これぞ歴史の醍醐味を示しているいうべきだろう。歴史は、いわば名もない人々によって生きられるのだ。本書の主人公三輪ヒデは、元松前藩士の娘として函館に生まれ、亡命ロシア貴族と結婚してインドネシア(旧オランダ領東インド)に移り住み、ソ連の国籍を持つことを拒否して無国籍者であることを選択した夫とともに、無国籍者となって太平洋戦争前、戦争中、戦後の混乱期をバンドゥンで暮らし、9人の子供を育て上げた。戦中の日本軍政への貢献により逮捕・裁判・勾留をへて、植民地宗主国オランダへの追放の後、子どもたちの住む、オランダ、アメリカ、日本、インドネシア、イタリアを転々と過ごした彼女の一生は、明治以降の世界史の中にあったと言える。
著者がインドネシアの公文書館で見つけた書類に端を発して、次々と明らかになって物語は、一気に読むことを強いてくれた。一個人の一生を復元する作業は、おそらく、気の遠くなるような労力を必要としただろう。しかし、あとがきに記されるように、残されていた二人の子供と孫たちの記憶を手がかりにして、再構成された個人史は、著者とも不思議な縁でつながっていることがわかったという。
インドネシアの近現代史を知る機会はこれまであまりなかったが、本書を手がかりに、少しでも知識を深めることができた。