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South Is. Alps
South Is. Alps
Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
Lake Griffin


オーストラリアン

オーストラリア料理は、この20年ほどの間にめざましく変化したといえる。
始めてオーストラリアに来た1984年頃は、交換レートが悪く(当時は1ドルが220円ほどであった)われわれは、宿にも食事にもあまりいいレベルのところに行くことができなかった。それでも、予算内のレストランを探すと、イタリアン、グリーク、レバニーズが多かった。頼りになったのは、そういう店であった。他のカテゴリーとしては、ステーキハウスとチャイニーズであった。
チャイニーズはシドニーのチャイナタウンをのぞいては、たいていの町にあるのはテイクアウェイだった。そのころ、大都市で頼りになったのがチャイニーズを中心とした「フードマーケット」である。当時、シンガポール航空を利用していた。これは、オーストラリアへの航空運賃がもっともやすかったからである。18万円くらいであったであろうか。今から思えば、まだまだ高いのだが、そのころ、カンタス航空で直行しようと思うと、40万円といわれた。これでは、我々の渡航費は片道運賃になってしまう。
その途中経由するシンガポールの街角で数多く見かけたのがオーストラリアでいう「フードマーケット」形式の食事文化だった。シンガポールは多民族都市で、各種中華料理やインド、マレーシア、インドネシアなどの小店が軒を並べ、われわれは好きなものを注文し、広場に並んだテーブルで食事をした。ビールが飲みたければ、飲み物専門の小店で買った。
オーストラリアにアジア系のレストランが増えたのは、80年代も最後の頃からだろうか。タイやベトナム、マレーシア、インド系のレストランが増えてきた。それに伴うように、オーストラリアンをうたうレストランも増えてくる。
90年代の半ばになって、今度は質が変わった。様々なハーブが大きなスーパーにおかれるようになったのもその頃である。
オーストラリアンという料理はそもそもなかったわけで、イギリスの伝統をひくとすれば、フィッシュ&チップスであった。また、家庭では一週間に一度は行われるというバーベキューをレストランにするとすれば、ステーキハウスであろうか。
90年代の半ばになって現れたオーストラリアンという料理は、オーストラリアという国家の多民族性の通りに、様々な料理、とりわけアジアのテーストを取り入れたいわば無籍料理のカテゴリーに入る料理であった。
また、最近では、アボリジニたちが食べていた「ブッシュフード」といわれるものがこのオーストラリアンでしばしば使われるという。肉の種類では、ワニとか、エミュー(ダチョウのように飛べない鳥)、カンガルーがそれである。それ以外に様々のベリーやナッツのたぐいである。シドニーの友人がつとめているのは大きな食材卸の店で、レストランに食材を卸しているらしい。彼女によるとこの「ブッシュフード」が最近のトレンドであるのだという。
オーストラリアのオーストラリアンという料理に注目しよう。

2004-09-01 21:49:21 | 情報 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


ワーフのフードマーケット

今日の晩飯は、友人一家(夫婦と5歳の男の子と10ヶ月の女の子)と泊めてもらっている友人のあわせて6人でとワーフへ食事に行った。以前行ったワーフの先のシーフードの「クラスタシーン」レストランの手前にあって、10軒ほどの店、フィッシュ&チップスやエスニック料理を出す小店があつまった一角である。このような形式の場所をオーストラリアでは以前は「フードマーケット」と呼んでいた。
各自が好きなものを好きな店で注文することとなった。私の食べたのは、タイ風で「エビとイカのレモングラスソース炒めとライス」にした。フレッシュハーブが使われて、香りがとてもいい。同時に、辛さも適度に抑えられていて、オーストラリア人の口に合わせているのだろう。客層はどちらかというと地元の人たちで、おそらく観光客は先のレストランの方に行くと思われる。また、このワーフの海岸よりのところに新しいレストランができていた。
ダーウィンは元々ポート・ダーウィンという名前の港町にちなんでいるのだが、現実にはここは非常な遠浅で干潮と満潮の差が10メートル近くある。そのためにあまり良港とはいえないと思うのだが、現在もそうだが海軍基地が置かれ、日本軍が連合国にたいして百数十回にわたって直接爆撃して破壊した唯一の町がこのダーウィンである。
ダーウィン港は遠浅だから、艦隊が集結するような港ではないが、海軍基地として遠浅の海で港の機能を果たすために、海に向けて桟橋を長くつきだし(これをJettyと呼ぶ)、船をつけるようにした。数百メートルも突き出すのである。今日訪れた「ワーフ」というのは、現在残るもっとも古い桟橋である。

2004-09-01 21:48:28 | 夕食・パーティなど | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )