きのうの午後からの雨もまさに”焼け石に水”ということわざの通りでした。(私のパソコンも日に日に熱を帯びてくるようです。携帯用の小型の扇風機の前に、凍らせた保冷剤を置いて少しでも冷たい空気がパソコンの左側に当たるようにしています。バッテリー自体は熱くはなっていなかったので、いろんな基盤?が熱くなっているのかも。)
でも日本の東南や南の方には台風が合計3つですか、日本に上陸せんと待ち構えているかのようで、これでは程々の雨降りは無理なようです。降るとしたら土砂降り、豪雨となるのかも。うまくいきません。困ったものです。
でも河原の生き物にとってはこの暑さは歓迎すべきものなのかもしれません。いやあまあすごいものです、蝉しぐれ。 とくに中洲の木々から聞こえてくるセミの鳴き声は圧倒的なものがあります。
みなさんもうご存知ですか、今の蝉の主役はミンミンゼミです。圧倒的にミンミンゼミですね。次が小型でも健闘しているツクツクホーシです。もうアブラゼミの主役は終わっています。セミの世界でもうまい具合にできているのかもしれません。ミンミン・ツクツク・アブラが一斉に鳴き始めたのでは聞いている方が不協和音?に閉口するかもしれません。うまい具合に世代交代?ができているのかも。
前にも2回ほど書いていますので繰り返しませんが、セミの寿命は決して7日間ではありません。もっと長く3週間から4週間くらい生きるようです。折角ですのでもっと長く生きてもいいですね。
きのうの広島市の平和祈念式典の子どもたちの誓いのことば、素晴らしいものです。もちろん優秀な子どもたちがあらかじめ選ばれてはいるのでしょうが、それにしても大したものです。
(石橋忠大さん・金田秋佳さん)
~「平和への誓い」~
私たちは、広島の町が大好きです。 ゆったりと流れる川、美しい自然、 「おかえり。」と声をかけてくれる地域の人、 どんなときでも前を向いて生きる人々。 広島には、私たちの大切なものがあふれています
昭和20年(1945年)8月6日。 あの日から、血で染まった川、がれきの山、皮膚がはがれた人、たくさんの亡骸、 見たくなくても目に飛び込んでくる、地獄のような光景が広がったのです。 大好きな町の「悲惨な過去」です。 被爆者は語ります。「戦争は忘れることのできない特別なもの」だと。
私たちは、大切なものを奪われた被爆者の魂の叫びを受け止め、 次の世代や世界中の人たちに伝え続けたい。 「悲惨な過去」を「悲惨な過去」のままで終わらせないために。 二度と戦争をおこさない未来にするために。
国や文化や歴史、 違いはたくさんあるけれど、大切なもの、大切な人を思う気持ちは同じです。 みんなの「大切」を守りたい。
「ありがとう。」や「ごめんね。」の言葉で認め合い許し合うこと、 寄り添い、助け合うこと、 相手を知り、違いを理解しようと努力すること。 自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです。
大好きな広島に学ぶ私たちは、 互いに思いを伝え合い、相手の立場に立って考えます。 意志をもって学び続けます。 被爆者の思いに、私たちの思いを重ねて、平和への思いを世界につなげます。
それにしてもあの独裁者の日本語の話し方、何とかなりませんか。政治家にとって”演説”(時と場合に応じた話し方)は政治生命の核心と言ってもいいと思っています。如何に聞く人の心に直接訴える力があるか、感動を与えられるか、それが肝心なのに、何度も書いていますが、何ですかあの舌足らずな日本語、日本国の独裁者として誠にもって恥ずかしい限りです。聞いていられません。内容云々以前の問題です。
少なくとも日本人の心に、気持ちに訴えたい、訴えて理解してもらいたいと思うのであれば、一から日本語の発言の仕方を学んでほしいものです。今からでも遅くはないです。日本で歴代最長の在任期間が間もなくの総理大臣としては誠にもって恥ずかしいことです。まともな日本語をしゃべってもらいたい。オッ聞いてみたいなと思わせるような演説や話し方があるじゃないですか。麻生太郎なんかはさしずめ心酔している?ヒットラーの演説何かを参考にしているのかな。参考にしたくてもできないとすでに諦めているか。
澱橋の上流左岸に釣り人ひとり。泳がせ釣りをしているのではなく、手元で仕掛けのチェックみたいなことをしているようでした。
そして今日初めて見ました、排水路(口)をチェックしている人を。
見ていたら中に入っていきました。この暑い時期にマンホールの中に入るなんて大変なことです。お疲れ様、ご苦労様としかいえないです。 ここもむかし昔、この排水口が出来たころ、我々チビガキどもは中に入って遊んだものでした。