東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町竪ヶ浜~田布施川沿い史跡巡りウォーキングの下見(2/4)

2024年10月23日 | 歴史探訪他ウォーキング

 子供の頃歩き回った思い出深き竪ヶ浜を歩いていると知願寺が見えてきました。そして、左側に竪ヶ浜公会堂が見えてきました。昔は竪ヶ浜の端っこがこの公会堂だったのです。この公会堂から田布施までの間に民家はありませんでした。今は田布施に向かって何処までも家が続いています。
 ところで、大歳神社がこの近くにあったのですが場所を忘れてしまいました。そこで道を進んで知願寺のお墓がある高台に行きました。すると、山裾に大歳神社が見えました。知願寺の10m位南側に神社への入口があったのです。

          左側に荒木神社の森を、右側に熊毛南高校を見て


 神社の拝殿まで距離があったため今回の下見では拝殿までは行きませんでした。続いて、知願寺の高台のお墓を右に見ながらどんどん道を登りました。すると三角小屋が見えてきました。この小屋の近くの山の斜面に山羊がいました。草を食べまくったのかその斜面には草が生えておらず剥げ地になっていました。また、以前小屋の前には竹炭を作るための窯がありましたがありませんでした。今は竹炭を作っていないようでした。

  竪ヶ浜端の知願寺      竪ヶ浜公会堂     山裾にある大歳神社
  

 三角屋根の小屋からは道を下りました。以前はちゃんとした田んぼや畑がありましたが今はどれも荒地になっていました。川傍にポツンと一軒だけ家がありました。この山ぎわに何と暖竹がたくさん生えてしかも穂が出ていました。海岸端にしか無いと思っていた暖竹がこんなところにあるとは。
 荒木地区に出ると、眼下に熊毛南高校が見えてきました。私が入学した当初は木造校舎でしたが、私が卒業する頃に鉄筋コンクリート製校舎に変わりました。個人的には昭和を思わせる木造校舎が好きです。当時は暖房が達磨ストーブで燃料は石炭でした。

   三角屋根の小屋、向こうに山羊    穂が出ていたたくさんの暖竹
 

  熊毛南高校を左手に見ながら荒木地区の道を田布施に向かって歩きました。途中荒木神社のこんもりした森が見えました。今回は行きませんでしたが、本番ウォーキングでは荒木神社を参拝する予定です。ちなみに今回歩いた荒木地区の道は江戸時代は岩国藩の領地でした。つまり吉川氏が治めていました。江戸時代は岩国から続く竪ヶ浜街道でした。それを知る石柱が近くに建っています。

     平生~竪ヶ浜~田布施川史跡巡りウォーキングの下見コース


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