昨日のブログですが、タイトルを「合唱と光と」としたのに、内容は半分は違ってしまいました。本当は3日から始まった仙台光のページェントの様子を写真で知らせつつ合唱の練習の様子を書いていこうかと思ったのですが、そうはいきませんでした。及ばぬ鯉ならぬ恋と同じで、ままならないものです。思うようにはいかないことの方が多いのが現実です。失礼しました。
もう30年も前になるのですか、今日8日はジョン・レノンがファンの凶弾に倒れた日でもあります。生きていれば70歳ということですか。”Imagine”をいまこそ全世界の人々が聴いてイメージすべきときです。
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
そして、同じく今日8日は59年前アジア太平洋戦争が始まったというべきか、日本が真珠湾のアメリカ海軍基地等を攻撃した日です。1975年のこの日新婚旅行で羽田からハワイに向かいました。初めての飛行機、ジャンボジェット機でした。もうすぐ着陸というときに酔ってしまった妻が少しもどしてしまったことを覚えています。戦艦アリゾナでしたか、そこもちらっと見学しました。個人的なことはどうでもいいのですが、日本とアメリカが全面戦争に突入してしまった日であり、大日本帝国が滅亡に向かった日でもあります。
この前はTBS系列で「99年の愛~JAPANESE ANERICANS」というドラマを3回連続でしたか、放送しました。涙なしには見られなかったですが、今度はフジテレビで12日(日)に沖縄戦での兄弟が敵味方に分かれて戦った実話を、インタビューを中心にして放送するようです。いずれも日系アメリカ人、日系アメリカ兵士を扱っています。
日系アメリカ兵を扱ったノンフィクションでは「棄民たちの戦場 米軍日系人部隊の悲劇」(根本 明著・新潮社 1,600円)、フィクションでは真保裕一著「栄光なき凱旋(上)(下)」(小学館、各巻1,900円)があります。是非ともお読みになることをお勧めします。というか本当に平和を希求し、日米が対等であろうと考えるならば、是非とも読むべき本です。
そして今なぜかアジア太平洋戦争で亡くなった日本兵の遺骨収集が政治家の間で大きく取り上げられようとしています。超党派で硫黄島に行こうかともしているようですが、これは一体どう考えればいいのでしょうか。民主党と自民党が連立を組むための布石という見方も出来そうです。自分としてはそういう不純な考えで遺骨収集はして欲しくないです。
常々言ってきましたが、戦没者の遺骨を野ざらしにしたままにして何が靖国だ、と再度言いたい。こんな無責任な国家がありますか。国のため天皇のため殺された、死んだというのに遺骨収集は細々と行われてきただけ。戦没者、戦死者といえばまだ聞こえはいいですが、実際は大半が戦って死んだのではなく、ジャングル等を逃げ惑いながらの餓死や病死、そして沈没死です。こういう事実を隠し、さも勇敢に戦って戦死したかのように祭り上げてきたことに大きな問題があります。靖国神社のインチキさもここにあると考えます。大半の日本兵は戦って死んだのではなく、満足に戦うだけの装備もないままに精神論で狂気のごとく戦わされ殺されていったのです。戦時国際法を知っていれば死ななくてもいいものを、それを上官も兵隊も教えられなかったために(日本は神国で負けるはずがないという神話も大きく加担した)、逃げ惑ううちに次々に力尽きていったわけです。きわめていいにくいことではありますが、はっきりいって大半は犬死したのです、させられたのです。そういう現実を無視して、国のために尊い命を捧げたなんて、辛くてもいうべきではないと思います。そうしてこその新生日本の平和希求が意味を持ってくるのではないでしょうか。
この前亡くなった井上ひさしの「一週間」、お読みになったでしょうか。これを読んでもいかに日本軍の上官が、指揮官が無知で自分の保身しか考えなかったかが分かります。(勿論例外の立派な将官もいましたが)シベリア抑留の日本兵の死因の大半は、国際法を無視したソ連のやり方にも大きな問題はありますが、捕虜の中に旧日本軍の組織、規律をそのまま持ち込み、それに安住して身分の高い者たちだけが兵隊の分も搾取して甘い汁を吸っていたことによるのです。指揮官や部隊長が戦時国際法を熟知していて、部下を大切にしようとすれば何万人もの兵隊たちを死なせなくてもよかったのです。ソ連のやり方は勿論非難さるべきですが、それ以上に同じ日本人でありながら上官だというだけで旧軍の秩序を縦に安住していた軍の指導者層に大きな責任があります。
何かまた話しがそれてきました。
光のページェントの写真を掲載しようと思ったのですが、その気分ではなくなってきました。写真は5日の合唱の練習後に定禅寺通りによって撮ってきたものです。でも、ものは見方です。この光を戦没者への鎮魂と思えばいいのかも。お線香の代わりにアップします。