鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

さらば、許してくれ、わが青春!

2012-06-10 15:47:45 | 思いつくまま

  (すみませんが、ちょっと予定を変更させていただきます。)

 きょうはわが青春との惜別のブログとさせてください。 きょうが第二次となりますが、蔵書の断捨離の日でした。 愚痴になるかもしれません。

 三,四年前にも第一次の蔵書の断捨離を行い、このブログでも紹介しました。 きょうは、ここ数週間にわたって整理してきた本を、古本屋さんに来てもらって、もっていってもらいました。

 

 子どものためにも、奥さんのためにもいつかはきちんと整理しなければならなかった本の整理(といえばカッコいいですが、実際は処分)をしてきましたが、きょうが二回目で、あと一回以上はあります。

  

 ありますが、もう死ぬまでしないでおこうかなとも思っています。遺言にも全部捨ててもいい(ではだめか、「全部捨てなさい」とすべきかも)と明記しておけば、精神的な負担は少なくなるだろうと思います。

   

 来てくれた人と話しましたが、今は本は売れないと。 むかしの本、硬い本、社会科学系の本は売れないそうです。 店や倉庫に積どくだけといってもいいくらいとのこと。 在庫もたまる一方。

     

 学校の先生や、研究者の本の処分も頼まれるそうです。 でもなかなか引き取れないとのこと。売れないからです。 供給ばかりで、需要が伴わない、需要がない状態では売れないし、引き取れません。

      

 でも時代が時代です。インターネットの時代。 本もネットで読む時代です。 しかも新しい形態の古本屋ができています。 新しい本でも一〇〇円や二〇〇円しかしない。

   

 大学生も本を買わなくなったそうです。図書館や研究室の本で間に合わせるとか。無理をして、食費を削ったりしてまで本の購入に回すことはない時代です。

         

 ということは私自体がもう既に時代に取り残されているということになりますか。せめて子どもたちが、少しでも親が持っている本に興味をもって読んでくれればありがたいというか嬉しいのですが、そういうことは皆無に近かったし、・・・。  さびしいです。

  

 本を整理しているときにつくづく思いました。思い知らされました。 何のために本を買ったのか?!その答えは、処分するためだったのか!と。 何十年にもわたって、何百万円もの本を購入してきましたが、それは一体何だったのか??

 

 単に出版社や取次店、本屋という出版業の流通を少しは潤すというだけにすぎなかったのでしょうか??それだけでも良しとしなければいけないようです。

    

 一体何なのでしょうね、本を買うという行為は。 本を買い、時に?読み、大半は積読だけにして、古くなったから、将来読むことはないからということで整理という処分を行うことなのでしょうか。 そう思うと虚しくなります。  辛いですね。

 

 文化の伝承、各家庭における親から子への伝承、そういう行為において本の占める役割とは何でしょうか。 そんなものはないのでしょうか。

     

 この前に行った、スーツやワイシャツ、ネクタイの処分(まだ不十分ですが)のときは、こんなにも悲しい気分にはなりませんでした。

 学生時代の延長みたいなものを背負っているからでしょうか。 男の未練タラタラという気がしないでもありません。 いつの時代も男はウイットでいけませんね。 女の”つよさ”にはついていけません。その領域にはたどり着けません。

 

 過去の自分自身に対して哀悼の意を表して、哀れな本たちに敬意を表して、今の自分に潔く決別できることを願って、愚痴を書いてきました。

 お許しください。 CDのワルツ、三拍子が胸に応えます。 投稿したら、散歩に行きます。雨も止んだようですし。


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