鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

時折大粒の雨が、

2019-08-27 14:16:36 | 思いつくまま

 変な天気です。時折思い出したように短い間ですが大粒の雨が降ります。今のところすぐに止んでいます。何を言いたいのでしょうか、天は。何を知らせたいのでしょうか。

  ベンチで。

 (餌をやっている人が去った後のベンチのネコです。)

 きょうの最低気温は20.7度、きのうの最低気温は20.8度で、この分では20度を下回るのは時間の問題ですね。いよいよ秋本番、秋が深まりゆきます。立秋も過ぎ、処暑も過ぎていますからね。

  このひょうきんな表情!

 きょうは川へ入ることは止めました。この天気ではその気分になれません。とか何とか言ってるうちに、9月を迎えることになります。8月も今週でお仕舞ですから。9月かあ~、みちのくではもうお仕舞じゃないですか、鮎釣りは。 もうあと一か月も残っていません。あっという間の2カ月経過でした。あ~あ、不完全燃焼、ここに極まれりです。

 

 嘆いてもしょうがないです。毎週日曜日ですか、朝日新聞の日曜版に加藤登紀子の「ひらりひとこと」?が載っています。今週は 「まっすぐ空と繋がって生きていれば、人は自由になれる。」というものでした。

    

 本人が解説・補足しています。「家の中にいる時間を減らそう! 家族を守りすぎず、求めすぎず、責めすぎず、それぞれが空に守られている、と感じようね。」   言っていることは正解正論ですね。

 

 私も他のひとよりは空をよく見上げているかと思いますが、なかなか 空と”繋がっている” と感じることはないですね。空のスクリーンにつくりだす雲のショーなんかは時にびっくりさせるようなものがあり、思わず声を出したくなることがあります。声が勝手に出てしまいます。

         

 

 でも空と繋がり、空に吸い込まれそうに感じるという経験は、そう感じることにより自由な自分を感じることはほとんどないようです。ただ空に守られているという感じは時にあるかな~。でもあまりに自分は小粒も小粒だなあと、居ても居なくてもいいのじゃないかとか逆に空しく感じたり、自分自身の気持ちが空に反映されるということかもしれません。

       

 

       

 

 きょうも散歩の時セミの鳴き声は聞きましたが、数は少なくなりました。今となっては圧倒的なセミの大合唱が懐かしくさえ感じられます。ミンミンとツクツクのみです。虫の音もまだ少なく感じました。天気のせいなのか?

 これは多くなりました。 

 

 硬いアスファルトの上に止まって何をしているのでしょうね?

         

  これは蛾ですね。

 そうそう蝶なのですが、こんなにも高いところを飛ぶのかなと少々驚きました。堤防の斜面に深く根を下ろしている木のてっぺん付近です。最初はトンボと同じような高さを飛んでいたのですが、徐々に高くなっていきました。

 

                         

 蝶の仲間に、どうだここまで飛んでこられるかと威張っているかのようです。

 広瀬川の本流を見ているときに上流から下流へと向かうサギが一羽いました。ピンボケ

 

 本流の大きな石の上に居た鳥です。結構大きいです。カラス並みか。全体に丸っこいです。普段見慣れない鳥です。もしかしてこれがカワガラス?ですか。

                      

 

 これは宮城県警の”とり”ですか。

           

 きのうは朝から日中もたくさんのドクターヘリ(と思われます)が飛んでいました。


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