15日夕方、田布施町大波野にある誓立寺の盆踊りに行ってきました。これまで、各地の盆踊りに行ってきましたが、誓立寺が本来の盆踊りの形を残しているように思いました。お盆には元々、ご先祖様の魂が里に下りてきて一緒に過ごす意味があります。盆踊りが始まる直前、誓立寺のご住職様から「お盆」の言われなどの法話がありました。
ところで。誓立寺の盆踊りはこじんまりとしており地域にとても密着しているように思いました。ほぼ全員の方々が、自主的に自然体で踊りを楽しんでいることがとても新鮮でした。一方、麻郷や城南などの盆踊りはどちらかと言うと、お祭りやフェスティバルに近いように思いました。
盆踊りの準備が進む 暗くなり提灯に明かり 盆踊り直前ご住職の法話
盆踊りは19:30頃に開始されましたが、その盆踊りの準備中に同級生のK君やM君に出会いました。また、先日の大波野ウォーキングの下見時にお世話になった上段のYさんにも出会いました。さらに、大波野神舞をしているOさんやTさんにも出会いました。Oさんは嵯峨音頭の太鼓を叩いておられました。Tさんは発明クラブでいつもお世話になっています。今回たくさんの出会いがありとても嬉しく思いました。
炭坑節に続いて嵯峨音頭を輪になって踊る大波野の方々
最初の踊りは炭坑節です。そして、次に嵯峨音頭でした。音頭くどきは「那須の与一」でした。これは、平家物語の一説にある那須与一の出世物語です。時代背景を考えると「えびやのじんく」よりも古いと思われます。この那須与一の立身出世物語が、盆踊りで延々と音頭くどきとして歌われるのです。これまた味のある嵯峨音頭でした。
大波野神舞のOさんによると、竹尾付近で踊られていた嵯峨音頭を数十年前に大波野に導入したそうです。そして一時期、城南に嵯峨音頭を教えていたことがあったとのこと。なお、納所の浄泉寺でも嵯峨音頭を踊っているそうです。今年は行くことができませんでしたが、来年はぜひ行ってみたいと思います。
全員に近い方々が輪になり踊る 踊りの休み時間、お店が開く
数日前雨が降って涼しい日がいっときありましたが、再び猛暑の夏がやって来ました。今、 5月末に種をまいたヒマワリが満開です。背の高さは2m以上あります。私のはるか頭上に、太陽のような丸い花びらが咲いています。近づいて花を見ようとすると、見上げるしかありません。
真っ青な空に映える、ヒマワリの丸く黄色い花
ヒマワリの花にはいろいろな虫がやって来ます。そして、その虫を狙ってカマキリなどの昆虫もやってきます。花びらの裏側にはよくカマキリが隠れています。これから1週間後頃には花びらが落ちて種ができ、10月にその種を採種します。大きな種は食べることができます。種を炒って、一つ一つ割って中の実を取り出して食べるのです。ハムスターなどの小動物のエサにしてもかまいません。
ヒマワリの花に来る虫を狙うカマキリ 日差しをいっぱいに受けるヒマワリ
5月に種をまいて、7月に間引きしたマクワウリ、実が次々に実っています。もうすぐ収穫できそうな実もありますが、まだまだ緑色で小さい実ばかりです。ところが、美味しいマクワウリを食べるためタヌキがやって来ます。そのタヌキの食害を防ぐため、一昨年から電気柵を使用しています。せっかく育てたマクワウリを食べられてしまってはがっかりですので。
まだ小さいマクワウリの実 草刈りをしてマクワウリを棒で囲む
電気柵の説明書によると、電気柵の電線には6000V程度の高電圧が流れるそうです。ただし、電圧は高いものの電流が少ないため、痛みはあるものの人間が感電することは無いそうです。ところが、体の小さなタヌキやイノシシには相当な痛みがあるそうです。
漏電しないように電線を張る 高電圧を発生するBOX
今回セットした電気柵は、電線20m程度に電気を流す小規模なものです。ところで、電気柵は植物にも過酷な装置のようです。草の葉が電線に触れるとその部分がしおれてしまいます。電気柵を使う前は、網で囲ったり柵で囲ったりしましたが、タヌキは平気でした。網の下を掘って侵入するのです。そして、まんまとマクワウリを食べてしまうのです。さて、今年も美味しいマクワウリを食べることができそうです。
※今夜はペルセウス座流星群のピークです。一年ぶりに流れ星を見ることにしました。今年は月が無いため特別に星がよく見えます。真上を見上げると、天の川(銀河)や白鳥座などの星座がよく見えました。そして、夏の大三角形のうちの二つである彦星と織姫星もよく見えました。北から南へ向かって天の川が長く伸びていますが、彦星と織姫星は天の川の両岸に位置します。恋人である彦星と織姫は天の川に遮られて、年に一度しか会えない悲しい話は有名です。彦星と織姫の話や天空に広がる宇宙や星を見ていると、ロマンをかきたてられます。いつかまた、望遠鏡を出して月や星を観察しようと思います。
20年ほど前の毎年の夏、子供達と一緒に深夜寝転がって星を見たことがあります。そして、競争しながら流星を何十個と数えたものでした。今となっては懐かしい思い出です。
しばらく星を見ていると眠くなってきたため、今年は流れ星を5,6個見つけて終わりにしました。
電気柵で囲った畑、現在6個程度のマクワウリの幼果が実る
昨日の夕方平生町の、とある喫茶店Lで、中学高校の同級生のH君を招いてミニ同窓会がありました。4月以来のミニ同窓会です。参加したほとんどの方が、彼とは40年位ぶりの再開だったのではないでしょうか。
楽しく盛り上がったミニ同窓会、平生町のとある茶店で(撮影:私)
私は彼とは中学も高校も同じクラスになったことがないと思いますので、それほど親しく遊んだ記憶はありません。それでも、当時の懐かしい話題で盛り上がりました。また、かつて私が勤めていた電機会社が契約していた保険会社と関わりがあったそうです。その保険会社の名前を聞いて懐かしくなりました。私は二次会に参加できませんでしたが、二次会もおおいに盛り上がったのではないかと思います。
料理も美味しかったミニ同窓会(撮影:Eさん)
今日12日は早朝から雨が降っていました。乾ききった畑が潤い、野菜や花が喜んでいます。またエアコンが不要な涼しい一日でした。外出できないため、農作業小屋で、郷土館の石臼の修理をすることにしました。修理と言っても取っ手を作り直すことです。最初図面を引いて、その図面通りの板を切り出しました。板は二枚を張り合わせ圧縮しました。今回はそこまでです。次回は板を整形して、取っ手らしく加工します。
図面どおり板の切り出し 張り合わせのため接着 2枚の板を強く圧縮
午後、雨が降りしきる畑内を笠をさして散策しました。マクワウリはもうすぐ食べられそうで、黄色く色づいてきました。カボチャもだいぶ大きくなってきました。トウモロコシは雄花も雌花も出ていました。2週間後頃には収穫できそうです。今年種をまいたトウモロコシは、焼いて食べると昔の味がします。そのため、スイートコーンに食べ慣れている今の人には美味しくありません。どちらかと言うと、製粉してコーンスープにする品種です。秋にコーンスープにして食べてみようと思います。
雨が降りしきるトウモロコシ畑
麻郷と城南の盆踊りが終わった後、麻里府の盆踊り練習を見学する機会に恵まれました。A君と一緒に19時過ぎに旧麻里府小学校の講堂に行きました。数人の方がおられました。しばらくすると、子供達や大人達が大勢集まってきました。
旧麻里府小学校の講堂 太鼓に貼られた太鼓譜 嵯峨音頭の練習開始
講堂に置かれた太鼓には、嵯峨音頭「えびやのじんく」の太鼓譜が張られていました。太鼓の譜面は、各地で独自に工夫されたものが使われています。ある程度人数が集まると、中郷にお住いのKさんから練習開始の挨拶がありました。そして、Kさんの最初の合いの手から嵯峨音頭の太鼓の練習が始まりました。今回、太鼓を練習していた子供達は去年も太鼓を叩いたのか、最初から難なく叩いていました。
嵯峨音頭の太鼓を元気よく打つ子供達 麻里府では、音頭くどきが複数人
太鼓を叩いている時、ふざけるように子供は一人もいませんでした。麻郷の子供達は、人数が多く賑やかなのは良いのですが、太鼓を叩くときに何かピリッとしないように思います。単純に比較することはできませんが、他地域を見回るといろいろ気がつきます。とある太鼓グルーブでは、一種の能力主義を取り入れて選抜することがあるそうです。そのため、いい加減な練習はできません。指導も徹底しています。当然演奏はとても上手になります。子供達をどう指導するか,どう躾けるか,またはどう位置づけるかは、それぞれの地域の指導者の考え方の違いが表出するようです。
ピリッと、上手に太鼓を叩いている麻里府の子供達
城南小学校から麻郷公民館まで、車で15分位でしょうか。19時25分に到着し、ぎりぎり盆踊り抽選券に間に合いました。麻郷は公民館で盆踊りをするため、城南小学校の盆踊り会場から来るととても狭く感じます。麻郷はかつて麻郷小学校の運動場で盆踊りをしていました。しかし、新校舎に立て替えた頃から公民館で盆踊りをするようになりました。
櫓を中心に、田布施音頭の太鼓をたたく子供達
私が麻郷公民館に着いた頃、田布施音頭を踊っている最中でした。会場が狭いためか、屋台を楽しむ方々と踊りの外周が重なっていました。そのため、外周を回っている方々はやや踊りにくいようでした。どういう訳か、内周の輪ではあまり人が踊っていませんでした。ある盆踊り会場では、櫓を二段の高さにしている所がありました。一段高い中央は太鼓を叩いたり音頭くどきをして、婦人会などベテランの方々が一段低い櫓の上を回りながら踊っていました。
田布施音頭を踊っている方々 空に星がちらちら瞬く中で踊る
盆踊りの楽しみの一つに屋台があります。焼ソバやビザを焼いているコーナーは人だかりでした。また、飾り物を売っているコーナーも子供達が群れていました。
私が子供の頃は、祖母が住んでいた平生の夏祭りが楽しみでした。祖母に連れられて、賑やかな平生の街中を歩きました。確か、大内川だったと思いますが、灯篭流しが行われていました。川の岸辺から灯篭を流しました。たくさんの灯篭がゆらゆらと海のかなたに流れ出していく光景をとても神秘的に思いました。飾りたてた豪華船もあったように記憶しています。
美味しそう、焼きソバ店 ビザを焼いていたお店 賑やかな人だかり
踊りの最後は麻郷嵯峨音頭でした。練習に何度か来ましたので、一番なじみのある嵯峨音頭です。嵯峨音頭で、子供が太鼓を叩くのは麻郷と麻里府だけのようです。また、麻郷以外はほとんどが「えびやのじんく」ですが、昭和15年に麻郷のある方が麻郷の地域性に合わせた音頭くどきを作りました。それが麻郷嵯峨音頭なのです。そのころ、麻郷独自の「えびやのじんく」もあったようです。今後、麻郷嵯峨音頭に加え、麻郷独自の「えびやのじんく」復活も良いかも知れません。
最後に麻郷嵯峨音頭を、みんなで輪になり踊る
盆踊りが終わると、楽しい抽選会です。私は341でしたが、残念ながら当たりませんでした。ここ数年、全く当たりません。日ごろの行いが悪いのでしょう。抽選会が終わると、最後の花火が空高く打ち上げられました。その後、私はふるさとの会の方々と一緒に太鼓などを公民館に仕舞いました。今年は同日開催の城南の盆踊りを見学したので、麻郷の盆踊りは全て参加できませんでした。来年は、昼間からフルに参加しようと思います。
さて、残る盆踊りは麻里府、岸田、誓立寺です。できれば全部参加して、それぞれの嵯峨音頭の違いを知ることができればと思います。
盆踊り開催に関わった方々、お疲れ様でした。
ワクワク、抽選会の始まり 当たった方は記名 最後、太鼓などの後片付け
8日、午前中は発明クラブで工作指導をしました。冷房がない田布施西小学校の工作室での指導です。私は二人の子供を担当していますが、今回は最終的な動作確認をして色塗りをしました。次回は、県に出すための報告書を書く指導です。午後は小学校同窓会の準備会がありました。今のところ恩師2名を含めて出席者は28名の予定です。同窓会当日の役割分担や細かなスケジュールなどを決めました。また収支予測をして赤字にならないように決めました。私は、総合司会,恩師をお連れする役割,そして写真の撮影担当をすることになりました。
太鼓をセットする子供達 大太鼓を櫓に上げる 元気な山城太鼓の子供達
ところで、今、各地の嵯峨音頭を見学しています。8日は田布施町城南と麻郷で嵯峨音頭が踊られました。最初、城南の盆踊りを見学しました。会場は城南小学校の運動場です。到着した時、山城太鼓の子供達が額に汗を流しながら太鼓を櫓の傍に運んでいました。
そして、しばらくすると城南各地の方々が集まってきてプラカードの前に並び始めました。集まってきた方々を見ると、ほぼ全員の方が仮装をしていました。運動会余興の仮装大会のようにも思えました。みなさん楽しんでいるようでした。こんな盆踊りもあるのですね。
仮装した各地区の方々が櫓の前に整列
最初、山城太鼓の子供達が軽く太鼓を演奏しました。その頃、パンパンと言う音が空から聞こえてきました。花火が空高く上げられ、たくさんのパラシュートが落ちてきました。その落ちてくるパラシュートを拾うため子供や大人が集まっていました。その後、並んだ各地区の方々を前に、盆踊り開会宣言がありました。
宣言が終わるといよいよ盆踊りです。最初、私が見聞きしたかった嵯峨音頭でした。麻郷ではふるさとの会が嵯峨音頭を引き継いでいますが、城南では嵯峨音頭保存会の方々が引き継いでいるようです。
並んだ各地区の方々 盆踊りの開会宣言 最初に嵯峨音頭
嵯峨音頭保存会の方々による太鼓,音頭くどき.合いの手です。太鼓は一つ、音頭くどきと合いの手は複数の方々が担当しておられました。音頭くどきは「えびやのじんく」のようでした。城南に来る前は、山城太鼓の方々が嵯峨音頭の太鼓を分担しているのかと思いましたが違うようです。嵯峨音頭保存会で音頭くどきも太鼓もすべてまかなっているようでした。どの地区も、嵯峨音頭の保存・普及に苦労しています。音頭くどきをする人や太鼓が叩く人が絶え、盆踊りの時に録音テープに頼るしかない地区があると聞きます。
櫓を中心に踊っている方々を見ると、踊りは麻郷と同じようでした。わずかな時間でしたが、私も難なく踊ることができました。城南の嵯峨音頭を見学していると19時頃になりました。19時半に麻郷の盆踊り抽選券の締め切りです。私は、麻郷の盆踊り会場がある麻郷公民館に急ぎました。
暗くなりつつある空の中、嵯峨音頭を踊っている城南の方々
光市井保木の嵯峨音頭の練習を見学した数日後、平生湾対岸の曽根公民館に行きました。ここで嵯峨音頭などの盆踊りの練習をするとのことで、A君と見学に行ったのです。A君は去年も来たそうです。私は、曽根の嵯峨音頭と麻郷嵯峨音頭がどの程度違いがあるのか興味がありました。
大太鼓を載せる台 最初は炭坑節の練習
曽根では3曲の盆踊りを踊るそうです。3曲とは、炭坑節,嵯峨音頭,そしてやっちゃれ音頭です。今回見学に伺うと、最初に炭坑節の踊りの練習でした。次に、嵯峨音頭の練習でした。曽根の嵯峨音頭は麻郷とはやや違いました。まず、くどきは「えびやのじんく」?のようでした。そして、太鼓はある程度打ち手の自由のようでした。合いの手も少し違いました。踊りは一ヵ所だけの違いで、私もなんとか踊ることができました。
太鼓,合いの手,そして踊りが麻郷嵯峨音頭とわずかに違う
最後に練習したのは、平生町独自のやっちゃれ音頭でした。田布施音頭と同じ頃にできた音頭ではないでしょうか。踊りをよく観察すると、それほど難しくはないようです。終わり頃には、私もなんとか真似て踊れるようになりました。ただ、私にとっては伝統的な嵯峨音頭が一番好きです。各地の嵯峨音頭と比較してみたいと思います。今後は、田布施町の城南,麻郷,麻里府,岸田などでも嵯峨音頭が踊られます。できるだけ各地の踊りを見学しようと思います。
嵯峨音頭の練習をしている曽根の方々 最後にやっちゃれ音頭の練習
先日脱穀した小麦粒を天日干ししましたた。昔ならば、庭に筵(むしろ)かゴザを敷いてその上に小麦を広げました。しかし、筵は今はどこを探してもありません。筵の代わりにビニールシートを敷いて、その上に小麦の粒を広げて干しました。日影が無いベランダで干しました。
小麦粒を平に広げる 数匹の害虫コクゾウムシを発見
小麦を広げていて数匹の害虫を見つけました。コクゾウムシです。この小さな害虫は、麦に限らず、米やトウモロコシ粒に入り込んで、増殖します。天日干しして退治しておかないと、秋口に相当に増えます。また、蛾も発生することがあります。何度か天日干しして、害虫を完全に退治しようと思います。そして、密閉式の貯蔵タンクに小麦を保存しようと思います。
我家のベランダで天日干し中の小麦
先日、田布施町観光協会のMさんから、タラヨウの枝をいただきました。ありがとうございました。この枝は、宇部市の世界ジャンボリーに出展する時に、スカウト達に見せるために竹尾の龍泉寺からいただいてきたものだそうです。
タラヨウは、別名「葉書の木」と呼ばれます。その理由は、葉を尖ったものを引っかくと、その引っかいた場所が黒く変色します。文字を描くように引っかくと、手紙として使えるからです。試しに、下画像のように絵を描くこともできます。但し、葉が枯れると絵は薄くなるようです。
葉裏を引っかいて数秒後 10分後、絵がくっきり 葉が枯れると絵は薄く
私は、植物を育てることに関しては素人です。このため、盆栽など植物をよく知っているNさんに、挿し木について教わりました。ありがとうございました。赤玉土を使うと良いとのことで、近所のDIYのお店で赤玉土を購入して帰りました。ついでに、発根剤も購入しました。我家着くと、さっそくタラヨウの挿し木にトライです。
Mさんにいただいたタラヨウの枝、これを枝ごとにカットして挿し木
まずは、購入した赤玉土を数個の植木鉢に分けました。よくは知らないのですが、赤玉土には病害虫がおらず挿し木に最適とのこと。枝の切り口は病原菌が入り込みやすいため、赤玉土のような土が良いのでしょう。私はこれまで、種を蒔いて木を増やしてきました。例えば、マテバシイやスダジイ,そしてクルミなどです。今後は、挿し木にもチャレンジして木を増やそうと思います。
購入した赤玉土と発根剤 赤玉土を植木鉢に分ける 植木鉢に水やり
植木鉢に赤玉土を分け終わると、水をかけて濡らしました。そして、タラヨウの枝を切りながらその傷口に発根剤をまぶし、すぐに植木鉢に差し込みました。7つの枝を7つの植木鉢に挿し木しました。なお、平生町の佐賀をウォーキングした時に心光寺でいただいたナギの枝も挿し木し直しておきました。タラヨウに加えナギも根着くと良いのですが。
切り口に発根剤をまぶす 挿し木し直したナギの枝 今回挿し木した全て
今回、タラヨウの枝7本、ナギの枝3本を挿し木しました。そして、日が当たらない我家裏に鉢を移動しました。このうち何本が根着くでしょうか。根着いたうちの1本を、山か庭に植え付けしようと思います。樹木を種から育てるには年数がとてもかかります。挿し木はその点、3年分位育苗を短縮できます。
ところで、挿し木した後のタラヨウの葉数が多いとの指摘がありました。そのため、葉を3枚程度に減らしたり、葉をハサミが半分にカットしました。これにより、葉からの蒸散が少なくなり挿し木の成功率が上がるようです。
挿し木した直後のタラヨウとナギ(最下段)、その後葉数を減らす
光市の伊保木で嵯峨音頭の練習があるとのことで、A君とKさんとで伊保木公民館に見学に行きました。到着後しばらく待っていると、伊保木公民館長が来られました。そして、次々に嵯峨音頭に関わる方々がやってきました。最初に、太鼓を教室内に運んで組み立てました。太鼓の種類,数,そして台が麻郷と少し違いました。
太鼓の組み立て くどきと太鼓の表 嵯峨音頭の太鼓練習
練習する前に、くどきと太鼓の表があるのに気がつきました。一種の音符のようなものです。ところで、嵯峨音頭を練習する前に思わぬ方々に出会いました。一人は快山窯のご主人です。そして、美土里窯の奥様です。両者共に伊保木~岩屋ウォーキング時に御世話になりました。また、私の家の近くに住んでいる方の従弟さん(Iさん)がおられました。Iさんのお父さんはやはり嵯峨音頭のくどきなどが得意で、麻郷鳥越の盆踊りなどに遠征していたことがあったそうです。ちなみに、Iさんのお母様は鳥越出身です。
伊保木の嵯峨音頭の太鼓練習開始
伊保木の嵯峨音頭のくどきは「えびやのじんく」です。室積の杵崎神社などが歌われていました。太鼓の旋律はやや違うものの、ほとんど麻郷嵯峨音頭と同じでした。また、踊りは全く同じでした。そのため、踊りの時は、私も一緒になって踊りました。伊保木の嵯峨音頭は、かつては田布施の麻里府や竹尾などと頻繁に交流があったようです。そのため、それほど違いが出なかったのではないかと思います。
ちなみに伊保木と岩屋は、今は光市ですが、江戸時代は田布施の一地域(上関審判勘場の管轄)でした。今でも、竹尾龍泉寺の門徒や高松八幡宮の氏子の方が多く住んでいます。
絵にした足の運び くどき側から太鼓を見て 嵯峨音頭を一緒に踊る
小麦の刈り取り後、ずっと天日干ししていましたが、1.5ヶ月後にようやく脱穀できました。日本は小麦の収穫時期が梅雨と重なるため、あまり小麦作りに適していません。日本の気候に合った米作りが主で、麦作りは今も裏作と言われています。
天日干しした小麦を運ぶ 小麦の脱穀を開始 脱穀した小麦粒
最初、天日干しした小麦を脱穀機の傍に運びました。そして、発動機を動かしました。この発動機は長年、お米の脱穀や切りわら作りなどに使い続けてきました。骨董品に近い農機具ですが、今だに我家の現役です。発動機を動かして、回転する力をベルトで脱穀機に繋ぎます。すると、脱穀機のドラムが勢いよく回り始めます。この回転するドラムに麦を当てて脱穀するのです。
発動機の回転力をベルトで脱穀機に伝えた後、脱穀作業開始
猛暑のため汗だくになって脱穀作業をしました。11時半頃にEさんが、飲み物や食べ物を運んできました。いつもありがとうございます。脱穀作業が完了すると、木陰にビニールシートを敷いて坐りお昼休憩にしました。美味しい天ぷらやソーメンを美味しく食べながら談笑しました。ご馳走さまでした。
木陰でお昼休憩しながら談笑 美味しかった天ぷら,おにぎり,ソーメン
お昼休憩が終わると、枝豆と小豆の種まきをしました。昼過ぎでしたので、最高の暑さでした。耕した畑にひもを張って、約30cm間隔に種を蒔きました。心配なのは今後の天候です。土はカラカラに乾いており、今後しばらくは雨が降りそうもありません。このまま雨が降らないと、発芽するかしないかは五分五分でしょうか。夕立が降って欲しいと思っていますが、その気配はありません。種まき後の畑は、ずっとカラカラのままです。残念ながら発芽の期待はできそうもありません。
昼食後、カラカラの猛暑の中で枝豆と小豆の種まき
昨日2日は、午前中は発明クラブ、午後は熊毛南高校同窓会、そして夜はハゼの実ろうそく祭りに行ってきました。ろうそく祭りは、三年前,一昨年、去年と毎年欠かさず行っています。今年は午後8時少し前に会場に行きました。夜のとばりが降りる頃でした。田布施川沿いにロウソクが並んでいました。今年はいつもよりロウソクが多く並んでいるようでした。
夜のとばりが降り、うっすらと山影が見え、ロウソクの灯が映える
ろうそく祭り会場に着くと、たくさんの人だかりでした。これまでで一番多い人出ではないかと思いました。田布施川沿いの石畳の道にたくさんの行燈が置かれていました。その行燈の間を通って会場に向かいました。
田布施町合併60周年 田布施町のシンボル 石畳に置かれた行燈
演奏会場に着くと、コーラスグループのWishが歌っていました。いつもの美しいコーラスでした。今年は遅れて行ったので、よさこいなどの踊りや他の演奏を聞き漏らしてしまいました。残念!
Wishのコーラスが終わると、会場をあちこち歩いてみました。すると、このはぜの実ろうそく祭りを主催しているTさんやOさんに出会ったので挨拶をしました。Oさんの話では、第一回目(2002年)のハゼの実ろうそく祭りは会場がサリジェだったそうです。第二回目から今のような、交流館側に移ったとのことでした。
コーラスグループWish 続いてフラダンス 子供達によるフラダンス
会場を回って、ろうそくを売っているコーナーに行きました。私は毎年、このコーナーでロウソクを購入しています。売り場のYさんのお勧めで、短めのロウソク2本を購入しました。来年は胴に絵が描かれている装飾ロウソクを買おうかなと思います。その後、知人の何人かに出会い談笑しました。ろうそく祭りに限りませんが、知った方々に出会うと嬉しいものです。
はぜの実ろうそくを売っているコーナー、どのロウソクにしようかな
田布施川の川岸に降りてみたり、いろいろなお店を見たりしていると、元気なフラダンスの音が聞こえてきました。そこで、フラダンスを見ることにしました。踊っている方々のお名前は全く知らないのですが、毎年のようにこの会場でフラダンスで踊っている方々のようでした。また、今年から初めてだと思いますが、子供達がフラダンスを元気よく踊っていました。大人のフラダンスも良かったのですが、子供のフラダンスも微笑ましくて良かったです。
三人でフラダンス 一人でフラダンス 再び子供達のフラダンス
フラダンスが終わった後、まだ演奏か演技があるようでした。しかし、この頃になって、なぜか疲れと眠気が出てきました。このため、早めに家に帰ることにしました。
梅雨が明けるまで、草刈りなどの農作業ができませんでした。畑や道端は雑草だらけです。明日からしばらく、ひたすら農作業をしようと思います。もちろん、熱射病にならないように気をつけながら。
エンディングテーマ曲でしょうか、ささらのようなものを振り回すフラダンス
今日は、去年と全く同じように一日中(発明クラブ,同窓会,ろうそく祭り)忙しくしていました。午前中、田布施西小学校で発明クラブの夏の工作指導をしました。午後は、熊毛南高校の同窓会に参加しました。確か、去年も遅れて参加しました。今回はさらに遅れてしまい、同窓会始めに撮影する集合写真に入ることができませんでした。このところ、草刈り、発明クラブ、郷土館,史跡調査などでなかなか自由時間が取れません。明日は久しぶりに時間が空くため、遅れている草刈りをたっぷりしようと思います。また、布団を干したり、脱穀した小麦を干したり、部屋の掃除もしようと思います。
集合写真、私はこのとき西小 2等賞が当たったEさん 最後に校歌斉唱
遅れて参加した同窓会でしたが、抽選会にはなんとか間に合いました。残念ながら私は当たりませんでした。当たったのはEさんと、私の番号(395)の次の番号のS君でした。参加した顔ぶれは去年より少し少なかったように思いますが、軽食をとりながら談笑しました。
熊毛南高等学校同窓会2015に参加した、昭和46年度卒業生
いったん同窓会がお開きになると、玄関近くのテーブルに移動しました。そして、冷コーヒーを飲みながら中学生時代や高校時代の思い出に浸りながら談笑しました。16日には麻郷小学校の5年ぶりの同窓会があります。これまた小学生時代にさかのぼって、思い出に花を咲かせようと思います。
高校時代の思い出を語りあう 年はとっても、当時のことは昨日のことのよう
今日もまた忙しい一日でした。午前中は発明クラブで子供達の工作の指導をしました。クーラーがない工作室は扇風機の風だけがたよりです。今回は、モーターBOXの制作でした。細かい、ネジ,ギヤ,ナット,車軸などを組み合わせて作ります。このような工作は、説明書をじっくり読んで理解しないとなかなか上手にできません。見当だけで作ったり焦って作ると必ず失敗します。
発明クラブで夏の工作 交流館の夏祭り E邸で夕食兼懇親
発明クラブが終わると、午後は郷土館に勤務です。郷土館に行く前、お昼のお弁当を夏祭り中の交流館で購入しました。夕方は、E邸に一品を持って集まりました。そして、夕食兼懇親会の始まりです。そして、20:00頃になると、麻郷八海地区の海岸に行きました。そして、堤防にもたれかかるように平生町十七夜まつり 花火大会を見ました。去年は雨中の花火大会でしたので、見ることができませんでした。今年は快晴で、花火大会をじっくり鑑賞することができました。
堤防の上に坐るか又はもたれかかって、平生町十七夜まつりの花火を鑑賞