鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

郡山堰付近の様子

2012-06-11 22:07:16 | お知らせ

  きょうは6月11日。あれからもう1年3か月が経ったということです。 あした12日は、34年前に宮城県沖地震が発生した日です。 嫌な日が続きますが、それ以上に嫌なことは、表面上はいいことを言っても本音としては持ち込まないでほしいというもの、”がれき”の処分の問題です。 きのうきょうと北九州市の市長が県内を視察して、現場をじっくりと見ていってくれましたが、市長の気持ちはありがたいことですが、宮城県のがれきを九州まで搬出して処分しなければならないということ、そのためには膨大な経費が掛かります。もっと近くで処分できれば、経済的にも助かるはずですが、そうはいかないという現実。これをどう考えたらいいのでしょうか。 ”絆” いい言葉ですが、どこに行ってしまったのか、時の経過とともに底が浅い言葉になっていきました。 せめて3月11日を忘れまいと思いつつも、時の首相は何とかして原発を再稼働させたいの一心、何よりも経済優先、経済ありきですべてが進んでいます。安全なんか経済で吹っ飛ばせ!!という政界と財界の思惑が主流となりつつあるのが恐いところです。 八方塞 閉塞感 嫌な世の中です。 どうしたらいいのか? 何をなすべきか? 分かりません。 これでいいのかと焦りますが・・・。

 

 写真はいずれも6月5日のものです。 一昨日の続きです。

 郡山堰のすぐ下流、橋のたもとの様子です。 ゴミを捨てるな!という標識のすぐそばに堂々とゴミを捨てる、これをなんと理解したらいいのでしょうか。 嫌味以外の何ものでもありません。

 

 さらに下流に行くと「じゃぶじゃぶ池」がありました。コンクリート製の水遊び場とでもいうのでしょうか。 こういうのを川に作らなければならないとは、何とも複雑な気持ちになります。 ないよりはいいようにも思いますが、やはり何かがおかしいと思います。

                

 写真左側の広瀬川本流は川底を見ると、握りこぶし大の石が一杯敷き詰められています。羨ましいくらいの小石底です。しかも深さは深いところで30センチくらいしかありません。もっともこのときは減水のためでしょうが。

 

 今度は橋を渡って広瀬川の左岸側に行きました。こっちの方(郡山堰左岸)の魚道は迫力があります。 その手前の浅瀬の石の状態です。 初めて見ました、今年。 アユです、鮎の食み跡です。そんなに古くはないです。

 

 この鮎の食み跡は”天然アユ”のものでしょう。 ここ郡山堰までは広瀬川には堰堤がありませんので、汽水域で成長したアユはここまでは苦労することなく遡上することができます。 天然アユが数の多少は分かりませんが、確実に遡上はしてきているということ、これは嬉しいことです。 希望を抱かせます。

                

 ただ、問題はこの堰を遡上できるかということです。 これが一番大きい問題でしょう。 ここの郡山出来には左右(左岸と右岸)二つの魚道があります。 一昨日は右岸側の魚道を紹介しました。 きょうの魚道は左岸側のものです。

 

 コンクリートで作られた魚道は上の方で堰き止められています。その魚道のそばに新しく自然工法の一種なのでしょうか、人間の頭大の石をたくさん敷き詰めた急傾斜(急瀬・荒瀬)の魚道が設置されています。

            

 写真の左側の魚道よりは幅もあり変化に富んだ、より自然の川に近い流れとなってはいます。 魚道が二つあるのはいいとしても、遡上してきた魚が川の左右に魚道があることを察知できるかどうかです。 どちらかの魚道に無理なく自然に向かえるようになればいいのですが。 そのためには魚道の下にはある程度の水量がないと難しいでしょう。

 

 ご覧のように下流域はとくに渇水状態です。 左岸側の古い魚道は堰き止められています。その分の水を自然工法の魚道に回しています。

             

 郡山堰はアーチ型をしています。 左岸から右岸を望んでいます。

 

 郡山堰の少し上流にはさらに愛宕堰がります。 我々のところまで天然アユが上ってくるためには、この二つの堰を「根性」で越えなければなりません。

            

 そういう根性のあるアユのみが、われわれを楽しませてくれるわけです。

 

 愛宕堰の上下には、写真のようなどこにでもいる水鳥が憩っています。

                 

 

 

 


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