今年も泥んこ運動会(5回目)が開催されました。一週間ほど前、この運動会のための草刈りを丁寧にしたので、子供たちは畦周りを素足ですいすい歩いていました。田んぼ内も綺麗に耕運されていたので、ぬかるんではいても走りやすそうでした。最初の競技は泥んこドッジボールでした。地面上では白線を引けますが、田んぼでは引けません。テープを張って白線の代用にしていました。
張りめぐらせたテープの内側で泥んこドッジボール
子供の年齢差が大きかったので、ドッジボールを知らない小さな子供もいたようです。しかし、競技しているうちにだんだん分かってきたようでした。どの子供も最初は丁寧にボールを投げていましたが、だんだん熱をおびて白熱した対戦になりました。転んで体中が泥んこになってもへっちゃらです。
対戦前に子供たちで役割を決める 元気に泥んこドッジボール
ドッジボールも後半になると、体中が泥だらけになる子供ばかりになりました。泥が目に入ってしまった子供は、お母さん方から綺麗な水を顔にかけてもらいながら洗っていました。洗い終わると、再び元気に泥んこドッジボールに参加していました。
泥んこになった顔、すぐに綺麗な水をかけてもらい洗う
泥んこドッジボールが終わると、今度は棒引きです。棒は竹筒でできているため田んぼの水面にに浮かびます。競技中は二つのチームが田んぼの真ん中に浮いた棒を取り合います。子供たちは三つのチームに分かれていたため3回戦で競技しました。棒は四つあります。たくさん棒を取ったチームが勝ちです。
左右に分かれたチームが、真ん中に置かれた四つの棒を取り合う
この競技は作戦が重要のようです、事前に大学生のお兄さんから作戦を教えてもらったチームは、四つすべての棒を取っていました。低学年の子供たちにはちょっとハードな競技ではなかったでしょうか。しかし、泥んこになっても一生懸命に棒を引っ張っている小さな子供の姿はとても微笑ましいものです。
競技前、棒を田んぼ中心に置く ぷかぷか浮く棒に戸惑い気味
泥んこ運動会会場の田んぼを管理しているのは東京薬科大学環境グループASIATOの学生たちですが、泥んこ運動会の競技種目を考えたり、子供たちを見守ったり、指導しているのは帝京大学の保育関連サークルとのことです。子供好きな大学生なのでしょう、子供たちへの声かけや扱いにはとても慣れているようでした。
帝京大学受付(参加費200円) 受付前、子供たちのサンダル
棒引きが終わると次は最後の競技です。広い田んぼをぐるぐる回るチーム対抗のリレーです。大きい子や小さい子が交じり合ってのかけっこです。大人でもぬかるむ田んぼ内を走るのは大変です。子供たちは転びながらも元気に走っていました。
転びながらも元気に走っている子供たち
このリレーは高学年の子供たちに有利なようです。足が短い小さい子は、走っているとぬかるみに足を取られて何度も転んでいました。しかし、それでも、何度も起き上がって走る姿はとてもすがすがしいものです。
1チーム二人、計6人がいっせいに走る 最後に順位の発表
チーム対抗泥んこリレーが終わると子供たちの競技は一通り終わりです。こんどは大学生や大人の泥んこです。一昨年や去年は一部しか泥んこ競技をみることが出来ませんでしたが、今年はひととおり見ることができました。競技が終わった子供たちは、体中についた泥を小川で洗い流したりしていました。その後、用意されたお菓子を食べて休んだようです。
泥んこ競技が終わって体を洗いに行く元気な子供たち
この日曜日に、多摩市など近隣地域の子供たちや学生が集まって、泥んこ運動会が開催されます。4年ほど前から行われていますが、私も時々その準備などを協力してきました。去年と一昨年は運良く仕事が休みだったので、その運動会を見学しました。今回もその協力の一つとした草刈りを支援しました。
どろんこ運動会が開催される田んぼを草刈り
泥んこ運動会が開催されるこの田んぼは、東京薬科大学の環境グループASIATOの学生たちが管理しています。毎年この時期5~6月上旬に、苗代を作ったり、代かきをします。去年、私は代かきや田植えの支援をしました。そして、学生たちは10月に稲刈りをして干して脱穀・精米をします。脱穀・精米はほぼ毎年私が支援しています。
上流側の田んぼの道端(草刈り前) 上流側の田んぼの道端(草刈り後)
泥んこ運動会が開催されるこの田んぼを、1ヶ月ほど前にも草刈りしました。しかし、この一ヶ月の間に、草刈りしたことが分からない位に雑草が伸びていました。5月になってから気温が暖かくなったので、刈り跡から雑草がどんどん伸びたのでしょう。
田んぼを仕切る畦(草刈り前) 田んぼを仕切る畦(草刈り後)
前回草刈りした時は、田んぼに水がありませんでした。このため畦周りはとても歩きやすく草刈りが容易でした。その後、ASIATOの学生たちが代かきするために水を入れていました。水を入れた田んぼはぬかるんでいます。ぬかるむと足場が悪くなり、草刈りが少し大変でした。時々泥が顔に飛んできて痛い思いもしました。
午前と午後をかけて田んぼを草刈り
田んぼではどこからかカエルの鳴き声がしました。畦のどこかで鳴いているのでしょう。また、卵から孵ったおたまじゃくしも田んぼ内の水にいるのではないかと思います。何の虫か分かりませんが、時々田んぼの水面を泳ぐ虫もいました。田んぼはいろんな生き物の住処なのだと思います。
田んぼを仕切る土手(草刈り前) 田んぼを仕切る土手(草刈り後)
草刈りをしていると、体育着姿の何十人もの由木中央小学校の子供たちが私の前を通り過ぎました。その子供たちは里山農業クラブの指導の下で田植えをしたようです。しばらくして、その里山農業クラブの知り合いの方から余った食材をいただきました。昼食休憩時、その食材を中心に食べながら休みました。
泥んこ運動会会場の田んぼを耕運する鈴木牧場のSさん
昼休憩を済ませて午後の草刈りの再開です。しばらく草刈りを続けていると、トラクターに乗った鈴木牧場のSさんがやってきました。そして、泥んこ運動会で子供たちが、田んぼ内を快適に走れるようにトラクターで丁寧に耕していました。
ほぼ草刈りが終わった田んぼ三面
この田んぼで一度、私が運転するトラクターが立ち往生したことがありました。今後私がトラクターで田んぼに入ることは無いと思いますが、Sさんの運転を見て田んぼ内でのトラクターによる耕運手順は勉強になりました。
下流側の田んぼの道端(草刈り前) 下流側の田んぼの道端(草刈り後)
泥んこ運動会は三つの会場に分かれています。それぞれに田んぼの面が割り当てられています。一番上流側の小さな田んぼは小さな子供用です。運動会をすると言うよりも、泥遊び用で泥山を作ったりして自由に遊びます。水着を着た小さな子供の楽しそうな泥遊びを見るのはうれしいものです。
この上流側の小さな田んぼは、小さな子供の泥遊び用
田んぼ三面のうちの中央面は大人や学生用です。泥んこバレーボールなどをして楽しみます。去年はやや天気が悪く肌寒かったのですが、泥んこバレーボールをみんな元気はつらつにプレーしていました。子供たちも応援していました。
中央の田んぼ面は大人や大学生用の会場
トラクターで耕した田んぼ面は子供たち専用の会場です。三面のうちで一番大きい田んぼです。ドッジボール,サッカー,棒引きなどで、子供たちが思い切り走れるように大きな面を選んでいます。この時期は梅雨のシーズンなので雨が心配です。去年は、雨で泥んこ運動会は延期になりました。今年はどうでしょうか。
子供たちがドッジボール,サッカー,棒引きなどをする会場
久しぶりに晴れ間が見えたので、自宅からバイクで40分位のところにある城山湖周辺を散策してきました。この散策路は15年位前に行ったことがありました。しばらく行っていないので、15年ぶりに歩いてみることにしました。城山湖は小さな人口湖で、この湖にたたえられた水を高低差150mの津久井湖に流して発電しています。25万軒分の発電量だとのことです。
小さな人口湖(城山湖)、津久井湖に水を流して発電
散策路は湖を取り巻くようによく整備されています。最初、車が十分通ることができる幅の未舗装の道を歩きました。このところよく雨が降ったので、道も漂う空気も湿っています。肌寒いので歩き始めにジャケットを着ました。林間から時々南側方面に、津久井城址公園がある城山や津久井湖が見えました。
車が通れる幅の、湿った未舗装道をのんびり歩く
しばらく歩くと、野鳥観察用の休憩所に付きました。暗く木が茂っているため視界がききません。これで野鳥を観察できるのでしょうか?この休憩所ができた当時は見晴らしが良くて湖を見下ろすことができ、湖で休む水鳥を観察できたのではないでしょうか。この休憩所からさらに20分程度道を登ると、ふれあい休憩所に付きました。ここで数分間、水分補給のための休息をとりました。
視界が悪い野鳥観察休憩所 水分補給休憩したふれあい休憩所
このころになるとジャケットを着て歩くと、汗が出るようになりました。ふれあい休憩所でジャケットを脱ぎました。半袖でちょうど良いくらいです。涼しい林間の道を、周りの木々を見渡しながらゆっくりと歩きました。平日にもかかわらず何グループかとすれ違いました。この散策路はダムを囲むように整備されているためなのでしょうか、ダムの内側には広葉樹が外側には針葉樹が多いように感じました。広葉樹はクヌギや楢などの自然林のようです。針葉樹は木の間隔から想像するに植林されたようです。
左側はダムの外側で針葉樹、右はダムの内側で広葉樹
ふれあい休憩所からの散策路は急勾配で下る道です。足元には木の根っこが這い回っているので、つまづかないように注意しながら歩きました。20分くらい歩くと、草戸山頂上の松見平休憩所に付きました。ここは高尾山などへの分岐点で、ここからあちこちへのルートがつながっています。ここには単独行や数グループの人が集まっていました。湖を見下ろせるかと思って展望台にあがりましたが、木が茂っていて見下ろせませんでした。立ち止まっただけで歩き出しました。
根っこが這い回っている散策路 松見平休憩所の展望台
松見平休憩所を過ぎると、ダムを囲む尾根道に沿ってさらに歩きました。最初はゆるやかな下り道でした。ところどころ階段がありましたが、人が楽にすれ違い出来る幅の道が続いています。やはり、ダムの内側は自然林、ダムの外側は植林したのでしょう針葉樹でした。一般的に針葉樹は暗くて植生も貧弱のように思えます。景色も単純で鑑賞するにあまり値しません。
左に針葉樹、右に自然林の小道をのんびり散策
この散策路で一番長い急勾配の下り坂がありました。さらに階段の間隔が歩幅に合わないので、下りるのに苦労しました。途中、息をハーハー言いながらこの急勾配を上っている人とすれ違いました。下るにも登るにも苦労する急勾配でした。急勾配を降り立った近くに最後のはなさき休憩所がありました。小さな休憩所で、すでに休んでいる人がいたのでそのまま通り過ぎました。この休憩所を過ぎて、しばらく歩くとダムに降り立ちました。
小さな休憩所「はなさき休憩所」 散策路の最後、ダムに降り立つ
この城山湖はロックフィルダムのようです。コンクリートを使わないで、土や石を積み上げて作ったダムです。ダムの外側には積み上げてできた広い斜面がありました。その斜面一面に草が生えていました。そして、ところどころに排水用でしょうか草の生えていない箇所がありました。
ダムを支える広々とした斜面、一面に草が生えるも所々に排水施設
ダムを渡り終わると、近くに作られた公園のテーブルで休憩をとりました。簡単な食事を取ったりラジオを聴きながら、汗ばむ体を休ませるようにのんびり時間を過ごしました。30分ばかり休憩するとも、バイクでダムを見下ろす場所に行きました。そこからは、ついさきほど歩いたダムを一望できました。
ついさきほど歩いたダムと湖をを見下ろす
この場所には広い駐車場と休憩所がありました。15年ほど前には休憩所はありませんでしたが、景色が良い上に駐車場もあるので休憩所が作られたのでしょう。ダムの建築経過やダムの構造などを案内した掲示板もありました。その説明を見てから家路につきました。
ダムの全景、このダムを囲むように整備された散策路を歩く
6年ほど前に知り合いと宮ヶ瀬湖に行ったことがありました。また3年ほど前に、丹沢方面にバイクで出かけた時に寄ったことがありました。今回ちょっと時間ができたので、久しぶりに宮ヶ瀬湖に行ってのんびり散策してきました。今は新緑が出揃った時期でしたので、まぶしいほどの緑がいっぱいでした。
湖を見下ろす広場に向かって下りる階段
バイクを止めたのは、湖の西側にある鳥居原と呼ばれるところです。平日にもかかわらずたくさんのバイクや車が駐車していました。単なる観光地ではなく「道の駅」のように、地元てで取れた野菜や食品が売られており、食堂もあります。さらに地元の方のためだと思いますが、研修施設もあります。
宮ヶ瀬湖の西側、鳥居原にある戸船場(運休中)
バイクを降りると、湖に突き出すようにせり出した場所に行きました。そこからは、対岸の宮ヶ瀬地区を見ることができます。休憩用のテーブルに座って、のんびりとラジオを聞きながら昼食を取りました。平日のため誰もおらず、のんびりと日向ぼっこすることができました。遠くに湖面を走る船が見えました。
湖を横切る、宮ヶ瀬虹の大橋 誰もいないテーブルで休憩
この湖は人造湖です。30年以上前に横浜に住んでいた頃、私は横浜山岳会に所属していました。この湖の南側にそびえる丹沢によく登山したものです。この頃にすべての丹沢登山ルートを走破しました。このとき、湖に沈む前の宮ヶ瀬の街をよく通りました。
この湖の底には、旧宮ヶ瀬の街がありました
この旧宮ヶ瀬は小さな宿場町のような街でした。上野原>宮ヶ瀬>札掛>大山>秦野へ抜ける山道ルートの宿場町の一つだったのではないかと思います。懐かしいその町並みは湖のそこに沈んでしまい、昔の面影はありません。
整備された公園内の池 駐車場に向かう静かな歩道
一時間ばかり休憩をとると、周辺をのんびり散策しました。まだ新しい公園なのか、4年前に植林した木々が規則正しい間隔で生えていました。あと10年ほどすれば、見事な花樹に育つのではないかと思います。駐車場に付くと水分を補給してバイクにまたがり出発しました。
湖に突き出した公園の一部、この先端にあるテーブルで1時間ほど前に休憩
以前犬を飼っていた頃、近くにある都立長沼公園によく出かけていました。しかし、犬が死んでからはあまり行くことが無くなりました。紅葉を見るためにこの公園に行くことはありますが、春はここ何年も行ったことがありませんでした。
新しく設置された木道を歩く、雨に濡れやや滑りやすい
最初、新しく作られた栃本尾根の歩道を歩いて見ることにしました。この長沼公園はアップダウンが激しい上に、雨上がりの道はとてもぬかるんでいます。このため、すべって転ばないように長靴をはいて歩きました。
湿った木々の幹や葉 雨上がりで暗い樹上
新緑に包まれた林の中を歩きました。緑が一面に茂っていた上に雨上がりでやや暗い林間でした。平日のため誰も歩いておらず、鳥のさえずりや木々がこすれる音しか聞こえません。わずかに木漏れ日が地面にそそいでいました。
やや暗い林間の小道を、木々を見上げながら歩く
しばらく湿った林間を歩いていると、浅川を見下ろす小さな展望台に着きました。この展望台からは明るい日に照らされた街が見下ろせました。走っている京王線の電車,道路を入る車や自転車が見え、都会の喧騒が耳に響きます。休憩用の椅子がないため、立って見下ろした後にすぐに歩き始めました。
小さな展望台、京王電鉄,道路,そして民家を見下ろす
小さな展望台を過ぎるとひたすら林間の小道を降りました。途中、暗い林や竹やぶの間を通り過ぎました。竹やぶはほとんど民家の近くにあります。そう思っているとすぐに民家のそばに降り立ちました。
湿って暗い林間 民家近くの竹やぶ
竹やぶの中をよく見ると、所々にクヌギの大木が立ってしました。竹やぶになると、地表に光が届かなくなるため若い樹木は育ちません。このクヌギの大木は竹やぶになる数十年前に育ったものと思います。
風が吹いて、竹と竹ががこすれる音が静かに響く
竹やぶを過ぎていったん民家の近くに下りると、山に向かって長泉寺尾根の小道を上りました。この尾根は犬の散歩でよく通ったことがありました。しかし、道に改修ですっかり変わっていました。歩くルートも一部変わっていましたが、改修のため歩きやすくなっていました。
アジサイの原種でしょうか 綺麗なピンク色の花
尾根を登りきると、霧降の道に合流しました。この霧降の道は、犬の散歩で一番多く歩いた道でもあり、かつ京王電鉄の長沼駅に行くとき使った近道です。石板で舗装されています。今は、車やバイクで駅に行くのでこの道を歩くのはまれです。
頂上園地のベンチに座って、ラジオ放送を聞きながらのんびり休憩
霧降の道を少しばかり上ると頂上園地です。ここの広場にはたくさんのベンチがあります。濡れていないベンチに座って休憩しました。そして、ラジオを聞きながら少しばかり汗ばんだ体を冷やしました。30分位休憩すると、この公園の一番高いところにある展望台に行きました。
尾根道を展望台に向けて歩く 木陰にある展望台
この展望台からは八王子市内を一望できます。今日は雨上がりのため遠望できませんでしたが、天気が良いと狭山方面や高尾山を見通すことができます。10分程度景色を眺めた後、ぬかるむ山道を歩きながら自宅に向かいました。
展望台より八王子市市内を見下ろす
このところ農作業が暇のため、天気が良い日はあちこちの公園を散策しています。今回は近くの上柚木公園を散策しました。北に向かって広がる芝生が魅力の公園です。近くに野球場や競技場があるため駐車場もたくさんあります。休日この駐車場は混んでいますが平日は空いています。
北に広がる芝生と360度展望できる展望台
芝生に寝転がって空を見上げると飛行機が飛んでいました。よく飛行機雲が見えますが、今回はは見えませんでした。真っ青な空と雲を見上げながらしばし昼寝をしました。広い芝生では、若夫婦や老夫婦の姿や犬を散歩させている家族などが散策していました。
寝転びながら北を見ると、真っ青な空に白い雲が混在
気分転換に2ヶ月ぶりに津久井城公園の散策に行ってきました。バイクで行くと1時間程度で行けます。これまでは春に行ったり秋に行ったりしていましたが、冬に行くのは初めてのことです。この公園を知った頃は頂上の津久井城跡まで登りましたが、最近はもっぱら途中の見晴らし台までしか行きません。
入り口付近の管理棟 麓は箱庭のような公園
晩秋を過ぎた初冬のため、風が吹くと冷たい風が顔を吹き抜けていきます。しかし、今日は風も比較的穏やかで日差しも強かったので快適に散策できました。田舎道をゆっくり歩いているような感覚で、冬枯れ直前の景色を堪能しました。
菜の花畑から丹沢山方面を遠望
初冬でありながらわずかに紅葉が残っていました。例えばもみじの一部が紅葉したまま落葉せずに残っていました。これも初冬の風物詩なのでしょう。晩秋の残りを探しながらの、のんびり散策をしました。
落葉せず残った紅葉もみじ 持ってきた、双眼鏡と古いラジオ
見晴らし台に付くと、ラジオを聴きながら一時間ばかり日向ぼっこ休憩をしました。近くのテーブルには、この公園の写真を撮影しに来たお年寄りのグループが楽しそうに輪になって談笑していました。この公園は、幼児とお年寄り,そして障害者が楽しむには丁度良い環境が整っています。お年寄りがのんびりと,又は車椅子でゆっくりと回れるように道が整備してあります。
すっかり葉が落ちた落葉樹の林、日差しが根元まで差し込む
この公園は、夏にはヒエや粟などの作物が、冬には麦類が栽培されています。ちゃんと収穫しているのかは定かではありませんが、目を休ませるのにほどよい緑を提供してくれています。
麦畑の小道をのんびり散策しながら下る
歩いていると、あちらこちらにカラスウリがぶら下がっていました。枯れた雑草や小枝にぶら下がる赤い実が印象的に目立ちます。野鳥が食べないところをみると、あまり美味しくはないのでしょう。渋柿のように種が熟すと、もしかして甘くなるのでしょうか。
枯れ枝にぶら下がるカラスウリ あちこちにある麦畑
この公園は、ちょっと町から外れていてバスなどの停留所からも離れています。しかし、定期的に来ているファンが少なくないようです。景観も絶景と言うわけではないのに座って眺めると落ち着くような田舎風景が広がっています。楽しむと言うよりも、気持ちが穏やかになるようなところです。
落葉せずに黄色に色づいたクワの大木
この公園には植林した杉林,昔から炭焼きに使ったと思われるクヌギや楢の林,そして自然のままの落葉雑木が、モザイク状に点在しています。夏は杉林の間を歩くと涼しく、冬は日差しが差し込む落葉樹の間を日向ぼっこしながら歩くと良いです。
クヌギや楢などの落葉樹と常緑樹が混在する林
2年ぶりでしょうか奥多摩に行ってきました。20年ほど前、奥多摩の古い作物を中心とした民俗文化を調査するために何度もこの奥多摩地区を訪れたことがあります。この奥多摩も、この20年間にずいぶんと変わってしまいました。調査に訪れた古老も、ずいぶんと亡くなったり又は施設に入っておられます。まずは奥多摩ダムにある施設で休憩しました。この施設では毎年秋に、この奥多摩ダムに沈んだ村に伝わる伝統芸能の発表があります。
奥多摩を代表する奥多摩ダム 湖底に沈んだ村を祭るなどの施設
当時調査したのは、この地域で日常的に栽培され食べられてきた雑穀文化です。作られた代表的な作物は、夏作物としてヒエ,粟,シコクビエ,小麦,もろこし,小豆などです。冬作物として大麦がよく作られてきました。奥深い山間地域ですので稲作は出来ませんでした。お米はとても貴重ではれの日ぐらいにしか食べなかったそうです。お米の入手方法は、炭焼きや箸作りなどを生産した代金で買っていたそうです。調査後、しばらく奥多摩に来る機会がありませんでしたが、最近は4年前,3年前,2年前とほぼ毎年訪れています。
奥多摩湖から見上げた民家、昔道(むかしみち)のスタート地点
この地域では平らな畑がほとんどありません。転げ落ちるような急斜面に畑が作られており、その畑にヒエや粟などの雑穀が作られていました。ほんの5,6年前まではヒエや粟が作られているのを何箇所か見かけましたが、今は一軒しか見ることができません。
奥多摩ダムから湖を見て、太陽が反射して湖面がキラキラ光る
雑穀を作っていたのはほとんどがお年寄りでした。その古老達が亡くなるたびに雑穀食の分が無くなるのは寂しいものです。私の手元にある種々の雑穀(ヒエ,粟,シコクビエ,黒斑小豆など)はこの奥多摩で手に入れたものです。
山の急斜面に張り付くように民家が並ぶ奥多摩山間部
奥多摩ダムを過ぎると道なりに峰谷地区に登りました。この地区は昔は一つの村だったとのこと。山の底に流れる川に沿って民家が多く立ち、山の急斜面に沿うようにパラパラと民家が並びます。20年ほど前、この付近は冬作物の大麦がたくさん栽培されていましたが、今回行ってみて全く麦類が作られていませんでした。ちょっと寂しい気持ちです。
山の西側、午後遅くまで日が当たる 山の東側、午後になるとすぐ日陰に
山の斜面に作られた畑はほとんどが耕作放棄されていました。放棄された理由は、栽培する古老がいなくなったり、イノシシや猿の被害などが上げられます。実際、今日道を通っていると猿が民家の屋根を歩いているのを見かけました。
植林した常緑樹と落葉した落葉樹がモザイクになった山々を遠望
奥多摩は登山道がたくさんあるため、山のふもとにはハイカーの車が何台も置いてありました。日帰りで山に登るために、山のふもとに車をおいたのでしょう。私も、神奈川山岳会に所属していた頃に雲取山を代表とする奥多摩の山々をよく登ったものです。
奥多摩の山肌に張り付くように並ぶ民家
奥多摩の峰谷地区を降りて、元奥多摩有料道路を通りました。12月初旬のためまだ道路は凍結していませんでした。比較的有名で、走りやすい道路のためか、車が何台も走っていました。自転車で走っている姿もちらほら見かけました。私も二十歳頃に初めて買ったスポーツタイプの原付で、この道を通るために横浜から来たことがありました。当時、この道路は有料でした。
湖面に浮かぶ小さな山々 道すがら見下ろした湖面
元奥多摩有料道路は三頭山の頂上を迂回するように走っています。そして、途中に「都民の森」施設があります。この施設の横を通ると、たくさんの車が駐車しており満車の表示がでていました。10数年ほど前、反対側の山梨県側から登ってこの施設に降りてバスで帰ったことがあります。さまざまなハイキングコースや森林体験コーナーがあったように思います。実際、神奈川山岳会に所属していたときにこの付近のルートを歩いたことがありました。
元奥多摩有料道路の休憩地点から、奥多摩湖を見下ろして
私は元々田舎生まれの農家兼酪農家育ちのためか、都会生活になじめない時があります。そのため、この奥多摩のしかも山間部に来るとホッとするものがあります。山の緑と空の青に染まる民家のたたずまいを見るだけも癒されます。
さっき登って降りた奥多摩の峰谷地区の山々と東京都最高峰雲取山を遠望
元奥多摩有料道路を過ぎると、新宿などの都市が遠くに見える箇所があります。ここで、休憩をとりました。この頃になると、日差しも陰るようになり寒くなってきました。あとは、自宅のある八王子に向けてひたすら走りました。
新宿などの都心が遠望できる休憩所で休息
この付近の田んぼは、山から自然に湧いた水が流れる小川に頼っています。そして、江戸時代とあまり変わらないような水利管理をしています。このため、台風などの時はちょくちょく小川が氾濫します。そのたびに、田んぼが土砂で埋まってしまうことがあります。こんな田んぼですが、毎年のように子供達に田植えや稲刈りを小学校ぐるみで体験してもらっています。また大学生も田植えや稲刈りにやって来ます。さらに、幼稚園,中学生,高校生,ボーイスカウトなども体験にやって来ます。
田んぼで、この地域固有のワラボッチ
この付近は東京都八王子南部に残された貴重な里山の一つです。ここの田んぼは個人では耕さず、自然を守る会,農業体験をするNPO,大学の環境グループなどが主に耕しています。そして、将来にわたって残す東京都の貴重な里山の一つです。
青い空をすじ状に流れる秋特有の雲
山,田んぼ,谷戸,小川などがセットになって、さらにそれを管理する人がいて初めて里山が成り立ちます。これまでは地元のお百姓さんが個々に農業や林業をしながら自然と関わりながら結果として管理していました。落ち葉は畑などの堆肥になります。私も以前は毎年のように山の落ち葉掃きをして落ち葉を採集していました。昔は、山,田んぼ,畑,小川などが人間の生活とみごとに循環していました。
木漏れ日が差し込むコナラ林
しかしながら、高齢化のため人々が自然と関われなくなって里山が崩壊していく例が全国的に増えています。人が管理しなくなり自然のままに放置すると、あっと言う間に里山は無くなってしてしまいます。
落葉しつつあるコナラやクヌギ
この地域では江戸の昔、笹(あずま根笹)の皮をはいで籠を作っていました。私の知っている方も、器用に皮をはいで籠を作ることができます。時々近隣の小学校に行っては、この伝統文化を教えています。私もお手伝いしました。
田んぼの脇道に沿って笹が群生
ここの里山は、東京でありながら蛍が生息していますし、トウキョウサンショウウオやホトケドジョウなどの貴重な生き物もいます。以前、私は大学の専門家を招いてトウキョウサンショウウオ観察会を企画したこともありました。いつまでも残したい貴重な里山です。
緑が光ってとても綺麗な、稲の刈痕とひこばえ
雨の合間を見て、津久井城址公園を散策しました。心身ともに疲れた時など、年に2,3度この公園を散策します。私はバイクでこの公園に行くのですが、好きな人はバスでこの公園のふもとのバス停まで来て、そこから歩いて来るようです。
津久井城址公園入り口の事務所
山頂まで行くこともありますが、天候が不安定のため今回は途中の休憩地まで行きました。散策途中、この地域で古来作られていた雑穀が栽培されていました。栽培されていた雑穀の種類は、粟(あわ),黍(きび),高黍(たかきび),陸稲(おかぼ)です。収穫する予定が無いのか、スズメなどの鳥が実をほぼ食べつくしていました。
黍(きび) 高黍(たかきび)
雑穀が栽培されている畑を過ぎると、林の中に道が入っていきます。この公園の一番の特徴は、車椅子で林の中を行き来できることです。車椅子で行き来できると言うことは、多少足が悪い方でも十分に森林浴が楽しめます。平日でしたので、森林浴を楽しんでいる数組のお年寄りグループとすれ違いました。
車椅子で林の中を行き来できるスロープ
埼玉県の森林公園まで行かなくても、ミニ森林浴を楽しむことができます。道の両脇には空に向かって突きあがる大木が乱立しています。木々の先端を見ようと顔を上げると首が痛くなります。
森林の中の小道 適度な木漏れ日
この付近は一旦天候が悪くなると風雨が荒々しいようです。林の中を歩いていると道脇に落雷して倒れた大木が横たわっています。倒れたその幹をよくみると、雷が落ちた衝撃で幹が割れています。
リハビリ散歩しているお年寄り数グループとすれ違う林の小道
林を抜けると広々と視界が広がる箇所があります。そこには休憩用の机やいすがあります。そこに座って、しばし景色を堪能しました。修繕したばかりのラジオをリュックから取り出して机の上に置きました。ラジオのテストを兼ねて放送を聞きながら昼食を取りました。食事や仮眠をして過ごし、2時間ほどして下山しました。
修繕したばかりのラジオのテストも兼ねて休憩
今年も砂糖作りをしました。砂糖を作ると言うと、一般的にはサトウキビや砂糖大根などを使いますが、私はその実を雑穀として食べることができる砂糖もろこしを使っています。
霜が降りて枯れたようになった砂糖もろこしを切り倒す
砂糖もろこしは先日実を収穫し,脱穀し,精白しましたが、今回はその茎を収穫して砂糖を作ります。最初、枯れたようになった砂糖もろこしの茎を鎌で切り倒します。そして、絞りやすい長さに押し切りでカットします。
切り倒し集めた茎 絞りやすい長さにカット
絞りやすい長さにカットされた茎を、今度はさらに絞りやすいように半分に割ります。茎はとても硬いためそのままでは絞れません。割らずに入れると絞り機が壊れてしまいます。
鎌で茎を半分に割る 絞り機に入れて汁を絞る
沖縄にあるようなサトウキビを絞る大規模な機械はありません。手回し式の古い機械を使って絞りました。この絞り機は昭和初めのとても古い農機具です。去年は絞らずにミキサー粉砕して砂糖作りをしました。この粉砕方式はモーターを使うのですが、モーターが熱をもったり、少し水で薄めたり、粉砕渣に空気が入るなどそれなりに手間がかかりました。今回試みた、手で回す方式のほうが良いようです。
茎をはさんで強く回すと、絞られた汁が落ちる
今回の砂糖作りは3人の分業にしました。一人は、茎を押し切りでカットして余分な皮をむく係、一人はカットされた茎を半分に割る係、そして絞り機を回して汁を絞る係です。絞る係が一番力が要りますし疲れるため、時々係を交代しました。
茎をカットする係、茎を割る係、茎の汁を絞る係
長い時間をかけて絞った汁は、そのままでも甘く飲むことができます。疲れにほど良い甘さです。汁は布で濾してビンに保存します。そして、絞り終わるといよいよ火にかけて濃縮する工程に入ります。農作業小屋にコンロを置いて鍋をかけます。この鍋に絞り汁を入れて熱します。汁は熱くなるとどんどん水分が蒸発します。外気温が低いためさかんに白い蒸気が出ます。
汁を布で濾してビンに保存 鍋に汁を入れて熱すると水蒸気
汁の水分が蒸発するまでには時間がかかりますので、その時間は昼食タイムにしました。米作り、野菜作り、雑穀作りなどの雑談をしながら農作業小屋の中で昼食をとりました。そして、汁が濃縮されるのを待ちました。
煮詰まるのを待ちながら昼食タイム
そして砂糖の完成です。砂糖もろこしの砂糖成分は煮詰めても固形の砂糖にはなりません。水飴のようなねばる砂糖になります。みんなでその砂糖を指に付とけて食べました。やや草の味が残る和菓子のような懐かしい甘さでした。粘る黒砂糖といったところでしょうか。みんなでビンに分けて持ち帰りました。
煮詰まると泡が消えない やっと砂糖の出来上がり
2年ぶりでしょうか秋葉原に行ってきました。目的はコタツを修理するための部品を買うためです。行って見るとJR秋葉原駅はだいぶ変わっていました。駅構内は広くなって、さながら日比谷線、総武線、山手線などの大きな中継駅の様相です。昔は狭苦しい構内でしたが、ずいぶんと広くなりました。券売機の位置も変り戸惑うばかりでした。
相変わらず高架下の電子部品街は賑やか
この街は私が学生だった30年ほど前からよく通っています。当時は電子部品の街でした。いつの間にかラジオ部品がパソコンに、プラモデルがフィギュアに、そして萌えの街になりました。ずいぶんと変りました。まずは学生時代からずっと通っているラジオデパートと秋月電子に行きました。
今もあるラジオデパート 電子部品の秋月電子
秋葉原で一番賑やかな九十九電機前の通り(九十九電機は倒産し経営再建中とか)。この通りはいつ行っても人ごみです。電子部品、パソコン、萌えのお姉さんもたくさん歩いていました。
九十九電機から石丸電器にかけての賑やかな通り
天気が良かったので、丹沢の七沢公園に行ってきました。若い頃、神奈川山岳会に所属していた頃にはよく丹沢に行きました。この七沢は大山の下山ルートとしてよく歩きました。また、この沢筋の岩場に行って登攀(ロッククライミング)の練習をしました。
約30年ぶりに行きましたが、この付近はまだ開発が進んでいないのか、とても懐かしい里山風景が残っていました。
丹沢 七沢温泉卿付近の里山風景
30年ほど前、台風による大雨でこの沢筋が荒れたことがありました。その荒れた沢筋を通って下山したことを、昨日のことのように思い出します。
勢いよく流れる滝 道端に並ぶ同祖神
七沢の中でも厚木市内の森の里地域の七沢公園は一番整備されています。今日はその整備された公園を歩いてみました。まず、入り口近くの無料駐車場にバイクを止めて、入り口の門を入りました。すると民話館が出迎えてくれます。
水が流れる沢筋の入り口を入ると、すぐ前に民話館
民話館を過ぎるとすぐに急な山道に入ります。急な山道を20分ばかり登ると、尾根筋に到着します。立ったまま息を整えて小休止した後、北に向かって尾根道を進みます。すると、急に視界が開けました。ここは展望デッキ、都心方面に向かって視界が開けます。
厚木市街,都心方面が見下ろせる展望デッキ
展望デッキ 尾根道の休憩椅子
この尾根道は、北に視界が開けた木漏れ日が差し込む明るい道です。道は上下左右に間曲がりくねっています。道を覆うように這っている木の根っこに気をつけさえすれば、とても歩き安い道です。
木漏れ日のさす明るい尾根筋道
道の上を見上げると空を覆うように木の葉が茂っています。茂った葉の所々から青い空が透けるように見えます。また、木々の間からいろんな鳥の鳴き声が聞こえてきます。
空を覆うように枝や幹が伸び、空いっぱいに茂る木の葉
尾根筋をどんどん南に下ると、突然芝生の広場に出ました。カップルや家族連れが数組座って楽しそうに話をしていました。手入れが良いのか雑草が全く生えていません。ほどよく芝がカットされているので、素足で歩くと足裏に気持ちよい芝の刺激が伝わります。
広々とした南斜面の芝生北側
芝生の東側 芝生の西側
芝生の隅に一本の木が生えていました。この頃ちょうど雲が晴れて青空が見えてきました。木の葉の緑空の青さが対照的に綺麗でした。この木を見上げていると、気分がとても晴れやかになります。
芝生の隅に生えていた一本の木
芝生でしばらく休憩した後、小道を進みました。すると、人々がざわつく声が聞こえてきました。ここはバーベキュー広場です。あちこちにバーベキューをする小屋根が見えてきました。料理する人、食べる人、キャッチボールする人などたくさんの人がいました。あまりに騒がしいので来た道を引き返しました。
バーベキュー広場 楽しむたくさんの人々
下来た道を引き返して、広々とした芝生に戻りました。そこで再び腰をおろして休んだ後、帰ることにしました。アジサイの小道や林道をしばらく下ると橋が見えてきました。この橋を渡って、その橋を下に下ると公園の入り口です。入口付近に止めたバイクに乗ってひたすら八王子の我が家に向かいました。
公園入口前を通る道をまたぐ橋
少しばかりハイキングしたくて、近くの津久井城址公園に行ってきました。秋に一度行ったばかりですが、仕事の疲れを癒すためと春の公園はどんなだろうと思って行きました。今回は山頂には行かず、もっぱら周辺を歩きました。
首が痛くなるほど見上げる巨木の下を通る散策道
入り口を入ってしばらくすると林に入ります。何十年も前に植林したのでしょうか、杉やヒノキの巨木があちこちに生えていました。切り株があったので年輪を数えました。すると60年は確実に生育した木でした。それらの巨木の間を縫うように散策道が作ってあります。雷が落ちて割れて倒壊した木もありました。
巨木の間の散策道 土の散策道から鉄の散策橋へ
散策道を通っていくと、山の中腹の開けた場所に到着しました。見晴らしも良く、ベンチが整備されていました。そこでしばしの休憩。開けた場所は戦国時代の武家屋敷跡とのことでした。ここは後北条氏と武田氏が覇権を争った場所です。
戦国時代の武家屋敷跡
武家屋敷跡を見下ろすベンチで休憩すると再び散策道に戻って歩きました。すると、今度は鉄製のとても長い散策橋を歩きながらの森林浴となりました。
林を縦横無人に折れ曲がる鉄製の散策橋
山を歩くハイキングコースなどで時々散策用の橋をあることがあります。しかし、これほど長い散策橋は初めてです。幅は四人が手をつないで歩けるほど余裕を持たせてあります。また木製の道は音もせず静かです。バードウオッチングにも最適な作りになっています。
歩きやすい散策橋 車椅子も通れるゆるいスロープ
しばらく散策していると麦畑に遭遇しました。栽培されていたのは小麦です。春の日差しを浴びながら風にたなびいていました。
防鳥用の反射テープが張られていた小麦畑
山の斜面を快適に歩いていると、所々に植林の立て札が立っていました。地元の小学生が植林をしたようです。また山の下の方に、昔この地方で作られていたのでしょうか、雑穀の畑がありました。粟、キビ、小豆、陸稲などの種が蒔かれていましたが、まだ芽は出ていませんでした。
小学生による植林の立て札 何種類かの雑穀の畑
散策道も終わる頃、山のふもとに近づきました。すると、幼児が安心して遊べる遊具園がありました。平日だったせいか子供の数は多くなかったですが、休日はたくさんの子供達の歓声が聞こえるのではないかと思いました。この公園はお年寄りも障害者も、そして幼児も安心して楽しめる公園だと思いました。
数人の子供が遊ぶ遊具 広いすべり台も設置
私は子供の頃に山口県田布施町麻郷に住んでいました。家のすぐ近くの高塔山には、近くの幼稚園の園児たちが集団で来てよく遊んでいました。しかし、今は木が生い茂って誰も歩きません。この公園のように整備すれば、昔のように園児達が安心して遊べる山になるのではないかと思いました。
午後になってから急に丹沢山系に行きたくなりました。丹沢山系は20歳代の頃に神奈川山岳会の会員だった時に何度も登りました。確か5万分の一の地図上の登山道をすべて踏破したとても思い出深い山々です。
堰き止めてできた宮ヶ瀬湖側から行きました。約30年前は舗装のない一車線の狭い道でしたが立派な道路に変貌していました。すべて舗装してあるしほとんどが二車線になっていました。丹沢渓谷を下に見ながらその舗装道をバイクで進みました。
深い丹沢渓谷を見下ろしながら道を進む
丹沢渓谷を一時間ばかり行くと終点のヤビツ峠に到着しました。これから先は1日数便ですがバスが通っています。昔はこのヤビツ峠を基点に大山,二の塔などに登山しました。到着時、最終バスが来ていました。
終点のヤビツ峠と最終バス 岳の台への案内板
登山している時間がほとんどなかったため一番近い岳の台へ登ってみることにしました。昔はススキの原の見晴らしの良い山頂でしたが、今は木が生い茂って見晴らしはほとんどありませんでした。30年の月日を感じました。
岳の台への穏やかな登山道
山頂は見晴らしがありませんでしたが、少しずれた場所からは秦野市を見下ろすことができました。この町は以前勤めていた会社の工場がありました。組合のレクリエーションで来たことがある町です。また丹沢への表玄関の町です。
秦野市の向こうには太平洋が見えるはずですが、霞がかかってあまりよく見えませんでした。休日はこの丘からハンググライダーがよく飛んでいるそうです。
丹沢から見下ろした秦野市と太平洋