複雑な構成を持つ作品。主人公は物語そのものでもあるようだが、物語は多様な流れをもっていて、どれが真実か(小説なので、真実であるかどうかはもちろん定かではないのだが)、あるいは、どれが物語の流れであるのか、読みにくいまま物語は進む。
全体をざっくり説明するとジェームズ・フレーザーという作家(著者自身のようにも見える)がコロンビア大学時代(1960年代後半)の友人のアダム・ウォーカーから受け取った手稿を巡って「旅」をするという体裁になっている。冒頭はアダム・ウォーカーから受け取った作品からはじまるので、ウォーカーが主人公かとおもうと、フレーザーが登場し、死期の迫るウォーカーから受け取った手稿であることが明らかにされる。
そして、西海岸に住むウォーカーと再会の約束をして訪ねるが、彼は数日前に死んでおり、義理の娘からフレーザーに渡すようにと託された続編の入った封筒が渡される。ニューヨークに帰ったフレーザーはウォーカーの作中に登場する彼の姉のグウィンとあって、彼の書いた手稿の信憑性についてかたりあう。そして、「真実」を隠したまま出版することを提案される。
たまたま、手稿に書かれた最後の部分の舞台であるパリに行くことになったフレーザーは、手稿に書かれていたフランス人少女のセシル(手稿の登場人物の生存者の一人)と出会うことになる。手稿に書かれた当時は高校生であったセシルはすでに50代後半となって、文学関係の仕事にしている。彼女が書き残していた数年前の主要登場人物のルドルフ・ボルン(セシルの母と結婚しようとしていた)との再会と別れについての日記がそれで、ボルンは自分の人生について語るのでそれを小説にしろという。
決裂したセシルは、一人屋敷を出て街に出てフランスに帰ろうとする。本書の最後のシーンは、セシルの日記にかかれた彼女がさろうとするカリブ海の小島での植民地時代の奴隷労働者の石を割る作業の音と歌声の記述(幻想?)で本書が終わる。この後、ストーリーが続きそうな余韻をのこしつつ。