神領川右岸に沿う道を、日向平から平生町街に向けて歩きました。そして、開けた場所に来ると右への道を選びました。200m位歩くと薬師堂に着きました。入口に平和五十五番霊場と書かれた木札が架かっていました。平和霊場は防陽霊場と重なる霊場が多いため、その昔は防陽霊場ではなかったかと思います。この薬師堂の一つ前の霊場は神護寺、一つ後の霊場は直指院です。
平和五十五番霊場の薬師堂 この大木の下に祠
実は、防陽霊場を探していた数年前、この平和五十五番霊場を見つける前に、園田の弘法大師堂を見つけました。最初は弘法大師堂が防陽霊場かと勘違いしていました。その後、この平和五十五番霊場薬師堂を見つけました。防陽霊場の巡礼順によると、一つ前の神護寺を巡礼後、この薬師堂を巡り、続いて一つ後の直指院、さらに久賀島の法輪寺(今は廃寺)へと続きます。
大野地域交流センター 浄円寺本堂 常春寺の楼門
薬師堂に至るまで、休憩らしい休憩をほとんど取っておらず昼食も取っていませんでした。そのため、薬師堂で昼食休憩を取りました。外は雪が飛び交い、薬師堂内も隙間風が吹いていました。しかし、陽光が差し込んでしたため外で食べるよりは暖かかったです。30分位の休憩後出発しました。山の中の道を探すように歩くと、道が開けて田んぼの中に大木が見えました。
常春寺の立派な本堂、ここで休憩
大木に覆われるように安置された立派な祠を見学しました。続いて、大野地域交流センターに行ってトイレ休憩を取りました。この交流センターには小さな郵便局がありました。今後さらに少子高齢化が進み経済が縮小すればこの交流センターのように、地域に必要な機関が少しずつ一つにまとまりコンパクトになるしかないのだと思います。破綻した夕張市が典型的な例です。
常春寺内のお地蔵様 横道忠衛門の墓地 長い長い数珠玉
大野地域交流センターを出ると、近くの浄円寺に行きました。続いて常春寺に行きました。常春寺の楼門は平生町の重要文化財です。その楼門をくぐって最初に、平生町の干拓に尽くした横道忠衛門の墓地を訪れました。横道忠衛門は江戸時代、常春寺近くで切られた暗殺されました。どんな理由で暗殺されたのでしょうか。派閥争いか功名争いでしょうか。
T字路のお地蔵様 Kさん宅の裏山の祠
続いて常春寺を訪れました。亡くなった元ご住職は高校時代の同級生です。その奥様が本堂内に暖かく招き入れてくださいました。ありがとうございました。奥様から長い数珠玉を見せていただきました。その昔この周辺では、お寺やお堂に門徒が集まってはこの数珠玉を手に手に回していたようです。ひっそりとしたお堂などに、数mはあろうかと思われる数珠玉が人知れず飾られていることがあります。常春寺を出ると、道端のお地蔵様を見たり、同級生Kさんの裏山にある祠などを見たりして、スタート地点のT邸に戻りました。下見に参加された方々、寒い中をお疲れ様でした。
今回の平生町大野南ウォーキング下見ルート