5日、たぶせ桜まつりで昼食などをたべながら休憩し終わると、平生町の武道館に行きました。ひらお邦楽朋の会の発表会を見るためです。去年は、田布施町城南の呉麓山から下山した後に発表会に行きました。このため、発表会の後半を鑑賞することしかできませんでした。今年はたぶせ桜まつりを早々に見終わって行ったため、発表会にぎりぎり間に合いました。
立ち方三人による舞踊:武田節
武道館に到着すると、開演直前のためか駐車場には誰もいませんでした。そして、入口にも誰もおらずすぐに会場に入りました。たまたま、前の方の席が空いていたため娘と座って鑑賞しました。ちょうと゜、一番目演目の羽衣が始まる直前でした。今年はぎりぎり開演に間に合いました。
舞踊:千日草 独吟:百萬 舞踊:一世一代
開演からしばらくして周りを振り返ると、同級生をはじめとする知人がたくさんいることに気が付きました。一番驚いたのは、右隣の車椅子で鑑賞しておられたお年寄りの方です。どこかでお見かけしたことがあるので、お声をおかけしました。すると、私の保育園時代の同級生のお母さんで、しかも今回踊っているT1さんの義母?さんでした。しかし、いつどこでお見かけしたのかどうしても思い出せました。T1さんのお宅で会ったのでしょうか?
ひらお邦楽朋の会の発表会を鑑賞している方々
その他の知人は、小学校,中学校,または高校時代の同級生達です。右前席付近に陣取っていました。みんな、同級生であるT1やT2さんの踊りを見るための来場です。ところで今年はたぶせ桜まつりなどの行事と重なったためか、鑑賞する方がやや少なかったように思いました。しかし個人的には今回、最初から最後まで鑑賞することができたのでとても良かったです。意外や、娘も喜んでいました。
舞踊:じょんがら女節 独吟:船弁慶 舞踊:白鷺の城
独吟を聞いていて、平生に住んでいた叔父(故人)が詩吟を教えていたことを思い出しました。国鉄に永く勤めた後、詩吟を教えていました。教えるからには師範の免状を持っていたのではないかと思います。家にはよく生徒さん達が来ていました。年に一度は発表会を開いていたのでしょうか。
仕舞:松風 仕舞:屋島 舞踊:大河の流れ
ところで、この発表会がある武道館の場所ですが、かつて平生国保病院があった場所ではないかと思います。私の祖母が入院したことがあり、当時小学生だった私は妹を連れてお見舞いに行ったことがあります。木造平屋の一つ部屋に、6人位の方がベッドに寝ていました。当時は平生の海辺に入浜式塩田があり、その塩田を横目に見ながら平生国保病院を往復しました。その平生国保病院は、昭和43年頃に周東病院が柳井港付近から移設された頃に無くなりました。周東病院に吸収合併されたとのこと。
舞踊:雪の連れ舞
平生国保病院にはもう一つ思い出があります。私が小学6年生の秋、とある神社の境内で遊んでいた時に灯篭の下敷きになって瀕死状態になったことがあります。すぐに、平生国保病院に行きました。この時に初めてレントゲンにかかったのです。恐ろしく大きな金属の塊のようなレントゲン装置に驚きました。その時に初めて自分の骨の写真を見ました。
仕舞:桜川 仕舞:巻絹 舞踊:清盛残照
最後は、藤光会の方々のよる河内おとこ節の舞でした。皆さんの絶え間ない練習成果のたまものでしょう、息が揃っており楽しく見ることができました。また、赤と青の和服のコントラストがとても引き立っていました。会場の方々から手拍子が入り、会場みんなが楽しく最後の舞踊を鑑賞できました。ありがとうございました。
会場の手拍子に合わせるように、河内おとこ節を踊る藤光会一同の方々
発表会が終わると、同級生同士が集まって談笑をしました。舞ったT1さんもT2さんは顔中が汗いっぱいでした。踊りも結構な運動量だと思います。T1さんもT2も、高校時代はバレーボール選手でした。日頃の運動が踊りに生きていると思います。これからも舞踊を頑張ってください。応援しています。そして、時々ウォーキングも。お疲れ様でした。
小学校,中学校,または高校時代の同級生達