あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

十日市

2006-01-10 23:49:52 | 日々雑事
今朝も厳しい寒さの中、マイナス14℃の一日の始まりだった。

今日は毎年十数万人万人の人出がある会津地方最大の初市『十日市』だ。
例年の如く私も、ばぁ~ちゃんにお昼ご飯をあげた後に次のオムツタイムまでにと
起き上がり小法師と風車を買う為に十日市へと出かけて来た。




『十日市』とは、1384年、葦名直盛が黒川城を築いた時から始められたといわれ
色鮮やかな風車、起き上がり小法師といった縁起物のほか、さまざまな掘り出し物が露店に並ぶ。

   
風車                 起き上がり小法師


起上り小法師(おきあがりこぽうし)
多種多様な会津の民芸品はもともと会津藩主・蒲生氏郷(がもううじさと)が
下級藩士の内職として作らせたと言う、3センチほどの手のひらにのる大きさが特徴で
胴が赤で、頭が黒で顔が細い線で描かれて、その姿がなんとも可愛らしく心を和ませてくれる。
家族の数より1個多く買うのが習わしで、一族繁栄、家内安全を祈り
小さな体で元気に働き、転んでも起上る七転八起の忍耐と人生の象徴とされる。

会津風車も約400年前から伝わる民芸品のひとつで、商売繁盛の縁起ものとして人気が高い。
風車は、8本の細い竹で1センチほどのカゴを作り、その端を伸ばして紙の羽根をつける。
竹を削った柄に、この羽根を豆で止め「風車のように、くるくると一年中まめに働けますように」
会津の冬に不似合いなほどの極彩色も、素朴な手作りのぬくもりがそのまま伝わって来るような
雪国に暮らす人の春を待ちわぴる心…そんな祈りを込めて神棚に飾るという。

メインストリート神明通りには、田中稲荷神社 (たなかいなりじんじゃ) が祀られ
会津の初市『十日市』の神様で、1593年市神を祀ったのが初めとされる。

   
田中稲荷神社と会津の商業高校が運営している若商デパート。
            

   
地域の農協婦人部とか、漆器の町である会津ならではの漆器商品など…。

いわゆる、テキヤさん?って言うんだろうか?
そういう関係のお店もあったが、地元優先のような郷土ならではのお店も多かった。


今日は朝は厳しい寒さではあったが天気は良く『十日市荒れ』の心配はなさそうだった。
この時期天候が荒れる事が多く、十日市には吹雪になりやすい天気からそう言われている。
今日は平日の為か、人も身動き出来ないほどではなかったが
夕方から夜にかけては、かなりの人出が予想され、アーケード内での放送では
スリの注意を促し、あちこちに巡回しているお巡りさんの姿が見受けられた。

スリと言えば思い出すのが、在りし日の十日市。
子供達はまだ小さく私もお勤めをして、今日のように日曜日ではなく平日だったと思う。
子供達に十日市を見せたくて、今は亡きじいちゃんがお財布に幾らかのお金と子供達と
バスに乗り神明通りへと…たまには玩具やデパートでの食事と思っていたらしい。

ところが尻のポケットに入れた財布がいくら探してもない。
バスに乗って来たのだから忘れるはずはなく、スリにすられたのだろう…と思っている。
当時、私が神明通りの近くに勤めていたので、じいちゃんと子供達が来てお金を渡す事が出来た。
しかし スリも孫連れの年寄りを狙うことは無いだろうに…と。
十日市の話を書き込んでいて思い出した出来事だった。

今日は十日市荒れの心配はなかったようで、起き上がり小法師や風車も買った。
今年も良い年だったと思えるような年になれたら良いなぁ~と願う。

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ようやく完成 昆布巻き♪

2006-01-09 23:36:32 | 食べ物 レシピなど
今日は成人の日だが、昔は成人の日って言うと1月15日に決まっていた。
1948年に1月15日は、おとなになったことを自覚し
自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます日として法律で定められた。
現在は、2000年に制定されたハッピーマンデー法に基づき
1月の第2月曜日に改正されてしまったが、未だに何となくシックリと来ない私だ。

だからと言うわけではないが、一昨日から昆布巻き作りをしていた。

お土産でいただいた昆布が手付かずの状態だったので作ってみようと思い立つ。
昆布巻きと言えば、おせち料理に入っているが
年末の忙しい時期に、のんびりと昆布巻きってわけにはいかないので
いつも お正月も終わった、ゆっくりと時間をかけられる時に作っていた。

まぁ 今は時間をかけなくても圧力鍋と言うものがあって
短時間に出来るのだが…何と圧力鍋! 恐くて使えない時代遅れな私…。
宝の持ち腐れとは、まさにこの事かなぁ~~!!


一昨日、スーパーで鮭の切り身購入。
身欠きニシンを巻くのもあるのだが、実のところ身欠きニシン独特の味が苦手だったりする。
他には人参と油揚げの昆布巻き ししゃもの昆布巻き たらこの昆布巻き等
入れるものによっては、いろいろなバリエーションを楽しめると思う。





水に戻した昆布に適当な大きさに切った鮭を巻いてかんぴょうで縛る。



それを鍋に入れて、水はたっぷり目に入れた。
長い時間煮込むのに、水がなくなってしまったらうまくいかない。
麺つゆとザラ砂糖で味付けして、コトコトと煮込む。。。
ガス代も馬鹿にならないので、今度はストーブの上で煮る…煮る!!



ようやく、今日の昼間に出来上がった。


栄養はミネラルが豊富・ヨウ素の含有量は海藻中1番!
水溶性食物繊維がたっぷり・昆布のうまみ成分グルタミン酸…。

効能として血圧を下げる・イライラを鎮める・高脂血症、動脈硬化を予防・糖尿病を予防
肌と髪のつやを保つ・肥満を防ぐ・二日酔いの予防・免疫力の回復等など…。


ストーブの火力でじっくりと煮込まれた昆布巻きは、中の鮭まで缶詰のように柔らかく
これなら、ばぁ~ちゃんも食べられるだろうと食事の時に出したら
一本ぺロリと平らげてしまった! ちょっと嬉しい

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006-01-08 23:25:39 | 介護

激写!! 交通事故にあらず! 
路肩から脱輪した車を見ながら通って行った車も脱輪してしまった瞬間。



我が家の、ばぁ~ちゃんは入れ歯ではない。

若い時から歯だけは丈夫なのが自慢の種だったのだが
長年寝たきりになって、何年かは変わりなく丈夫な歯だった。
でも 自分で歯磨きが出来ず、しかもうがいも出来ない。
だからウェットティッシュで、口に中を拭いて歯ブラシで磨き
その後、またウェットティッシュで口の中の食べかすを取っている。

まだ 虫歯にはなっているが歯は無くなってなくて20本以上ある。

だけど年々虫歯が増えていく…。
どんなに気をつけても、歯はどんどんもろくなって行く。
歯医者に診てもらって治療しないとダメなのかもしれない…。
でも医者の言ってる事を理解出来ないし口も開けていられるかどうか
もう少し様子をみましょうと、主治医の見解だった。

本当は満80歳になったら表彰してもらえるように
申請しようと思っていたのだが、どうやら無理のようだ。
因みに、ばぁ~ちゃんの姉が5歳ほど年上で元気でいるのだが
その伯母も満80歳で表彰を受けていて、元々歯の丈夫な家系らしい…。

そんな事を考えながら、入れ歯を調べてみたら面白い事が分かった。

何と木製の入れ歯がある事が分かった!

平成11年8月三重県四日市で、江戸時代の代官所跡の発掘調査の現場から
他の日用品と共に、約200年前の木製の入れ歯が、ほぼ完全な形で見つかり
木製などではあるが、既にりっぱなものが作られていた。
それ程、歯は、生きていく上で必要な物だったのだろう。

入れ歯は、上顎用で黄楊(つげ)の木を彫ったもの(一木彫)で
歯が左右4本づつあり、奥歯の噛む部分は平坦になっている。
前歯は、女性用の義歯のためお歯黒が塗られていたのか、少し黒くなっていて
当時の木製の入れ歯は庶民にも普及していたが、高価であり作りが精巧であることから
使用していたのは裕福な女性ではないか?と言う事だ。

その頃の欧米の入れ歯と言えば、食べ物を噛むことがほとんど出来ずに
主として容貌を整えるだけのものであった。
日本の木製の入れ歯(木床義歯)の技術は、世界で一番古いらしい。

歯は食事を美味しく食べ、見た目も若々しく健康な生活を送る為に必要不可欠なものだ。
歯医者さんで治療し歯と歯ぐきを大切に
いつまでも美味しいものを食べられる幸せを、噛みしめたいと思った。
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人事の節句・七草

2006-01-07 22:50:51 | 日々雑事



 
白髪のようになってしまった松の木と芸術的な模様の窓ガラス、しかも南天はこの有様で…。

いつもは水道の水も凍る事も無かったのだが
今朝は、水道の水どころか給湯器のお湯の方まで出なかったほどだ。
今日はこの冬一番の寒さではなかったかと思う。



今日は七草、正月は小陽(しょうよう)の月であり、七日は小陽の数であるので
七種の若菜を調えて生土神(うぶすながみ)及父母に奉り
後これを食すれば春の気病、夏の疫病、秋の痢病、冬の黄病を治す効験がある言われた。

昔の人は季節を五感で感じ、その季節の無事や感謝を色んな形であらわしている。
その時は必ずご馳走を作り天地自然に供え共に祝うという。

行事食には、五節句(人日の節句・上巳の節句・端午の節句・七夕の節句・重用の節句)があり
年5回の節句をはじめとし、季節の行事(節会-せちえ-)の料理がある。
因みに、節会料理をお正月に振舞われた料理を「おせち料理」と呼ぶようになった。

最近は、核家族が増え伝える人も少なくなり、行事食の影は薄れるばかりのようだ。
行事食を知ると、いかに昔の人は自然と共に生きて来たかが分かる。
自然から遠ざかることと比例して、行事食の姿が薄くなって来るのかもしれない。

七草なずな 唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に…トントンバタリ トンバタリ…
その昔、人々は六日の夜に七草を刻みながら七草ばやしを歌う風習があり
唐土の鳥というのは、大陸から疫病をもたらす渡り鳥の事で
渡り鳥が日本に着く前に海に落してやろうと歌ったものだ。
害鳥を追い払いその年の豊作を願う考えが、七草粥の行事と混ざり合ったものと思われる。
 
春の七草の種類

せり セリ科の多年草 効能/消化を助け黄疸をなくす
なずな 別名・ぺんぺんぐさ  効能/視力、五臓に効果
ごぎょう(おぎょう) ハハコグサの異名  効能/吐き気、痰、解熱に効果
はこべら 別名・はこべ 効能/歯ぐき、排尿に良い
ほとけのざ タビラコの別名 効能/歯痛に効く
すずな 蕪、カブラの異名 効能/消化促進、しもやけ、そばかす
すずしろ 大根の異名  効能/胃健、咳き止め、神経痛

まぁ とか何とか言ってしまったが、我が家では七草粥は食べない。
以前は作っていたのだが、結局 食べなくて処理班として私のお腹に入るだけだし
お粥だから、入ってもどうという事ではないが、ちょっと空しく感じてしまう…。

強いて言えば、七草雑炊プラス鶏肉とか入れたようなのだと食べるかもしれない。
それだけ季節を感じて…って事がなくなってしまった我が家。
夫が仕事で居なかったり、息子が遊びに行って居なかったりで
七草粥だからと言って一人分作るのも面倒だし
かと言って、ばぁ~ちゃんのお粥をパクってしまうのも…なんだか。

そんな今晩の私一人の夕食は、最近 食べ始めた玄米ご飯と
三日とろろの残り…ワンタンスープと言う寂しい夕食だった。
あっ デザートに、この間作ったレアチーズケーキ!!

やっぱり 私は残り物処理班だったようだ。

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手紙 Ⅲ

2006-01-06 23:49:09 | 浜田省吾
今日も穏やかな一日を過ごす事ができた…。


雑木林の持つ寂しげな優しさが好きだ。


良い事があった後は悪い事が待っているように
悪い事の後には良い事だって必ずにやって来るものなのだ。
少し遅れて届いた年賀状と共に届いた元気な声が物語っていた…。

仙台に住む私の友人からの声の便りが届いた。
以前 長い入院生活の後に、再度の手術を余儀なくされた彼女なのだが
12月の半ば過ぎに退院できて、現在自宅療養中との事で
後の心配は体力が回復すれば良いだけの事のようだ。  

すぐにも連絡をしたかったのだが
相次ぐ入院と手術で、すっかり体力が衰えてしまって
元気の無い声を聞かせるのが忍びなかったと
元気な声が出せるくらいになるまで、電話しなかった…と彼女。

それでも 12月29日の浜田省吾の誕生日には
Birthday cardを送ったと言う、相変わらずに省吾バカな彼女だった。

そんな彼女が、省吾の新曲『I am a father』にちなんだ映画
時任三郎さん主演の『TWO LOVE』
各地で上映されているのだが、仙台にも来るようで
それを観に行くために体力づくりをしていると言う。

コンサートじゃないから
長く立っていなければならないって事ないし大丈夫だよね…って
その声は、まるで初恋を語る乙女のように弾んでいた。

良かった! 本当に良かった…。

人間 何か希望とか楽しみだとか、そういうものを持っている限り
どんな環境においても強く生きていけるものだと思う。

無理解だった夫に尽くして、年老いた夫の父を介護しながら
自分も命さえ危ぶまれるような病気、そして手術。
世の中、悪い事ばっかりじゃないんだよね。
そして、以前より少しだけ打たれ強くなった彼女は
元気な明るい声で、次の再会を約束して電話を切った…。


そんな彼女に贈りたい曲は『光と影の季節』だと思った。

君に逢いたくて戻ってきたよ 
長い旅路の果てに見つけた絆 長い旅の途中で夢見た季節 
光と影 栄光と挫折 でもどんな時にも想うことはただ…


コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は小寒 !!

2006-01-05 23:33:54 | 植物
二十四節気の一つで、太陽の黄経が二八五度の時。
太陽暦では一月五六日頃で、寒さの厳しい時期となり、降雪を見る。
俗に寒の入りとも言う。



そんな小寒だが、久々の良い天気で、寒さの一休みのような午後だった

この間、ばぁ~ちゃんがショートステイへ行ってる間。
部屋には暖房を入れて置かなかったら、寒さでダメになってしまった
観葉植物が何鉢かあった…。

シオシオになってしまったセントポーリア…これは根腐れのような気がする。
冬季は休間期なのでそんなに水はいらないと分かっているはずなのに
つい 水をあげてダメにしてしまう私。
パキラの挿し木してあったのも、何気に元気がない。
それでも ばぁ~ちゃんが帰ってきて、部屋も暖かくなったら持ち直したようだ。

そんな中で発見!!



テーブルヤシ…花なのか? 蕾なのか?
テーブルヤシは黄色い花が咲き種が出来るそうなのだが
雌雄異株なので一株では結実しなく、寄せ植えで結実することがある。
寄せ植えじゃないので結実は無理かもしれないが、黄色に咲く花は見てみたい。

紅梅の蕾も膨らみ始めてきた。




桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿
桜は切り口から腐ることがあるので切らない事。
梅は剪定しないと枝が伸びて花が咲かなくなるから切ったほうが良い。
桜と梅の剪定法の違いを言った言葉だ…。

そんな事を思い出して、適当にバチバチと枝を切ってあるので見栄えは悪いが
花が咲いたら、さぞかしキレイなのではないかと思う…たぶん。

冬来たりなば、春遠からじと言われるが、小寒の今日春の兆しを見つけた気がした。


コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お餅を喉に詰まらせる事故。

2006-01-04 23:49:30 | 日々雑事

昨日に引き続き、断続的に降り続いていた雪。
朝起きたら、とんでもないくらいに積もっていた。
それにしても、今年は例年に比べると雪の量が半端じゃない。


今日もお休みの夫はトラクターでの雪片付け。


毎年 お正月には必ずと言って良いほど、この手の事故がテレビや新聞を賑わす。
昨日の新聞にも県内で、小さくではあるが年末年始に3人のお年寄りが
いずれも大事には至らなかったようだが気をつけたい。
お年寄りの餅には注意を促されているがなかなかなくならない。

不思議とお年よりは餅が好きなようだ…。
昔から祝い事や節句の変わり目などには餅が搗かれていた。

年末の新聞のコラムには、餅を詰まらせた時の注意が書かれている。
詰まりやすいのは、喉の奥にある気管と食道の分岐する手前咽頭部分で
乳幼児とお年寄りは要注意との事だ。

餅を詰まらせた!!と気づいたら、まず 救急車を呼ぶ事。
だが、救急車が着く前の応急処置が暗明を分けるのではないかと思う。

まず 水を飲ませてみる。
うまくいけば、餅が食道に落ちてくれるかもしれない。

詰まった餅を指でかき出す。
これは、指を怪我する恐れがあるので保護に布を巻きつけると良い。

背中の上部を叩く。
肩甲骨の間を手の付け根で強く4~5回叩く。
子供の場合、足を持って逆さにして叩く手もあり。

上腹部を圧迫して吐き出させる。
ハイムクリック法と言って背後に回りこみ、みぞおちの下を押す。
自分でみぞおちと臍の間を拳で叩くのも良い。

掃除機の細いノズルで吸い出す。
スイッチは喉に突っ込んでから入れる事。

あとひとつ!! 方法が書いてあったが…。
新聞で公表されているのだから、間違いはないと思うのだが…。

太い白ネギで咽頭に引っかかってる餅を食道の方へ押し込む。

う~~ん!! なぜネギなのか?
確かに台所にある物でと言うと、確かにネギが良いのだが…。
真面目な対処法なのに、ねぎ? 
確かによく考えてみれば、太さも長さも丁度良いし微妙な曲がり具合。
ネギの他には考えられないような気がする…でも ネギか!

まぁ 詰まらないに越した事はない。
餅を小さくカットするとか、粘り気の少ない団子系にするとか…。
そういえば、売っている餅でミニサイズってのは見当たらないが
こんにゃくゼリーでは小さいサイズのが販売されてる。
餅のミニサイズカット、なんてものは販売されないのだろうか?

何はともあれ、お年寄りの方が餅を食べる時は、一人で食べない事が第一なのかもしれない。



コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この吹雪の中、福満虚空蔵尊円蔵寺!

2006-01-03 23:27:50 | プチドライブ・地域の事
今日は朝からの雪で吹雪状態だったが、せっかく実家へ行き
福満虚空蔵尊円蔵寺にお参りしないのもなぁ~~と、お義姉さんと夫と3人で出かけた。
車で30分強の所ではあったが、かなりの雪と
民家の建物がなくなると、すぐさま地吹雪状態で何も見えなくなってしまう。

ってか、夫に実家から柳津まで運転してくれとお願いしたところ
免許証を持ってこなかった…なに!! 敵は呑むつもりなのだなΣ(゜д゜;) ヌオォ!?
それでも、お義姉さんが認知気味の母親を一生懸命に面倒を見ているのだから
たまには、行きたい所へ連れて行ってあげたい…と思った。

最初はどうなることかと思ったが、地吹雪で一寸先も見えない時もあったが
そういう時は路肩に停めて通り過ぎるのを待った。
反面 参拝者は、ビックリするほど少なく、いつもなら駐車場まで何十分もかかった時間が
今日はノンストップ状態で楽々辿り着けた。



駐車場から二箇所の急な石段を降りると、福満虚空蔵尊円蔵寺は目の前だった。
入り口に手を洗ったり口をすすいだりして清める所があり
その横手には牛の銅像が建っている…って言うか埋まっていた。




その昔 この寺の大構築は大きな難工事で、その時に使われた赤べこ(赤牛)
丈夫で大変な働きをしたと伝えられており会津の代表的な玩具「赤べこ」として親しまれている。
そこでは、肩が痛かったら肩を擦り、頭病みをしたくなかったら頭を擦る…。
そんな具合に、みんなが あちこちを擦っていくので
あの雪でさえも覆いかぶさる事もなくテカテカに光を放っていた。


  

中に入ると大鰐口(おおわにぐち)が吊り下げられて、
一月七日の七日堂裸まいりで、下帯姿の男衆が本堂内で大鰐口を目指し
先を争って打ち綱をよじ登るお祭りなども催される。

その大鰐口を太い綱で叩くのだが、なかなか良い音が出ない…。

円蔵寺の下を流れる只見川には、天然記念物に指定されているウグイが生息しており
魚淵と呼ばれて、弘法大師が、霊木を刻んで仏像を彫ったときの木くずを川に流すと
たちまちウグイとなったという伝説がある。
ウグイはなわばり意識が強く、単独で生息するがここでは群れをなしてる。
蒲生氏郷が川に毒を流しても、このウグイだけは死ななかったと言う逸話もあった。


ひどい雪の為に前の方まで行けなかったので川が良く見えない…。

お参りが終わって、名物粟まんじゅうを買って帰途へついた。
 

途中、坂下町という所のドライブインで食事をしたが
桜肉(馬肉)が有名な所で突き出しに桜肉のの煮込みを出してくれる。
食堂の隣が販売店となっており、突き出して食べた煮込みが
お店の真ん中に大鍋で煮込まれて、自由に試食が出来るようになっていた。

 


地吹雪の中のお参りではあったが、きっと 何某かのご利益はあるのではないかと思う。
因みに、おみくじ…『吉で運気向上の気配あり…ただし図に乗らぬように』とあった。
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キング・オブ・シュガー 松江春次

2006-01-02 23:51:38 | プチドライブ・地域の事

モノクロームの世界なので久々の椿の花の赤が眩しかった。


年末のテレビ放送を見て…。

会津に生まれ育った私だが恥ずかしい事に、その人の存在を知らなかった。
キング・オブ・シュガーと呼ばれ、日本で初めて角砂糖を作った人だ。

第9代若松市長 板東俘虜(ばんどうふりょ)収容所長 松江豊寿氏の弟にあたる。


明治9年、会津若松市馬場町(現在の中央二丁目)に生まれ
当時の会津中学(現会津高校)を卒業後、
苦学して東京工業学校(現東京工業大学)応用化学科を卒業。

何と、あの野口英世博士と机を並べた仲なのだとは驚いてしまった。

後に大日本製糖に入社し、アメリカのルイジアナ大学に留学・砂糖科を卒業し
技術習得のためヨーロッパにまで足を伸ばし、国際的視野を持ち
31歳で帰国し、日本初の角砂糖の製造に成功した人で
松江春次の銅像は米国支配下の今日でもサイパンに残っている。
南洋興発のサトウキビ農場跡地に作られた「シュガーキング・パーク」に立つ
銅像は大日本帝国の南洋展開の名残りとなっているようだ。

生来無一物(しょうらいむいちぶつ)
大戦の戦火が広がる昭和18年、67歳で会社の経営を下りてる。
晩年は「生来無一物」と大書し、サイパンへの郷愁を抱きながら、
酒を酌み交わすことが楽しみで、昭和29年に78歳で永眠した。



角砂糖とは、原料たるグラニュー糖に、純度の高い濃厚な砂糖液を少量加えて混合し
角砂糖成型機に入れて成型・乾燥させたもので
砂糖以外のものは使用していず、糖の精製度が高く匂いがないため
コーヒーや紅茶のように香りを重視する飲料に使用されることが多い。

昔は、コーヒー・紅茶と言えば角砂糖がつきものだったが
最近は、スティックシュガー等の小袋製品が一般的になり、生産量は少なくなってきている。
角砂糖のもとはグラニュー糖なので、他の用途に使うことは何の問題もなく
一粒づつ重さが分かるので、お菓子作りなどには便利なのではないかと思う。


今日は子供らは遊びに出かけていて、夫は年始まわり
ばぁ~ちゃんもショートステイ中なので、一人でのんびり出来た。
ドリップでたてたコーヒーにブランデーを垂らした角砂糖の青い炎で
カフェ・ロワイヤル」をと思ったが、残念ながらご他聞にもれず我が家にも角砂糖がなく
まして、ブランデーなど飲めるはずもなく単なるブラックで!という事になってしまった。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明けましておめでとうございます&誕生日

2006-01-01 23:55:38 | 日々雑事

明日の晴天を暗示しているような、元旦の夕日


このところ雪が続いた天気だったが
元旦の今日は朝から、新しい年を祝福するような晴天に恵まれた。

夜中に鶴ヶ城に初詣に行き帰って来てからも
しばらく起きていたので朝はかなり遅くまで…寝正月って感じだった。
毎年 近くのスーパーへ福袋を買いに行っていたのだが今年はパスしてしまう。

福袋とは、縁起物的要素・お祭り的要素という点を考慮して求める物なのだと思う。
価格ばかりでなく、中身本位で 選択する処がが強いのではないだろうか?
まぁ 福袋を買って、シマッタ!!って思うことの方が多い…。


午後、近くの神社へお参りへ行く…。



今年の春に『やめ祭り』へ行った伊佐須美神社で、相変わらずの人出に早々に帰ってくる。
その近くには文殊様 と言って菅原道真を祭った神社があり、受験生などはそこで合格を祈願する。


そこには、地域で有名な『きんつば』屋さんがあり列を成していた。

きんつば』とは一般的にな今川焼きと同じもので
この辺りでは、むかしから、『きんつば』と言っていた。
日本一のきんつば』と書いた張り紙があり
日本一かどうかは分からないが
食べるとはみ出してくるぐらいたっぷりあんこが入っているらしい。


今日は、2006年の始まりの日ではあるが、実は私の誕生日でもある。
私はこの元旦誕生日があまり好きではない!!
必ずや、『おめでたい日』と言う言葉がついて回る。

確かにおめでたい要素が無きにしも非ずではあるが…。

でも良く調べたら、キンキの堂本君や役所広司さん、作家の夢枕 獏さん。   
Mr.マリック…古いところでは、一休和尚や聖徳太子・神武天皇等など…。
他にもたくさんの人が元旦生まれの有名人が居た。
そんなところをみれば、元旦生まれも悪くはないかと思える。  

まぁ とにかく、今日でまたひとつ年齢を重ねてしまったpochikoだった。

我が家の面々、私が誕生日だったなんて事は頭の片隅にもないようなので
夕食後 後片付けをしながら、一人でレアチーズケーキを作った。



とにかくヘルシーに作ったが、相変わらずに重箱を使う…^^;
しかも 出来上がりが気になり、指で触った所がクッキリと跡が残っていた。

このチーズケーキ…密かに一人で食べてやろうと思っている。


コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする