宇佐木の山田公会堂付近から左折して平生方面に行きました。この道は、私が高校生の頃に学校から般若寺に登った道ではないかと思います。今回はとてものどかで、あちこちで稲刈りをする光景が見えました。ほとんどの農家は、コンバインを使って一気に稲刈り,脱穀,ワラ切りをしています。しかし、何軒の農家は昔ながらに、稲刈りした稲をはさ架けして干していました。このはさ架けの風情を見ると、何かほっとするものを感じます。
稲刈り後、はさ架けして干している稲束
稲刈りがだいぶ進行してるいる田んぼでは、籾ガラが田んぼに無造作に置かれています。新米として売り出すためか、稲刈り直後に籾摺りして精米したのでしょう。私も先日稲刈りした陸稲を脱穀したので、そろそろ籾摺りしようかと思っています。
遠くに赤子山を見ながらの、何か懐かしい里山風景
山田地区から稲刈り中の田んぼを見ながら、大野地区に着きました。ここから北に赤子山がよく見えます。そして、宇佐木から平生街にかけての平野を眺めることができます。千年以上前の古代、ここは海岸でした。広大な田んぼを海にみたて、古代の人はここをどのように見ていたのか想像してみました。
大野から般若寺へ行く道 宇佐木から平生街に広がる広大な田んぼ
大野に出ると旧国道188号線に出ました。ここの国道は、昭和20年位前はため池(天池)のそばを通って平生街内を通り旧平生座傍を通っていました。それが、昭和20年頃に今の平生町体育館やアルク前を通り平生町役場や平生郵便局前を通る道に変更になりました。そして、10年位前に今の道になりました。国道の変遷に合わせて平生街内がさびれていきました。旧平生座があった頃、平生街はとても賑やかでした。
大内川傍の旧188線 旧188号線、今は静かな幹線
旧国道88号線を通り平生街を目指していると、大きな池(天池)が見えてきました。この池は、江戸時代初期に作られた農業用のため池です。この地区は稲作奨励のため、灌漑をしたり、ため池を作ったりと大規模工事をしていました。その痕跡が、このため池として残っているのではないかと思います。
米作り奨励や日照り対策として、江戸時代に作られたため池
ため池(天池)のほとりで、少し休憩しました。ほとりにはたくさんのコスモスが咲いていました。10分位休憩すると、平生街に向かいました。途中、赤子山の前に広がる、田んぼがいくつもありました。先週、稲刈り中でたくさんの稲束がはさ架けされていましたが、もうその稲束もはさもありませんでした。
私が幼児の頃の話です。この付近に飛行機が不時着したことがあります。不時着できる場所を探しながら低空飛行している飛行機を、平生保育園の広場で見上げました。新聞の地方版に写真入りで出たことを覚えています。強烈な記憶だったのでしょう、低空飛行しているジュラルミン製飛行機の銀色や小さなハッチや窓を今でも思い出します。
赤子山前に広がる豊かな田んぼ、この付近に飛行機が不時着