灸川を山口クボタ田布施まで来たところで、灸川の調査ウォーキングを終えることにしました。それより上流は、人数川を支流とし、大波野の田んぼ脇にある有田翁碑を過ぎてさらに北に向かって山に続いています。途中、江平橋から支流が分かれています。なお、灸川上流は末惣川とも言うようです。これら、灸川の源流は今後暇をみて調査しようと思います。
八和田付近の踏切 八幡八幡宮の石鳥居
帰り道は、同じ道をたどらないようにしました。八和田付近の踏切を越えて、八幡八幡宮前の道を通りました。途中、灸川の支流の一つである符中川,新溝川,佃川,江崎川,徳吉川などを調べてみようかと思いましたが、時間が無いためやめました。いつか暇を見て調査しようと思います。八幡八幡宮は以前来たことがあるためスキップしました。八幡八幡宮の石鳥居を見た後、道を南にどんどん進みました。途中、運動会の練習をしていた東田布施小学校のそばを通りました。運動会で使うテントがいくつか張ってありました。もしかして、麻郷小学校と同じ15日が運動会ではないかと思います。
運動会で使うテントがいくつか張ってあった東田布施小学校
東田布施小学校を過ぎて、再び踏切を渡って東田布施公民館横を通りました。ところが、この付近の道を良く知らないため、あちこち道を迷いながら南へ南へと歩き続きました。歩き続けていると、いくつかのクリーク(水路)がありました。この付近を通っているクリークは皆、方向的に堀川に向かっているようです。
東田布施公民館の横を通る 徳吉川と思われる川
道をどんどん南に歩いて行くと、田布施街に入りました。そして、神田呉服店や池本精肉店などの店がある十字路に着きました。この十字路を田布施駅方面に50mほど行くと大恩寺です。この十字路すぐ南に薬師川が流れていました。この川は瀬戸方面から流れてきています。この川は、ピクロス付近で蓋で覆われいったん消えますが、田布施中学校付近でふたたび姿を現します。
神田呉服店の裏を流れる薬師川 奥ゆかしい古い建物
その後、保育園と天神様(菅原神社)横を通って、天神交差点に出ました。そして、傍にあるローソンに行ってジュースを買い、外で立ったまま喉を潤しました。ここまで歩くと、さすがに足が少し疲れてきました。ローソンからは、法寺坊方面から流れてくる水路沿いに歩き続けました。法寺坊近くには、今でも共同墓地があり、昔はこの付近に焼場があったそうです。そして、その近くに船の舳先を回転させる船回しがあったそうです。昔はここから船で、田布施の荷を出していたのでしょう。
水路をどんどん南に歩くと、中央下水道(排水路)に着きました。中央下水道を過ぎると、ひたすら広々とした田んぼの真ん中を歩きました。広大な田んぼの南方向に箕山が見えました。
広大な田んぼの向こうに見える箕山
広大な田んぼを通り抜けると、田布施川の堤防にたどり着きました。ここからは、これまで歩いてきた、柳井余田の西山地区、赤子山。熊毛南高校、天神様、そして東田布施方面を広く眺めることができます。
田布施川から見た赤子山 庄山橋袂からみた浮島神社方面
歩いた総距離は13kmでしたが、灸川だけに限ればは6km程度だと思います。高低差がないルートのため、この距離ならば小学生でも安心して歩くことができます。一か所だけ草木が茂って歩けない個所がありました。しかし、その個所は迂回ルートがあります。
ところで、灸川付近を散策中に子亀を捕まえることになろうと思いませんでした。私は大学生時代、東京で子亀「六助」を3年間位飼っていました。六助は、水槽の横をトントン叩くと、藻の間の中から首をすーっと出しました。そして、手渡しでソーセージなどの餌を食べさせていました。そして、時々甲羅干しをさせ、冬はちゃんと冬眠させていました。
庄山橋から見た川添橋(スタート地点 兼 終点)
下のB地点は、水路Aと薬師川が立体交差する十字路です。水路Aの水は北から南へ流れ、薬師川の水はその上を西から東に流れています。水路Aと薬師川の水は混じり合いません。薬師川の水は、堀川に合流すると北から南に流れを変え、さらに中央下水道に合流します。
ふだん何気なく車で通り過ぎてしまう田布施かいわいですが、こうしてウォーキングしてみると、意外な場所や意外な歴史に触れることができます。そして、自然が減ったとは言え、野生の亀などがまだちゃっかりと生きていることも知りました。これらは実際に歩かないと分からないことです。
ピンク色の線は、実際に歩いたルート