手作り展望台を過ぎると、先日行った石鳥居や山桜の大木近くに行きました。今は車で多賀神社まで行きますが、今回は昔の人が歩いた古い参拝道を歩いてみました。その古道は、車道のためにいくつも寸断されています。
展望台近く、教円寺からの参道 教円寺からと郷江からの合流地
展望台からのすぐの地点に、ただの山道にしか見えない教円寺からの古い参道があります。そして少し歩くと、郷江方面からの参道と合流します。この付近は、古くからの参道と車道が交互に混じりあっています。この付近、北の方角が開けています。今、古来の参道を通る人はめったにいないのではないかと思います。
田布施とは反対の方角である、北の方角を見て
古い参拝道を通って多賀神社に行ってみることにしました。車道とは反対の南側を通る道です。道の周りには大きな木が茂っているため、やや暗い道を歩きます。南側を回り込むようにして落ち葉が溜まった参拝道を歩くと、石段の最下段の場所に着きます。ここは、余田畑から参拝にくる人と出会う場所です。ここから、参拝者は多賀神社の石段を登ります。
なお、今は車で多賀神社に来ることができます。車で参拝する人は、石段を登らなくても多賀神社に行くことができます。
多賀神社の南を回り込む参道 石段を登りきると多賀神社
多賀神社に行くと、今度は小行司の郷江に行きました。今回の目的の一つは、ウォーキングのための下見時に見逃した、小野太市の石碑の確認です。郷江公民館と旧小行司小学校跡地の間にあるはずです。郷江公民館,力士小桜の石碑,お地蔵様と、一つ一つ確認しながら探しました。
右から、郷江公民館,力士小桜の石碑,そしてお地蔵様
順番に探していると、小野太市の石碑がありました。樹木に隠れていたので前回分からなかったのです。小野太市は小行司出身で、軍艦厳島に乗って日清戦争時に出征した人だそうです。ただ、大きな石碑の隣りにある小さ目の石碑が根元から折れていました。なぜ折れてのでしょう?その理由を、付近の方に聞いてまわることにしました。しかし、この石碑のことを知っている方がほとんどいませんでした。
人のつてを頼りに90歳近くのOさんを訪ねました。すると、昭和10年か11年に道の改修をした時に、石碑を今の場所に移したとのこと。もしかして、その時に折れたのかも知れません。折れているならば、折れた上の部分はどこにあるのでしょうか。残念ですが、知っている方は今や誰もいないようです。
左:小野太市の石碑、右:道路改修碑 矢印の部分が折れた個所
下の図で、黄色の線は多賀神社を参拝するために昔使われていた古道。水色は今の車道です。昔は、いったん神社の南側に回って石段の最下段から本殿に登ったようです。18日のウォーキングでは、古来使われた参道を歩いて参拝してみようと思います。
水色:舗装された車道、黄色:昔使われた古い参拝道