鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

あの日から、8年5ヶ月 仙台市荒浜

2019-08-11 14:23:20 | 提案・要望

 今年のお盆は何日から何日までか、ネットで調べたら8/13~15というのと8/13~16というのと二つ出てきましたね。その前後をお盆ということでいいのでしょうか。旧暦ですし、厳密に拘る必要もないかと思います。

 

 ということで我が家ではきょう11日をもってお盆の入りとし、午前中いっぱいかけて4か所の墓苑等を回ってきました。市民墓地が二つに昔からのお寺が二つです。線香をあげてきたお墓は10カ所になりました。結構あるんだ。

 まあお盆は特別で目一杯近く回りますけど、お彼岸は2か所だけです。きょうはお盆としてのお墓参りです。 まあお盆ですから、子どもの頃から親からは殺生はするなと言われ続けてきましたが、子どもの頃は言いつけをよく守り、大人になってからはいい加減となり平気で殺生するようになってきました。ニンゲンとは本当に罪深い生き物と改めて思います。

 

                 (水温21.5度)

 でもきょうは一日川には入りません。天気もいまいちなのですね。きのうは午後2時頃から明るく暑くなってきましたが、きょうは午後2時を過ぎてもきのうほど暑くも感じません。でも実際の毎正時の気温をみると、お昼を挟んでの気温はきょうの方が高いのです。

 きょうの最高気温は27.1度です。(午前10時57分の記録) きのうも午後4時頃までは最高は29.1度だったのですが、午後4時過ぎに29.0度となりました。

 

 きょう朝の河原の散歩の時に今年2回目となりますが、見ました、投網師を。きょうはお墓参りするからといつもより早く8時過ぎに行きました。そのために見ることができたのでしょうか。前回の人と同じ人かな。

 

 よくよく考えてみると投網というのも効率はよくないのではないかと思いますが。あんなに重い投網を担いで歩き回り、手もとにまとめて鮎が居そうなところに投げる。ただ投げるのではなく、きれいに開くようにして投げるというのはなかなかに大変なことと思ってしまいます。

         

 技術も経験も絶対必要ですし、人が見ている前での作業となると、自信がないと投げられないのではないかなと思ってしまいますがどうでしょうか。きれいに丸く開いてくれないと、カッコ悪いでしょう。

 でも特に今年は鮎が少なく”労多くして実少なし”のような気がします。広瀬川の漁で生計がたてられようもないし、たてている人も居ないと聞いていますし、この辺で広瀬川における投網漁は廃止までしなくても当面中止にしてはどうでしょうね。 鮎釣り同様、若い人が後に続いているわけでもないでしょう。 もう”終わりだから”こそやらせてくれということなのかな。

 

 8月1日の新聞に、仙台市の荒浜の震災で被災したままの民家の後を整理して震災関連施設として後世に語り継ぐべきものとするとか言うような記事が載っていました。2日に式典を開いて、同日から一般開放すると。 その記事を見て1日中に行ってみようという気になりました。

 

 というわけで以下の写真は1日撮影のものです。今までも何回も荒浜地区には行っていますが、なんでいつまでも被災した民家の土台等をあのままにしているのかなあと常々思っていました。震災関連施設として後世に伝えていこうという考えがあったのですね。

  

                             

   

 近くの荒浜小学校は正式に震災遺構として整備され公開されています。震災教育の施設としても活用されているようです。 今回の民家の被害の状況が分かる土台や基礎部分の惨状を残すことは、民家とみんなが避難して助かった地域の小学校という形で二重に残し伝えることになり素晴らしい考えだと思った次第です。

 

             (後方の建物は荒浜小学校)

        

 

        

 

       

 

       

 

       

 

      

 

 直前まで生活していた民家の土台しか残っていない惨状と子どもたちが通っていた地域に愛された小学校、そしてそれらを見守る荒浜慈聖観音像、新設された大きな防潮堤とどこまでも白く細やかな砂、淋しく細々と立っている松林というには少ない松の木、かってここは発になると深沼海水浴場としてにぎわいました、そういうことに思いを馳せてみるのもいいかと思います。

 

 

 


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