡がありました。 災難がないように・・かな? 河童のためかな? 今回のご紹介ポイントこの神事跡です。

 

 

上陽町は ひ ふ み よ  と 1連(単) 2連 3連 4連 の石橋があります。 1連で1番有名 なのは洗玉眼鏡橋ですが・・・ 

八重谷眼鏡橋 上流側です。

 

次も 1連です。 枕橋をご紹介します。 上流側です。

矢部川水系 横山川に架かる橋です。昭和4年架設です。石工棟梁 萩本知作 橋本八十松     

 

枕橋 下流側です。 今回のご紹介ポイントは momo色の愛車がおいてあることです。 

 

下流側は近づくと アーチが見えないんですよね~

 

ひ ふ み よ の ふ 2連橋は 寄口橋 栗林橋 がありますが今回は行ってません。 そして 3連橋 久しぶりの 大瀬眼鏡端です。

星野川の橋です。長さ45.5m  幅:3.7m 架設:大正6年(1917) 石工:萩本宇作

 

大瀬食堂さんの敷地から撮ってます。 大瀬眼鏡橋 上流左岸側 です。

 

 

 

上流右岸側です。 大瀬食堂さんが見えます。 今回のご紹介ポイント チャンポンを食べたことです。 

600円弱 懐かしいような味 店主の素朴な温かさが印象的でした、。

 

ひ ふ み よ の4連 宮ケ原橋  通りかかったらUPしています。 テレビでも 修理が決まったことを放送され ホッとしました。

正確には この橋は上陽町をはずれ 宮ケ原です。

 

下流側です。 やっと通れるようになったけど歩行者専用になっています。。 でも郵便配達さんのバイクが通ってます。 拡大しますね。 

今回のご紹介ポイントはバイクを押して歩いていることです。。

 

 

上流側です。

 

 

追加

やっぱり ふー もなくっちゃね・・・前回行ったときの 寄口橋です。。

 

追加 2   石橋進さんがコメントに書いてくださった 洗玉眼鏡橋です。



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立花町・・・特産品のキウイが収穫期を迎えています。 遠くから私を見て 泥棒かとハラハラされたかもしれません。撮ったけど 盗ってないですよ。

 

何気なく走りながら チラッと目に入りました。 コンクリートです。 一ノ瀬橋、明治23年 元は石橋だったんですね~  惜しいなぁ~ 平成2年に流失したそうです。

 


道標に 立石橋 の矢印がありました。 以前 妹と行ったことがあります。 矢印のほうに行ってみました。

神社があります。。石橋はもう少し先 ワクワクします。 車の中で走りたいくらい・・

 

立石橋の上部は、なんてことないから気づかずに通り過ぎてしまいます。 古立石橋が見えました。 かわいいでしょう?

 

案内板がありました。

 

古立石橋 もう少し近づきます。

 

上流側にまわったけど・・・・残念ながら アーチは私にしか見えん・・・

 

立石橋は 古立石橋から見たら かつがつ(やっと・・どうにか)見えます。

 

立石橋と古立石橋の写真 以前の写真は下まで降りてます。 私の宝物で 古い写真 ご覧頂けたら嬉しいです。

 

速いもので 今日から11月です。 今年も残すところ2ヶ月 夢じゃないかと思うほど速すぎる・・・

 

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