『ココス島奇譚』
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鶴見良行、1995、『ココス島奇譚』、みすず書房
オーストラリアの友人(母親の世代で、彼女は、息子のように思ってくれている)の長男がオーストラリア領のクリスマス島に教師としてしばらく赴任していたことがある。クリスマス島は、インド洋に浮かぶ珊瑚礁の島で、オーストラリアからはずいぶん離れている。また、別の友人(同世代の友人で、海洋考古学者である)は、インドネシアの海洋民の調査をしていて、その関連で、アシュモア環礁への調査に行っていた。これらの話を聞いたとき、その地理的な位置について、あまり考えることがなかった(というか、希薄だった)のだが、本書を読んで改めて考えなおしてみた。
クリスマス島は、インドネシアのジャワ島の南400キロほどに位置し、アシュモア環礁は、チモール島から200キロほど南、本書の舞台であるココス島は、先ほどのクリスマス島のさらに、千キロほど西南西のインド洋のまっただ中の環礁である。オーストラリア本土からの距離の方がさらに遠いことは言うまでもない。これらが、オーストラリア領であることは、もちろん、イギリス領(植民地)であったことに由来するわけである。
鶴見良行の遺著となった本書は、未完であって鶴見が最終的にどのように結ぼうとしたかを推し量ることはできないが、本書で描こうとしたのは、西欧のプランテーション経営と東南アジアの人々との関わりと、アイデンティティの問題であったと思われる。また、彼は本書の中で、ココス島研究のきっかけのひとつが「日本人の一粒種信仰」を突き崩したいと考えたことであるとも述べている。
ココス島民と鶴見との出会いはボルネオのサバ州のココス村であった。彼らは、周辺の人々と交流しながらもココス島民としてのアイデンティティを維持している。もともと、ココス島は無人島であって、支配者の都合によって奴隷としてつれてこられた人々であったし、サバに移り住むことになったのも、同様の理由であったのだが、それにもかかわらず、単に離散するのではなく、ココス島の人々としてのアイデンティティを維持しているのである。
日本という大陸の東の果てに様々な理由によって流れ着いた人々が、それぞれのアイデンティティを構築しつつ長い歴史の営みをしてきた日本列島民が、これまた、歴史の事情によってまた、為政者の政策的意図によって、あたかも、日本列島における「一粒種」として一体であるとの幻想をもち、周辺の人々と特に近代以降において度重なる軋轢を繰り返してきたことは、改めて指摘するまでもなかろう。網野善彦が日本の為政者の目であるいは多数者の目で日本の歴史を見るのではなく、日本に居住する少数者の視点で歴史を見ようとしたのと同じく、鶴見は「海からの陸を見る」事によって日本をあらためて見ようとした(たとえば、『ナマコの眼』筑摩書房)。こうした視線の重要性を改めて気がつかされた。
本書は、ずいぶん前に購入して積ん読していたものであったが、思わず一気に読んでしまった。
オーストラリアの友人(母親の世代で、彼女は、息子のように思ってくれている)の長男がオーストラリア領のクリスマス島に教師としてしばらく赴任していたことがある。クリスマス島は、インド洋に浮かぶ珊瑚礁の島で、オーストラリアからはずいぶん離れている。また、別の友人(同世代の友人で、海洋考古学者である)は、インドネシアの海洋民の調査をしていて、その関連で、アシュモア環礁への調査に行っていた。これらの話を聞いたとき、その地理的な位置について、あまり考えることがなかった(というか、希薄だった)のだが、本書を読んで改めて考えなおしてみた。
クリスマス島は、インドネシアのジャワ島の南400キロほどに位置し、アシュモア環礁は、チモール島から200キロほど南、本書の舞台であるココス島は、先ほどのクリスマス島のさらに、千キロほど西南西のインド洋のまっただ中の環礁である。オーストラリア本土からの距離の方がさらに遠いことは言うまでもない。これらが、オーストラリア領であることは、もちろん、イギリス領(植民地)であったことに由来するわけである。
鶴見良行の遺著となった本書は、未完であって鶴見が最終的にどのように結ぼうとしたかを推し量ることはできないが、本書で描こうとしたのは、西欧のプランテーション経営と東南アジアの人々との関わりと、アイデンティティの問題であったと思われる。また、彼は本書の中で、ココス島研究のきっかけのひとつが「日本人の一粒種信仰」を突き崩したいと考えたことであるとも述べている。
ココス島民と鶴見との出会いはボルネオのサバ州のココス村であった。彼らは、周辺の人々と交流しながらもココス島民としてのアイデンティティを維持している。もともと、ココス島は無人島であって、支配者の都合によって奴隷としてつれてこられた人々であったし、サバに移り住むことになったのも、同様の理由であったのだが、それにもかかわらず、単に離散するのではなく、ココス島の人々としてのアイデンティティを維持しているのである。
日本という大陸の東の果てに様々な理由によって流れ着いた人々が、それぞれのアイデンティティを構築しつつ長い歴史の営みをしてきた日本列島民が、これまた、歴史の事情によってまた、為政者の政策的意図によって、あたかも、日本列島における「一粒種」として一体であるとの幻想をもち、周辺の人々と特に近代以降において度重なる軋轢を繰り返してきたことは、改めて指摘するまでもなかろう。網野善彦が日本の為政者の目であるいは多数者の目で日本の歴史を見るのではなく、日本に居住する少数者の視点で歴史を見ようとしたのと同じく、鶴見は「海からの陸を見る」事によって日本をあらためて見ようとした(たとえば、『ナマコの眼』筑摩書房)。こうした視線の重要性を改めて気がつかされた。
本書は、ずいぶん前に購入して積ん読していたものであったが、思わず一気に読んでしまった。
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