鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

NHK朝ドラ

2006-10-10 22:46:48 | お知らせ

 私の勤務は変則ですから、普通の人のように7・8・9日と連続した3連休ではなく、8・10・11日の休みです。それで、たまたまNHKの朝のドラマ「芋たこなんきん」を見ました。皆さんは見ていますか。別にドラマの内容について、云々言うのではなく、今日のドラマの中で出てきた「紙芝居」です。

 

  昔々自分も紙芝居を見たなあという、例によって昔の話し、思い出話しですが、まだ年齢が一桁だった時代のことです。

 家の周りには、空き地や原っぱがかなりありました。そして何よりも子どもたちが一杯いました。家の中よりは外で群れをつくって遊ぶのに忙しかった時代です。男女を問わず、また同年齢集団だけではなく、幅広い縦の集団で一緒に遊んでばかりいました。貧しかったけれども、元気がありました、活気がありました。

  そこで紙芝居ですが、紙芝居屋さんは自転車を漕いでやってきます。自転車には、紙芝居の道具一式と大きな太鼓(和太鼓ではなく、ブラスバンドにある太鼓)が積んであります。広場に到着すると、自転車を止め、太鼓を肩から吊るして、叩きながら町内を一巡します。もちろんお客(子どもたち)を集めるためです。そのときの太鼓のリズムがどんなものであったかは、思い出せません。ただ単にどんどんと叩いていたのかもしれません。

  自転車が止まっているところに戻ると、紙芝居の開始です。もちろん、無料ではありません。有料です。お金を払うと、近くで見られるということと飴というかせんべいというか、それにはっかを含んだ甘いゼリー状の物がぬられていたように思いますが、それをもらえます。(今思うと当時のことだからサッカリンとかもいパイ入っていたのかも)確か10円だったと記憶していますが。しかしながら、私は貧乏だったので、そうそう10円を払うことはできません。

 でもそこはうまくしたもので、自転車を中心にして5メートル?ほどの半円をかいて、お金を払った人は半円の中から、ただの人(ぺろんこ?でもこれは悪いイメージですね)は円の外から紙芝居を見るわけです。見るというのか見ながら聞くというべきか、とにかく熱中したものです。精神を集中して、おじさんの声を聞きながら、画面に見入っていました。

  けっこう見たようですが、今でも記憶しているのは、部分的というかほんの一部分というべきか、覚えていることがあります。

 

 ひとつは、「猿面間者」(さるめんかんじゃ)という忍者の物語。絵が上手で、猿面ということで確か豊臣秀吉のことを中心に物語が展開していったのではないかと思いますが、不確かです。秀吉の猿面がとてもうまく描けていたので、印象に残っているようです。

 

 もうひとつは、原爆です。私は原爆のことを知ったのは、本ではなく、学校でもなく、紙芝居でした。原爆の悲惨さがこれでもかこれでもかというくらい迫力のある画面で迫ってきました。また、おじさんの語り口も画面にマッチして、原爆の恐ろしさを訴えていました。あまりに強烈だったので、それだけ感受性が豊かだったからなのか?熱を出して、ふとんの中で唸っていたことがあったように記憶しています。

 当時は、原爆の悲惨さを紙芝居をとおして、子どもたちに伝えようとしていたのでしょうか。当時はそのくらい原爆は恐ろしい、もう二度と御免だという意識が国民全てに浸透していたということなのでしょうか。敗戦から10年も経っていないから、そういう空気が、そういう強い思いがあったのかもしれません。

 

  写真は、鬼畜米英からやってきたセイタカアワダチソウでしょうか。河原には一杯咲いています。

コメント (3)
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