虎ヶ岳観音寺登山口からいったん県道に戻りました。県道からは虎ヶ岳のなだらかな尾根を見渡すことができます。虎ヶ岳を右手に見ながら賀茂神社に行きました。そして、この賀茂神社から再び虎ヶ岳方面に向かって道を登りました。
光へ向かう県道から見た虎ヶ岳 賀茂神社の石鳥居
秋晴れだったため、道の両側では稲穂が重く垂れさがり、あちこちでコンバインが稲刈りをしていました。この付近は山の扇状地なのか、田んぼの形が様々です。コンバインは動きにくく、稲刈りしずらいのではないでしょうか。
虎ヶ岳の、妙見の滝方面に向かって道を進める
山道をどんどん進むと、虎ヶ岳妙見コース登山口の立札がありました。妙見の滝付近に登山口があるようです。これまで探した登山口の中で一番標高があります。ここに車を置いて登れば、楽に虎ヶ岳に登ることができそうです。その場合に、どのコースを下ってこの妙見登山口に戻るかが問題ですが。
虎ヶ岳妙見コース登山口 登山口付近の里山風情
妙見コース登山口を確認すると、我家に帰ることにしました。いったんJR光駅に出て、いつものコースで帰りました。
ところで、帰り道で思わぬ発見をしました。光市内で浅江神社そばを通ったのですが、その神社の鳥居近くに清水宗治主従の供養塔の案内板が建っていました。清水宗治は豊臣秀吉と戦った岡山の武将で、その戦いは秀吉の水攻めで有名です。この清水宗治の家来などが、敗れた後ここに住居を移したようです。墓所が、近くの清鏡寺にあるようです。
浅江神社と、清水宗治主従の供養塔案内
時代が変わり、清水宗治の主従に関わると思われる人が、幕末に第二奇兵隊の脱走兵を率いて岡山の代官所を襲った歴史があります。清水宗治の家来達の故郷は岡山県です。清水宗治の主従達は山口県の光市に住居を構えた後も、豊臣秀吉の後を継いだ徳川幕府に特別な感情を持ち続けていたのではないでしょうか。
光市から帰る途中、再び見た真殿の古代米アート
常安寺登山口,渓月院登山口,周防旭登山口,観音寺登山口,そして妙見登山口の五ヶ所の登山口を調査しました。どの登山口が良いかよく考えてからウォーキングしようと思います。車で麓まで行くのか、電車で島田駅から歩くのかなどのアプローチの方法で変わると思います。しかしながら、今回は秋晴れで気持ち良く調査できました。
ピンク色は、調査のためバイクで走ったルート