東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 田布施川沿い史跡めぐりウォーキング(その8) 2/2

2014年05月21日 | 歴史探訪他ウォーキング



 多賀神社で田布施町名木の一つであるヤマモモの大木を見上げました。根元にはまわしの縄が回してありました。何回かこの多賀神社に来ましたが、このヤマモモに実がなっているのを見たことがありません。おそらくこのヤマモモは雄の木ではないかと思います。境内を見学していると、Aちゃんが、多賀神社を清掃している方にラムネをいただきました。ありがとうございました。ラムネが初めてのAちゃん、家に持って帰ってから蓋の開け方がわかるかな。

     ラムネをバッグに入れるAちゃん       石階段の最上部からの景色を堪能
 

 ところで、多賀神社の鳥居に彫られた年代は大正や明治です。それほど古い神社ではないように思われます。さらに昔はちょっとした祠がだけあったのかも知れません。明治,大正,昭和初期に、なぜ多くの方から参拝されてきたのか調べてみました。
 すると、この神社は地域の方々から「多賀さま」と呼ばれ、命の神様として祀られてきたことが分かってきました。赤紙で召集された息子の無事を祈る母親や祖母達が賢明に参拝してきた歴史があるのです。境内に大砲の弾が祭られているのは、その証拠の一つではないかと思います。砲弾や銃弾が避けてくれるよう、母親たちは懸命に祈ったのではないでしょうか。戦争が終わり無事に帰ってこれた息子たちは、母親の懸命な「多賀さま」参りに感謝したことでしょう。

                多賀神社を出ると、しばらく木漏れ日ロードを散策


 多賀神社を出ると、しばらくは木漏れ日ロードが続きます。ところどころの茂みでは、あちこちに野イチゴがありました。みんな摘まんでは食べました。ほんのりとした懐かしい甘みが口内に広がります。そう言えば、私の庭で野イチゴの改良品種であるブラックベリーを栽培していますが、どういう訳か今年は実ができません。野イチゴは、隔年で実がなるのでしょうか。

      野イチゴを摘まんでは食べる             柳井市の余田畑地区に到着
 

 木漏れ日ロードを30分位歩いていると、柳井市の余田畑地区の家々が見えてきました。ここから、柳井市街の東にそびえる三ヶ岳琴石山が見えました。そして、北の方角には伊陸の氷室岳岩国市の高照寺山が見えました。余田畑に着くと、稲荷神社で少しばかり休憩をしました。

         余田畑地区から、柳井市街の東にそびえる三ヶ岳や琴石山を展望


 余田畑に初めて来た時、不思議に思いました。それは、この地区は余田よりも馬皿に近いように思ったからです。余田の本庁に行くよりは、黒杭川下流の馬皿に行った方が近いように思います。山の峠を越えて、保生地を通って、余田の本庁に行くにはとても時間がかかったと思います。どのような経過で、この地区が余田地区になったのか歴史的に興味があります。なお、江戸時代は今の平生町の竪ヶ浜なども余田でした。

     余田畑の稲荷神社                  余田畑から生野へ向け出発
 

 稲荷神社での休憩が終わると、余田畑と生野を結ぶ生野畑林道を歩きました。しばらくすると、山間に作られた田んぼや畑が見下ろすことができる場所に出ました。ちょうど田植えが終わったようです。どの田んぼも稲の苗が綺麗に植えられていました。

            生野畑林道から見下ろした、綺麗に田植えされた田んぼ


 生野畑林道をどんどん進むと、生野と畑の境の峠に着きました。この峠がまさに、田布施川沿い史跡巡りウォーキングの最終地点で、今回の目的地の一つです。そして、この峠が、田布施川水系と柳井川水系(黒杭川)の接点です。この峠より東に降った雨は、黒杭川を経由して柳井川となります。この峠より西に降った雨は、田布施川となり平生湾に流れます。つまり、この峠は田布施川の源流の一つなのです。

             生野と余田畑の境の峠、すなわち田布施川の源流の一つ

 源流と言うと、奥深い山裾から清水が湧き出るイメージがあります。残念ながら、そのような場所はこの峠では見つけることができません。峠直下の荒れた田んぼ跡に、もしかして清水が湧いている個所があるのではと思いますが。
 峠から少し生野に向かって歩いていると、しだいに水音が聞こえてくるようになります。道下を覗き込むと、小さな小川が流れていることが分かります。これらの水の流れが集まって田布施川となるのです。

       道下に水音が聞こえる             広々とした生野に到着
 

 峠から生野への道を歩いていると、水音がだんだん大きくなりました。しばらく道を歩いていると、急に視界が広がって生野地区の広々とした田んぼが目の前に展開しました。ほとんどの田んぼは田植えが終わっていました。左右に広がる田んぼを見たり、正面に見える石城山を見ながら歩きました。

              正面の石城山を見ながら左右の田んぼを鑑賞


 この生野の里山風景を見ていると、昔の事を懐かしく思い出しました。私も子供の頃は、田んぼでよく手伝いをしました。父親は、当時まだ珍しかった耕運機やトラクターを得意げに使っていました。それは、先進的な農業の機械化の走りだったようです(その頃、祖父は牛を使って農業)。全国から研修生が来ていました。その研修生を泊める小屋もありました。
 その耕耘機はもうありませんが、トラクターはまだ我家に残っています。暇をみては、その父親愛用のトラクターを修理しています。これら子供の時の経験が、東京で小学生中学生高校生大学生地域グループなどの方々に稲作指導するのに役立ちました。また、私が指導した稲作で作ったお米が、運良く高校生の大会でテレビに出たこともありました。そもそも東京で稲作をするようになるとは思いもしませんでした。今回ウォーキングに参加された方々もそれぞれの子供時代を思い出しながら、生野の素晴らしい田んぼを見たのではないでしょうか。

                   綺麗に田植えされた生野の田んぼ


 生野の美田を抜けて、林を抜ける道に入りました。そして、しばらく歩いているとようやく終点に到着しました。これで、田布施川沿い史跡めぐりウォーキング全8回の終了です。なお、この8回シリーズすべてに参加された方が1名おられました。Eさんです。今回ウォーキングされた方々の前で、全8回の写真を印刷した賞状(完歩賞)を差し上げました。
 田布施川(本流)沿いシリーズが終わったため、次のシリーズを考えています。例えば、田布施町&平生町河川域の史跡を巡るウォーキングなど。

    今回歩いた、にこにこパーク~多賀神社~余田畑~生野までのコース 後編

==========健康ウォーキングクラブ==========

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