高塔山はなだらかな尾根が続いていて、西峰はたまたま電波塔があるために見晴らしが良くなっています。しかし、東峰はこんもりと樹木が茂っているため見晴らしがありません。私の子供の頃の記憶では、東峰の方が平生湾や琴石山方面の展望が良かったです。おそらく、國木田独歩は東峰でその美しい景色を見て詩を口ずさんだのではないでしょうか。
高塔山の東峰からは緩やかな下りになっています。かつてあった山道は、落葉や倒木などが積み重なって分からなくなっています。その倒木や落葉を注意深く踏みながら、木々の間をすり抜けるように下りました。
幕末の志士などを顕彰した惣田山招魂社(現麻郷神社)
しばらく下っていると、昔あった山道の跡が見えるようになります。私が子供の頃、この山道を通って八海バス停から我家まで帰っていました。この山道を歩いて最後の峠に立つと、下の方に一軒家の我家が見えてきました。煙がたつ我家の煙突が見えると、無性に嬉しくなったものでした。60年位前のことです。
倒木や落葉を踏む 明るく広い山道跡 笹をかき分け道路に
今回の高塔山縦走は失敗でした、前回縦走した時の方が、景色の良い休憩場所があり歩きやすかったです。そのため、本番ウォーキングでは前回歩いたその道を通ることにしました。
さて、笹をかき分けて舗装道路に出ると高塔公会堂に行きました。そして、昼食休憩としました。私が子供の頃、この高塔公会堂は旭地区や新川地区との共用だったように思います。さらにその昔は、高塔公会堂はありませんでした。麻郷中学校跡の校舎を公会堂代わりに使っていました。
高塔公会堂で昼食休憩 終点に向かってすたすた歩く
高塔公会堂で昼食休憩が終わると、惣田山招魂社(現麻郷神社)に向かいました。そして、水場方面の展望を眺めてから幕末の志士の顕彰碑を見に行きました。続いて、旧麻郷小学校の跡地に行きました。さらに戎ヶ下に行って城山や塩田を見ました。次に米出港跡に行き、ついでに江戸時代の代官所跡(上関勘場跡)を見ました。この代官所跡が、今回訪れた最後の史跡です。
ところで、本番ウォーキングでは高塔山周辺の國木田独歩関連の史跡をより詳しく解説したいと思います。そして、今回行かなかった牛頭天王社や吉見山跡も行きます。そのため、惣田山招魂社(現麻郷神社)まで行って終わりとします。そのため、旧麻郷小学校跡地,戎ヶ下,米出港跡,そして上関勘場跡などは省くことにしました。
高塔山周辺の國木田独歩に関わる全史跡を下見したコース