去年の秋、いつもは栽培しない種子の種をまきました。その一つが紫大麦です。紫大麦はその名のとおり、穂が紫色をしています。以前栽培していた紫大麦はあまり紫色が目立たなかったのですが、この秋に種まきした紫大麦は茎自体も紫色をしています。そのため、穂もより紫色が強いのではないかと思います。
茎も紫色の紫大麦、1ヶ月後には茎が立ち出穂
紫大麦は2品種育てています。もう一つの紫大麦はすでに茎が伸び始めています。ところで、大麦は小麦より約2週間早く成熟します。つまり、2週間早く収穫できます。そのため、田布施では2毛作しようとすれば冬作物として大麦を作ります。小麦は成熟が遅いので、同じ圃場を使おうとすれば米作りできません。田布施ではその昔、2毛作として大麦や菜種を作り、収穫後大急ぎで米作りに入ったものです。ところで、オートミールも大きく育っていました。
茎が伸び始めた紫麦 大きくなったオートミール
先日、モーターを使った糸紡ぎ練習器を作りました。郷土館に来る小学生二人に、試しに使ったもらいました。その結果、欠点がいくつか分かりました。欠点の一つは、回転が一方向のため、紡いだ糸をほどくことができず回収できにくいことです。そのため、逆回転の機能を付けました。
欠点を直した糸紡ぎ練習器
もう一つの欠点は、ボタンを押し続けないと回転が持続しません。押している指が疲れるのです。そのため、一度押すとON状態が続き、もう一度押すとOFFになるスイッチに変更しました。スイッチを改善したため、右指が楽になりました。次の欠点として、慣れてくると回転が遅く感じるとのこと。回転が速い2台目の糸紡ぎ練習器を作ろうかと思っています。
改善したスイッチ 逆回転のための工夫
小麦がだいぶ大きくなりました。心配なのは、肥料が効きすぎたのか茎や葉がピンと立っていません。このような姿勢の麦は、ちょっとした風で倒れやすいので心配です。茎が高くなる4月以降はさらに背が伸びてきます。今月以内に耕耘機に培土器を取り付けて土寄せした方がよさそうです。
青々と茂った小麦、ピンと立っていないので倒壊の心配
今月中にいくつかの畝の小麦を刈り取ります。その理由は、一つにサツマイモを植える畝にするためです。次に、綿や藍を植える畝にするためです。今年は、さらに紅花をこの畑に種まきしようと思っています。また、隅っこにジャガイモの種芋を植えたりサトウキビも植えようと思います。
だいぶ背が伸びた小麦 サツマイモ用に刈り取る予定の小麦
去年の冬にしいたけ菌を植えた木を伏せ場に移動しました。4本と少なかったため、とある1本の木に寄りかかるように置きました。しかしながら、菌を植えた木は太い幹でしたので重くて運び出すのに苦労しました。この1年の間に蔓などの草が生えていました。そのため、脚が引っかかって転ばないように気をつけながら運びました。
しいたけ菌を植え付けた木を、木に寄りかかるように置く
運び出す前に、日陰用に被せた網を外しました。外すと、菌が順調に育っているか見て分かります。順調の育つと菌のこまの周りが白くなっています。つまり菌が成長しているのです。順調に育てば、この秋には最初のしいたけが出ると思います。幹が太いので、今後4年位はしいたけが出続けると思います。
※13日東京に行きます。文科省に出張したり,息子の披露宴に出たり,秋葉原に電子部品を買いに行ったり,八王子近辺の史跡を散策したりします。18日夕方田布施に帰ります。
しいたけに被せた日陰用の網 日陰用の網を取って場所を移動した木
1年間活動してきた少年少女発明クラブ、昨日閉会式がありました。去年4月の開校式の時「これから長い一年間が始まるなあ。」と思っていたら、もう閉校式です。時の流れは早いものです。閉会式は、開会のことば,修了証授与,クラブ会長挨拶と続いて、1年間のまとめの番となりました。私は1年間のまとめとして、画像や動画を使って活動報告をしました。
画像や動画を使って1年間の活動を振り返る
4年前に発明クラブに入った部員は、この閉会式後に卒業式です。そして、4月に中学校に入学します。私が少年少女発明クラブに関わりはじめた時、指導した子供達はもう高校生です。それぞれ立派な大人へと成長して、明日の田布施さらには日本を支える人になって欲しいと思います。
クラブ会長挨拶 来賓の方々 指導員の方々
3月に入ってから暖かい日が続き、しかも雨が降る日が続きました。そのせいか、しいたけがどんどん生えて収穫が追いつきません。笠が広がりすぎて変色したしいたけは、山に投げ捨て廃棄するありさまです。仕事が忙しくてしいたけの圃場に行く時間がありません。無駄にしているしいたけが少なくありません。計画的に収穫できるゆとりの時間が欲しいものです。
笠が広がりすぎたたくさんのしいたけ
食べられそうなしいたけは、どんどん収穫して大きな籠に放り込みます。我家に持って帰ったしいたけは、毎日のおかずにしています。しかし、さすがに飽いできました。食べきれないしいたけは、親戚や知っている方々に配って歩いています。
笠が開いていないしいたけ 取り切れないしいたけが残った榾木
今までは、羊毛や白い綿を紡いだ糸で布(主にコースター)を織ってきました。さらに、去年収穫した緑綿や茶綿を紡いだ糸を使って布も織ってみようと思います。素人の私が紡いだ糸ですので、まだまだ太さがバラバラです。今回手始めに、緑綿を紡いだ糸と段ボールを使って織ってみました。
緑綿糸を使って織っているコースター
まずは、足踏み糸紡ぎ器で紡いだ緑綿糸をボビンから巻き取りました。かせくり器に巻き取った方が良いのですが、今回は段ボールの切れ端に巻き取りました。その巻き取った緑綿糸を疑似板杼(いたひ)に巻きました。一方で、段ボールを加工して経糸をセットしておきます。そして、疑似板杼を経糸に交差するようにして布を織ります。
ボビンの糸を巻き取り 段ボールに経糸セット 疑似板杼を経糸に交差
いよいよ布を織っていきます。布とは言いながら、毛糸で編んだような粗さです。枠が段ボールなので次第に緩んできます。それでも気長に織っていると、布の形になってきました。来年度小学生に、綿繰り,糸紡ぎ,そして布までの工程を体験させようと思っています。子供達に気に入ってもらえるでしょうか。
経糸と横糸を数段交差 なんとなく布らしくなる
3月になって、なんとなく暖かく感じる日が多くなりました。風も肌を差すような冷たさがありません。たまたま郷土館に駐車した車の荷物を運んでいると、駐車場の周りにたくさんのつくしが生えていることに気が付きました。知らない間につくしが群生していました。
駐車場の周りにたくさん生えていたつくし
子供の頃によくつくしを取りました。そして、はかまを取って食べていました。シャリシャリするような食感で、あまり美味しいものではありません。ところで、つくしはスギナの胞子穂です。苔のように胞子が飛んで増えます。つくしがたくさん生えている地下には網目のようにスギナの根が絡み合っています。つくしが枯れるとスギナがどんどん出てきます。なかなかしぶとい雑草です。畑に生えたスギナには往生します。根のかけらが少しでも残っていると、その根から茎や葉が再生するのです。
提灯のようなつくしの胞子穂 群生するように生えたつくし
大平山頂上は思いのほか眺めが良くありませんでした。さらに、狭いため10人以上が座るような広さもありません。そのため、本番ウォーキングでは頂上に登る前の広場で昼食休憩を取ろうかと思います。さて、頂上に長くいると、だんだん体が冷えてきました。そのため、冷え切る前に頂上をスタートしました。尾根道をアップダウンしながら歩いていると林道に出ました。その林道をどんどん西の保生地に向かって歩きました。
大平山直下の林道から見えた眺め、正面に赤子山
以前大平山に来た時、林道は草が生い茂っていました。今回下見で来てみると、意外にも道が整備されていました。林業か山の整備で道が使われているではないかと思います。林道に出てすぐの場所に、眺めが良い場所がありました。正面に赤子山が見えました。そして、新庄の民家や畑を見下ろすことができました。遠くを見ると、瀬戸内海や馬島が見えました。天気が良い時には、九州が見えるのではないかと思います。
林道の崩れた個所 竹藪に覆われた林道 保生地に残された廃家
しばらく林道を歩いていると、余田方面に下る分かれ道がありました。竹藪に囲まれたこの分かれ道を下ると余田に降りるようです。今回はこの分かれ道に行かず保生地に向かいました。林道をどんどん歩いていると崩れた個所があり、両側が竹藪が囲まれるようになりました。そして、元々田んぼではなかったかと思われる箇所が出てきました。保生地に着いたようです。
保生地の道を歩く 残された街道記念碑 ようやく山道を抜ける
保生地に着きましたが、民家は一軒だけしかありませんでした。その昔たくさんの人が住んでいたようです。あちらこちらに田んぼの跡があります。保生地は、余田畑と余田役場を結ぶ街道でした。その昔はその街道を行き来する人で賑わっていたのではないでしょうか。しかし、今は誰一人として通りません。昭和初期に建てられた街道記念碑がむなしく建っていました。
ラクウショウの大木と気根 大平山を背に新庄MaxValuに戻る
今回の下見で、一番の問題点がトイレであることが分かりました。金毘羅社~大平山頂上~保生地まで、ずっとトイレがありません。そのため、本番ウォーキングではコースを短縮しようと思います。保生地まで行かず、余田に降りるルートに変更しようと思います。今回、下見にしては長い距離を歩いたように思います。下見ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。
下見ウォーキングで歩いたコース
大阪日本橋に勤務していた時、高石市に寮がありました。その寮は、高石駅から東に歩いて15分位歩いた場所にありました。途中の道には田んぼがありました。今その田んぼは無いのではないかと思います。とても古い寮で、隣の部屋との壁は薄く音が筒抜けでした。電気も裸電球でした。確か八畳の部屋(1部屋3人)が数部屋あり、皆が分かれて暮していました。日々の営業や販売で、皆は身も心も疲れていました。そんなある夕方、何時に消灯するかでもめたことがあります。
お笑い劇場のなんばグランド花月、立派な建物
私は本を読みたいので午後10時頃まで電気を点けていました。ところが、同室の一人が9時には消すべきだと激しい言葉を浴びせてきました。思わず喧嘩になりそうな雰囲気でした。その時、別の1人が仲裁してくれました。仲裁してくれる人がいなければどうなっていたことでしよう。寮生活してる人は、私も含めてストレスの毎日を過ごしていました。思わず喧嘩になりそうな危うい毎日だったのです。
南海線難波駅に向かう 千日前道具筋通り 店頭に飾るのれんを売るお店
ある時、寮の管理人さんが数人を連れて難波付近を案内してくれました。通天閣や密輸品を扱っている怪しいお店などを案内してくれました。ところが、ある日その管理人が寮からいなくなったのです。そして、代わりに新しい管理人さんが来たのです。なんと、前の管理人さんは窃盗犯罪で捕まったとのこと。寮でよく腕時計などの物品がよく無くなりました。やっぱりと思いました。難波を案内してくれたいい人だと思っていただけに驚きました。
たくさんの招き猫を売るお店 飾り物を専門に売るお店
今回、難波周辺を歩いて見つけられなかった建物がありました。今から50年位前に火事で焼けた千日前デパート跡です。私が大阪日本橋に勤めていた頃、その建物はまだ残っていました。あれだけの被害が出たデパートです。何か石碑の一つでも残っていないか探しました。しかし、どうしても見つけることができませんでした。どこにあるのでしょうか?
さて、南海線難波駅に着くと御堂筋駅に乗り換えました。そして、新大阪駅に戻ると、新幹線で我家に戻りました。次には、寮があった高石市や難波の次に勤めた茨木などに足を延ばしてみたいと思いました。
南海線難波駅に向かう 千日前デパート跡は? 懐かしい南海線難波駅正面
ジャガイモの植え付け準備をしました。すでに植え付けを終わった友達もいますが、今年も少し植え付けが遅れてしまいました。ジャガイモの種芋を植え付ける畝を作るため、その場所を耕耘機で丁寧に耕しました。種芋を植える畑は、我家前と麦畑を予定しています。
ジャガイモの種芋を植える予定の畑を耕耘
ジャガイモの品種はシンシアです。卵型をしており芽が窪んでいないので、調理時の皮むきが比較的容易なジャガイモです。メークインに近い品種で、男爵のように煮崩れしません。そのため、カレーや肉じゃがに向いていると思います。ここ数年この品種を栽培しています。当初柳井園芸で入手していましたが、ここ数年入手しにくくなったため通販で購入しています。3月中旬には種芋を植え付けようと思っています。
大きな種芋は二つに切断 切断した切り口を乾燥
田川邸の「猫のお宿の雛祭り」に行ってきました。先日の麻郷北西部ウォーキングで訪れた時、今回の展示会準備としておひな様が少し展示してありました。今回はまさに3月3日のおひな様の日です。昨日の土曜日は好天だったため、訪れた方がとても多くて販売されていた品々がよく売れたとのことでした。
明るい縁側に展示されたおひな様関連の品々
猫のお宿は駐車場が少し狭いため、いったん交流館に集まりました。そして、2台に分乗して猫のお宿に行きました。猫のお宿に着くと、雨にもかかわらず田川氏が迎えてくれました。私は、先日いただいた桜の苗木のお礼を言いました。猫のお宿に入ると仲間数人に会いました。猫のお宿の庭でしばらく談笑しました。
おひな様会場入り口 展示された和服など 美味しいお汁粉をいただく
おひな様会場の入り口に入ると、靴を脱いだ縁側の部屋にもおひな様に展示されていることに気が付きました。そのお部屋は台所の隣のお部屋です。おひな様を鑑賞していると、台所のお世話をしている方からお汁粉をいただきました。畳に座ってお汁粉をいただきながら、おひな様ゃ千匹猿などを鑑賞しました。
かわいいおひな様 和服でつくった日傘など 縁側に展示された品々
1時間位猫のお宿にいたでしょうか。お昼をすぎてお腹がすいてきたため、皆さんと相談して瀬里香に行きました。ひさしぶりの瀬里香です。日曜日でしたので混んでいましたが、ラッキーなことに1台分の駐車スペースが空いてしました。私は、お魚料理を頼みました。皆で談笑しながら美味しい料理を楽しみました。お料理が終わると、私はアイスコーヒーを頼みました。この秋に長島側上関の史跡を訪ねる予定です。その史跡巡りの参考にと、上関の古い地図を購入しました。おひな様の猫のお宿と美味しい料理に、楽しい一日でした。ありがとうございました。
簾のように飾られた手作り人形 とても美味しかった魚料理
懐かしい千日前道具屋筋商店街を出ると、目的地である大阪日本橋に向かいました。5分位歩くとその場所はありました。日本橋筋に入りましたが、私の思い出にある日本橋はどこにもありませんでした。私が勤めていたのは上新電機の本店だったのですが、そもそもどこにも電気店がありません。電気店はいったいどこに行ったのでしょう。その変貌に立ち尽くすばかりです。
電気店街だった日本橋筋、電気店はいったいどこに
日本橋に入る場所にシートで覆われた建物がありました。私の記憶では高島屋別館ではないかと思います。私が日本橋に勤めていた頃、すでにデパートとしても役割を終えて展示場になっていました。当時一度だけ入ったことがありますが、壁・天井・窓・手すりなどがヨーロッパスタイルのとても素敵な建物だったように思います。この建物は近いうちに建て替わるのでしょうか。
建て替え?高島屋別館? 唯一発見した電気店 多かったパソコン店
大学を卒業したばかりの私は、一時期大阪日本橋に勤務しました。初めての営業や接客経験にとても苦しみました。関西の大手販売会社だった上新電機のしかも本店勤務になった私はストレスの毎日でした。私はH社のテレビを専門に店頭販売していました。他社のテレビを買いに来たお客様を、H社のテレビを買ってもらうよう勧めることが私の仕事でした。粗利の良いH社のテレビを大量に仕入れて売り切ることがお店の戦略だったのです。
ある時、S社のテレビを買いに来たお客様がいました。私のお勧めにもかかわらず、結局そのお客様はS社のテレビを買って帰りました。その時、たまたま私の仕事ぶりを調査しに来た上司がいたのです。あとで、しこたま怒られました。なぜS社からH社に切り替えできなかったのかと。今思い出してもつらい日々でした。
電気街はさながらパソコン店街 フィギュアを売るたくさんの店
つらい大阪日本橋時代でしたが、ある時電子レンジの料理実演のアルバイトに来た短大生と仲良くなりました。お昼ごはんを一緒に食べていると、つらい日々が癒される気がしました。その娘さん、授業との関係で二ヶ月位でいなくなりました。お店では、販売以外にも運搬を手伝うことがありました。ある時、密航者が住んでいる屋根裏に運んだことがあります。もちろん他言厳禁です。・・・・などいろんな事がありました。
とにかく、とても濃い大阪日本橋時代でした。言い換えれば、無知な青二才の私を育ててくれたのが大阪日本橋なのです。
昼食をとった界隈 珍しいレコード売り場 パソコンソフト販売店
3月のウォーキングは、柳井市大平山尾根の縦走を予定しています。今回、7人で下見に出かけてきました。集合したのは新庄MaxValuです。下見にも関わらず、思いのほか7人が集まりました。その7人でのんびりと大平山に登り、その尾根を西端の保生地まで歩いて戻ってきました。検討の結果、本番ウォーキングではコースを少し変えることにしました。のんびりとした楽しい下見でした。
大平山直下の展望広場で休憩しながらくつろぐ
スタートした新庄MaxValuから、軽い登りの道を30分位歩いて柳井ウェルネスパークに着きました。そして、金毘羅社に向けてやや急な道を登りました。急な道なので、歩いていると少しばかり汗ばんできます。金毘羅社に着くと、お賽銭を入れて下見の安全を祈りました。この金毘羅社はもともとウェルネスパーク近くにあったそうです。ウェルネスパーク建設時に今の位置に移設されたとか。次に、金毘羅社から20m位西にある大平山登山口に行きました。
柳井ウェルネスパーク 金毘羅社の鳥居 大平山登山口
金毘羅社から大平山直下の展望広場まで、たかだか約0.8kmしかありません。しかし、とても急な登り坂がほぼ直線で上に向かっています。昨日の雨で坂道が適度に湿っていましたが、晴れた日が続くと積もった落葉で滑るのではないかと思いました。周りの景色が雑木林でまったく見えません。30分位休まずどんどん登っていると、ようやく展望広場に到着しました。
大平山頂上からの下り坂 尾根道から尾根林道に出る
展望広場では腰を下ろして休憩しました。しばらく休憩後、大平山頂上に向かってやはり急な坂道を登りました。0.4km位登ったでしょうか、頂上に到着しました。しかし、残念なことに展望はありませんでした。木々の隙間から土穂石川や発電所が見えるにすぎません。頂上に腰を下ろして30分位昼食休憩をを取りました。頂上に着いた時は体が熱かったのですが、30分もすると冷気ですっかり体が冷えてきました。冷え切らないうちに頂上をスタートしました。尾根道を西に向かってしばらく歩くと林道に出ました。その林道を大平山西端の保生地に向かって歩きました。
尾根林道を保生地に向かう 林道から見えた瀬戸内海 もうすぐ保生地