交流館に行くと、タケノコが並んでいるのに気が付きました。値段を見ると650円/個です。それを見て、我家の竹藪に行ってみました。すると、足元にあるわあるわ、タケノコがちょこんと頭を出しています。今年もタケノコのシーズンに入ったのです。クワを納屋から持ってきて、モグラ叩きのようにタケノコを次々に掘り出しました。そして、東京に贈ったり友達に差し上げたりしました。
竹藪の端っこからタケノコを掘り始める
次々にタケノコを掘ると、皮付きのまま数個新聞紙にくるみました。そして、段ボール箱の中に押し込むように入れました。ついでに、葉付きタマネギを畑から抜いて同じ段ボール箱に入れました。その日のうちに宅急便で東京の家内に贈りました。料理好きな家内は、皮を剥いであくを抜いて調理すると思います。そして、息子や嫁などにタケノコ料理をふるまうのでしょう。
東京に贈ったタケノコ 贈った葉付きタマネギ 新聞紙で丁寧にくるむ
この五月上旬のほぼろ製作講習会の準備を進めています。今回は、ワラを次々に編む「駒」を参加者人数分作りました。また、昔から使われている素朴な「駒」を、初心者でも紐を繰り出しやすいように工夫しました。一人六個の「駒」を使います。最大10人がほぼろを作ることができるように10人 x 6個 = 60個の「駒」を作りました。昔は一つの家に二つ程度馬や駒があれば足りますが、10人分の「馬」や「駒」などを準備するのはなかなか大変です。
ほぼろ製作講習会で使う「馬」や「駒」
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「駒」を作るため材木店で角材を必要本数購入しました。その角材を約20cm位の長さで切りました。そして、紐を通す穴(径5mm位)をドリルで開けました。これで、昔から使われてきた「駒」がほぼ完成しました。
開けた穴に太目のタコ糸(20cm位)を通して両端を結びます。続いて、ワラを編むための紐をぐるぐる巻き締めました。この「駒」には私が考案した工夫をしました。初心者でも紐を簡単に繰り出すことができる工夫です。
角材を次々に切断 駒の底部斜めに穴開け 穴にタコ糸を通す
ワラを編んでいくと、編むための紐がだんだん短くなってきます。そんな時。「駒」に巻き締められた紐を少しずつ繰り出します。「駒」に巻き締められた紐を、必要な長さだけ繰り出します。それと同時に、その長さ以上に解けないように固定します。この繰り返しです。ほぼろ製作講習会に参加された方々がすぐにワラを編めるように、60個の「駒」すべてに紐を巻き締めておきました。
駒2個でペア、1人3ペアの駒を使用 10人分の駒を準備完了
やれやれ何という不運!少年少女発明クラブの開講式前日、メダカを採ろうと近所の小川を覗き込みながら歩きました。結局のところ、メダカはおらずカワニナをいくつか取って駐車場まで戻りました。ところが、車の左後輪がペッタンコではありませんか。やれやれ、6年ぶりのタイヤのパンクです。
すぐにジャッキと補助タイヤを車から取り出しました。そして、パンクしたタイヤと補助タイヤを交換しました。その間15分位でしょうか。40年来、ほとんどのタイヤ交換は自分でしています。例えば、スタッドレスタイヤは自分で交換しています。
車をジャッキアップして補助タイヤに交換
次の日、補助タイヤを付けたまま田布施西小学校に行きました。少年少女発明クラブの令和四年度開講式に出席するためです。その開講式の祝辞として、子供達の前で今回のパンクのお話をしました。道具を使いこなすことができれば、パンクのようなリスクが将来起きた時に素早く対処ができるとのお話です。そして、工作しながら道具の使い方を体得して欲しいとのお話をしました。
開講式後パンクしたタイヤを見ると、タイヤの脇か裂けていました。これは、パンク修理材では直せません。同じサイズ(165/70 R14)のタイヤを購入して交換するしかありません。やれやれ、1万円 +α の痛い出費となりました。
取り付けた補助タイヤ サイズ165/70 R14 発明クラブ開講式
3月中旬、ナスの種を苗箱に種まきし育苗していました。4月に入って暖かくなったため、大き目のポットに植え替えしました。プロ農家のような立派な温室があるわけではありません。そのため、園芸店で売っているような大苗になるのはもう2週間ほどかかりそうです。五月初めの連休中には畑に植え替えできそうです。そして、苗を待っている方にお渡しできそうです。
苗箱で育ったナス苗を、大き目のポットに植え替え
育苗中のナスを大きめのポットに植え替える前に、植え替え先のポットに培養土を入れました。培養土を入れると、中心部に苗を入れる窪み作りました。良く育っている苗を選んで、箱苗からそっと取り出しました。そして、その苗をすぐに植え替え先ポットの窪みに入れました。根が乾かないようにすばやく移植します。それが終わると、ジョロで根の周りに水をまきました。
ポットに培養土を入れる 育った箱苗のナス苗 ナス苗をポットに移植
移植が終わった13個のポットを畑に並べました。そして、ポット周りに土を寄せました。箱苗には植え替えを待っているナス苗がまだ半分程度残っています。苗の数が13個で足りなくなったら、追加でポットに植え替えようと思います。並べ終わった13個のポットは黒い寒冷紗で覆いました。根が定着したら寒冷紗を取り、日光に当てようと思います。
畑にポットを並べてU字支柱 日陰を作るため黒い寒冷紗で覆う
四月の史跡巡りウォーキングは久しぶりに柳井市伊保庄です。前回行ったのは5年ほど前で、黒島から柳井市街方面に史跡巡りウォーキングしました。今月は、黒島から山近方面を巡って再び黒島に戻るコースです。伊保庄は海岸側の道を通ることは多々あります。しかし、山側の道を通ることは稀です。海を見下ろしながら時には山を見上げながら、史跡巡りウォーキングの下見をしました。
本殿北側に山藍が群生していた大歳神社
黒島の駐車場からすぐの場所に廃寺常念寺のお堂があります。このお堂は、常念寺が廃寺になった時の遺物のいくつかをここに納めたようです。一番目に引くのは、長さ数mの数珠です。玉も直径5cm位はあるでしょうか。その昔、集まった信者の方々が念仏を唱えながら数珠を回したのではないかと思います。その時の記録は残っていないものでしょうか。今回の下見の後半で、廃寺となった常念寺跡を訪れました。
廃寺常念寺のお堂 道脇の二体の地蔵様1,2 屋根付きの地蔵様3
黒島を出ると、舗装道路に出ました。そして、伊保庄の山側を通る新しい舗装道路に出ました。新しい道なのに何故か通行する車が多いのです。帰りがけに、下見したちょうどその日が開通日だったことが分かりました。新しい道をどんどん歩いていると、道に隠れるように二体のお地蔵様1,2が安置されていました。さらに新道を進むと、屋根付きのお地蔵様3が安置されていました。
深い竹藪の中にあった祠 室内に竹が、廃寺浄盧寺
その後、本殿脇に山藍が群生する大歳神社に寄りました。そして、地元の方に運よく案内されて深い竹藪の祠に行きました。あまりに険しく急斜面な獣道のため、本番ウォーキングでは皆さんを案内することができせん。こんな時は下見ウォーキング冥利に尽きます。山近の畑脇で昼食を取った後、廃寺浄盧寺に向かいました。かつては山奥にあったお寺が火災にあったため、この地に下ろしたそうです。管理されていないのか、床には竹が生え屋根裏も落ちそうでした。
下見ウォーキングした柳井市伊保庄黒島~山近周辺
去年、お試しほぼろ製作講習会をしました。その時、参加者自身が必要なワラを選んだり柔らかく加工したりしました。その時、ワラの加工などで時間を費やしてしまいました。その結果をふまえ、五月連休に開催するほぼろ製作講習会では、必要な量のワラを事前に加工しておこうと思います。大量のワラの効率的な加工方法を試行しました。
足踏み脱穀機を使って、ワラの芯だけを取り出す
ワラの芯だけを効率的に取り出すため、足踏み脱穀機を使いました。回転するドラムにワラ束を押し付けて不要なワラ屑を飛ばします。たくさんのワラ屑が出ますので、その屑の捨て場やゴミ処理が必要であることが分かりました。ワラの芯を選別しおわると、水を溜めたタライに沈めます。そして、一時間位浸水しておきます。
ワラの芯が完全に湿った頃を見計らって取り出します。通常ならば木槌で叩いて柔らかくしますが、大量のワラを叩くには骨がおれます。そこで、車を往復させながら湿ったワラをタイヤでひきました。
たくさんのワラ屑 ワラの芯を浸水 タイヤでワラをひく
続いて、柔らかくなったワラを乾燥しました。早く乾燥させるため、風が当たる日向に干しました。時々上下をひっくり返しながら天日干しすると、天気が良いと半日くらいで乾きます。
最後にほぼろの大きさに合わせてワラを押切で切りました。ワラの穂側を切りそろえます。なお、ほぼろの大きさが決まっている場合はこれで良いのですが、決まっていない場合は編んでから切ってもかまいません。講習会参加者がすぐに編み始められるように、さらに工夫しようと思います。
風通しの良い場所で天日乾燥 ワラの穂先を切りそろえる
この史跡巡りウォーキングも最後になりました。そして、最後の道筋でもたくさんのお地蔵様に出会いました。この室積は特別なのか、他地区と比べてお地蔵様がとても多いように思います。以前、室積海水浴場沿いの街道を史跡巡りした時も、数十mごとにお地蔵様が安置されていました。それだけこの地域は歴史が古く、信心深い人が住み続けてきたのでしょう。それがよく分かるのは、古道にはお地蔵様が多く安置されていますが、最近開発された団地などではお地蔵様を見かけません。
大隅稲荷社の百個近く並ぶ真っ赤な鳥居群
光寿苑を左に見ながら歩くと、真っ赤なたくさんの鳥居が見えてきました。鳥居前に着くと大隅稲荷社と分かりました。稲荷神社は真っ赤な鳥居が本殿までたくさん並んでいます。この大隅稲荷社は入口が三ヶ所あり、三ヶ所から真っ赤な鳥居が本殿まで続いています。そもそも稲荷社はなぜこんなに鳥居が多いのでしょうか。
大隅稲荷社傍の地蔵様24 屋根付き地蔵様25 道角の地蔵様26
真っ赤な鳥居をくぐり本殿に行きました。そして、鳥居を反対側に抜けて大隅稲荷社から出ました。ところで、鳥居は鉄製なのか錆びて倒れそうな鳥居がいくつかありました。このままで10年以内には倒れる鳥居もあると思います。今後ちゃんとメンテナンスできるかどうか心配になります。別の稲荷社のことですが、将棋倒しに倒れている鳥居を見たことがあります。
屋根付き地蔵様27 座像の地蔵様28 最後に見た地蔵様29
大隅稲荷社を出ると古い街道を西に向かいました。その後も、数十mごとにお地蔵様が安置されていました。室積に限らないのですが、お地蔵様の言われを知らない方が多いことに気が付きます。その土地で生まれ育った方(主に男性)に聞くと分かることがあります。しかし、よそから嫁いできた方や引っ越して来た方はご存じない方が多いです。今の時代、仕方がないことなのでしょう。
その後どんどん歩いて、お地蔵様24から最後のお地蔵様29までお会いしました。そして、出発地点に戻りました。今回の史跡巡りウォーキングに参加された方々、お疲れさまでした。次回は柳井市伊保荘の山側の史跡を中心に巡ります。
光市 室積の西ノ庄,東ノ庄史跡巡りウォーキングのコース
最後に電源周りの回路を調べてみました。整流管は懐かしい12Fです。この真空管は、私が中学生の時にスタンダードな半波整流管でした。直熱管で、電源が入るとほのかにヒーターが赤熱します。10分程度経つと真空管は暖かくなります。昭和30年代、火鉢しかない私にとって密かに手を温める暖房でした。そこが、真空管が好きな理由の一つです。
さて、整流周りの回路で特徴的なのは、巨大な箱型平滑電解コンデンサです。四端子の電解コンデンサでした。子供の頃、この箱型電解コンデンサを分解し、巻かれた茶色の油紙に挟まれたアルミ箔を取り出して遊んでいました。
懐かしい半波整流管12F、直熱管のほのかな赤熱が暖かい
このラジオの平滑回路は極めて平凡でした。整流時の波形を平滑するために、チョークではなく抵抗が使われていました。配線を調べていると、人が手を加えられたことが分かりました。その一つが、平滑用電界コンデンサです。端子の一つが切断されていました。ショートしたか容量低下したのではないかと思われます。箱型の平滑コンデンサの容量は、初段が6μFで平滑抵抗後の2段目が4μFでした。容量が低いのでハム音が大きかったのではないかと思います。この平滑コンデンサは廃棄します。新しく購入して、かつ容量の大きいもの(10~30μF 耐圧350V)にしようと思います。
平滑回路部の配線 切断された平滑コンデンサ端子
回路図を調べていますが、私が中学生の頃に作った並三ラジオより古いようです。そのため、特にコンデンサ類は容量が低いにも関わらず大きいのです。容量も減っているかも知れないため、すべてのコンデンサは新しいものに交換します。なかでも困ったのは、大きな箱のような形をしている四端子平滑用電界コンデンサです。箱型の電解コンデンサはもう売っていないと思います。そのため、円柱型の電解コンデンサに取り替えます。
これで、回路図を調べ終わりました。シャーシ内の素子をいったん全て取り払って綺麗に掃除します。そして、あらためて抵抗やコンデンサ類を取り付けようと思います。仕事の合間の気が向いた時に、のんびり作業しようと思います。
電源部の回路、真空管12Fによる半波整流と平滑回路
ほぼろを作るための治具である「馬」を作っています。去年、ほぼろを作った時の経験を生かして簡単に組み立てできるように、さらに折りたたみできるように工夫しました。馬は四本の脚を広げているため運搬時に不便です。特に車に出し入れする時に脚が引っかかるのです。そのため、今回は足の根元が折りたたみできるようにしました。これで、郷土館以外にも容易に運搬できるようになりました。今後、ほぼろを公民館など外部で講習会を開く時に役に立つと思います。まだまだ工夫の余地があるため、今後追加製作する時はより小さく畳めるように工夫しようと思います。
車に載せやすいように、折りたたみ可能な「馬」
今回追加製作した馬は5個です。これまで作った馬と合わせると11個になります。なお、伝統的な古い馬が2個あるため合計13個の馬があります。この5月連休中の講習会に8人募集しますので、数的には十分です。教える私の分を除くと、最大12人を教えることができます。ベテランは一日に一つのほぼろを作ることができますが、初めての方は少し厳しいです。早くできるための工夫もしようと思います。
馬の背中を固定する板 脚を固定する板 馬の脚を製作完了
馬を構成する板はすべて木工ボンドと木ネジで固定しました。木工ボンドでは強い力が加わると外れるリスクがあります。そのため、木ネジでさらに強く固定しました。板自体が割れない限り傷むことはありません。これで馬が完成しました。次に、編むために必要な駒を追加製作しようと思います。
背を固定する板の取り付け ネジを回して背を固定
光市室積西ノ庄~東ノ庄の史跡巡りウォーキングも後半になりました。今回は、日差しも良くたくさんのお地蔵様に迎えられるウォーキングでした。お地蔵様の姿や表情が様々です。私は下見の下見を経て何度も見たお地蔵様でしたので、「また会いましたね。」程度の感覚でお地蔵様を見ました。今回初めてこの地域をウォーキングした仲間たちは、次から次へ現れるお地蔵様をどんな感じでお迎えしたでしょうか。
光寿苑を目の前に、とても立派な屋根の地蔵様23
しばらく坂を登ると長安寺に着きました。とても立派な山門でした。予定時間が少なくなっていたため、山門を仰ぎ見るだけにしました。長安寺を過ぎて西に向かって歩いていると、側溝の横に小さな座像の地蔵様19が安置されていました。続いて、街の道を左右に曲がりくねりながら歩いていると、二体のお地蔵様20,21が細い道に面して行儀よく安置されていました。帽子も前掛けも元々は赤かったのでしょうが、長い間風雨に当たったのか白く変色していました。
立派な長安寺の山門 側溝傍の地蔵様19 二体の地蔵様20,21
二体のお地蔵様20,21のすぐ傍は、広い舗装道路が走っていました。左右から来る車に注意しながら道を横断しました。この付近で、一瞬道を度忘れしてしまいました。こっちかなと不安になりながら細い道に入りました。この道で正解でした。しばらく歩くと、不思議な場所に到着しました。低い屋根瓦塀に囲まれた、その昔はお堂があったと思われる場所です。仏教ののような神社のような不思議な場所でした。近くに人がいなかったため、何の場所か聞けずじまいでした。
低い屋根瓦塀に囲まれた空間 妙宝寺に向かう道脇の地蔵様22
不思議な場所を過ぎると、妙宝寺に向かう緩い坂道を登りました。その坂道の途中にお地蔵様22が安置されていました。そのお地蔵様22を拝むと、来た坂道を少し戻って特別養護老人ホーム光寿苑方面に向かいました。光寿苑を目の前にして、とても立派な屋根のお地蔵様23が安置されていました。最近屋根が建て替えられたようです。
光市 室積の西ノ庄,東ノ庄史跡巡りウォーキングのコース
四月に入りどこも桜が満開です。通勤中に田布施川を通ると、これまた桜並木が満開です。交流館周辺の駐車場はどこも満車に近い状態です。たくさんの家族連れが桜並木を堪能していました。例年ならばさくら祭りでさらに賑わうのですが、今年もコロナ禍でさくら祭りはありません。静かな賑わいでした。我家の裏山も桜が満開です。散った花弁がちらほらと我家の窓内に迷い込みます。数日後にベランダや玄関前は花弁の絨毯になります。一年のうちの一瞬の出来事ですが、桜が咲くと今年度の始まりを意識します。
我家の裏山、亡き父親が四十年位前に植樹した桜が満開
満開なのは桜だけではありません。そろそろ散り始めたボケ、黄色の花が遠くから目立つレンギョウ、ボケと入れ替わりに咲き始めたハナズオウの紫色の花弁。ハナズオウはマメ科なので、桜のような花弁と形が違います。豆特有の花弁です。また、椿もまだまだ咲いています。椿の樹下を見ると、花弁がたくさん落ちています。
散り始めたボケ 咲き始めたハナズオウ 黄色が目立つレンギョウ
実がなる樹も満開になりました。美味しい桃は桜よりもピンク色が濃いです。花弁の大きさも桜より大きいです。桃よりも実が小さいスモモも満開です。スモモは花弁が小さく色が白いのでそれほど目立ちません。桃の実は甘い匂いが虫を引き付けるようです。そのため、袋掛けしないと必ず虫が穴を開けます。スモモは袋掛けしないでも実を収穫できます。世話いらずです。
初夏になれば美味しい桃やスモモを収穫できます。楽しみです。
大きくピンク色が濃い桃の花 小さく目立たないスモモの花
コロナ禍がまだ治まらない昨今ですが、今年度も地元小学校で放課後学習があると思います。そのため、私が教えている「手芸と料理」コースの年間計画を立ててみました。まず、手芸を何にするか考えました。去年と同じテーマでは子供達に飽きられてしまうかも知れません。そのため、今までにないテーマ「ペットボトル用の布ケース」を作ってもらおうかと考えました。難しさの程度を知るため、まず自分で縫ってみることにしました。
低学年にはやや難しいか?ペットボトル用の布ケースを試作
ペットボトルの布ケースを作るにあたって、対象のペットボトルを決めました。「大は小を兼ねる」とばかりに、円柱形の大き目のものにしました。そして、そのペットボトルに合わせた型紙を作りました。型紙は三種類に作りました。一つ目はペットボトルの側面です。長方形です。二つ目はペットボトルの底面です。円形です。三っつ目は底面にのりしろ部径1cmを加えた円形です。三っつ共にのりしろ部や紐を取り付ける部分を考慮した大きさです。切り取る布は二枚で、一つ目と三つ目の型紙を使います。
三つの型紙を作る 型紙に合わせて描く 底面用の布を切断
子供達には手縫いで教えますが、試作品のためミシンを使いました。最初に、側面になる布を加工します。ペットボトル布ケース上部の口を絞るための紐を通す場所です。紐を通す入口と出口を畳んで縫いました。次に、紐を通すため側面布の上部2cmを折り畳んで縫います。これで、紐を通す袖部ができました。次が、一番難しい箇所です。ペットボトル底部になる円形の布とペットボトル側面になる布を合わせ縫いします。筒になるように縫います。のりしろ部に沿いながらミシンで一針一針注意深く縫います。
側面の紐を通す袖部を縫う 底部と側面を合わせながら縫う
ペットボトルの側面になる布と底部になる布を縫い終わると、側面を閉じる部分が余ります。その合わせ面を縫い終わると出来上がりです。あとは、ペットボトルの口部を絞るための紐を袖部に通します。紐の色は子供達に選ばせようと思います。紐を通すと、紐の端を結んで完成となります。
試作してみた結果、側面と底部が筒になるように合わせながら縫うところがやはり難しいです。友達のお孫さんである五年生に見せて、作ってみたいと思うかどうかで採用可否を決めようと思います。
筒状になった布 側面を縫って出来上がり 紐の色を選ぶ
妙宝寺を出て、東に向かって歩きました。時間が少なくなったため、下見で訪れた大峰峠方面への峠道には行きませんでした。正面にかんぼの宿 光が見え始めた頃、右手にお地蔵様10が見えました。近くに寄って拝顔させていただきました。続いてさらに東に進みました。かんぽの宿光を過ぎてしばらくすると、水神様の石柱がありました。ここは谷になっており、小川の水がちょろちょろ流れていました。大雨で水害が発生した場所なのかも知れません。さらに進んで道を逸れたころにお昼の時刻となりました。土手横に並んで座って海を遠望しながら昼食休憩をとりました。
眼下に国道188号線,周防灘,象鼻ヶ先などを遠望しながら昼食休憩
先月の柳井市大畠史跡巡りウォーキングは、雪が降る中でブルブル震えながらの寒い昼食休憩でした。しかし、今回は日差しも暖かくポカポカ暖かい休憩でした。ないだ海を見下ろしながら昼食休憩しました。楽しく談笑したため、ちょっぴり出発時間が過ぎてしまいました。
道脇の地蔵様10 谷間の水神様石柱 東ノ庄東端の地蔵様11,12
楽しい昼食休憩が終わると、重い腰を上げました。そして、東ノ庄東端の二体のお地蔵様11,12に向かいました。手作りと思われ波板屋根の下に安置されていました。そして、綺麗に管理されていました。さて、ここからは西に向かいました。いったん国道188号線に出ました。しばらく歩いて、国道から脇道に入りました。
大小四体の地蔵様13~16 座象と立像の地蔵様17,18
家と家の間をくぐり抜けるように歩くと、大小四体のお地蔵様13~16が背の順に並んで安置されていました。赤い帽子と白い前掛けが印象的です。続いて、道を縦横に歩くと二体のお地蔵様17,18が安置されていました。興味深いことに、コンクリート壁がお地蔵様17,18に合わせて窪んでいることです。この地域の方々がお地蔵様を大切にしていることが分かる窪みです。
光市 室積の西ノ庄,東ノ庄史跡巡りウォーキングのコース
低周波増幅する真空管(3YP1)周辺の回路を調査しました。その結果、マグネチック型スピーカーが使われている以外は標準的な回路でした。変わっているのはヒーター電圧が2.5Vの真空管(3YP1)位でしょうか。ヒーター電圧が2.5Vの真空管と言えば2A3位しか知りませんでした。後継が6ZP1なので、一世代古い真空管ではないかと思います。
LEDランプや虫メガネを使ってシャーシ内の配線を調査
この真空管ラジオのリバースエンジニアリングが難しいのは、配線がとても雑で汚れているためです。さらに、抵抗やコンデンサの値が経年変化で読めないこともあります。抵抗は仕方なくテスターで測定しています。コンデンサは測定しようがないため、全てを交換する予定です。この高一並三の回路構成は、当時としては進んだ回路だったようです。それまでは並三が中心的な回路だったようです。その後、優秀な五極真空管が開発されたことによって高一並三に置き換わっていったようです。
低周波増幅真空管(3YP1)周りの配線
私が子供だった昭和三十年代は、より進んだ五極スーパーが標準回路になっていました。でも、中学校での技術家庭科では並三回路を組み立てました。五極スーパーより並三の方が習得しやすかったからでしょう。
しかし、その頃になるとトランジスタに置き換わり始めました。私が初めて手にしたトランジスタは、切手を同封して通信販売で手に入れた2SB111でした。300円位だったでしょうか。豆粒ほどのトランジスタに感動を覚えたことを記憶しています。しかし、真空管が電圧バイアスに対してトランジスタは電流バイアスです。その考え方の切り替えがうまくできず、当時使いこなせなかったように記憶しています。
低周波増幅真空管(3YP1)周りの回路図
この5月連休中、ほぼろ作りの講習会を郷土館で開催します。実は去年の5月に開催を予定していましたが、コロナ惨禍で中止になりました。仕方なく畑でお試し製作してみました。つまり、去年できなかった講習の再開です。
去年ほぼろ製作に使う「馬」と呼ばれる治具を製作しました。しかし、数がぎりぎりなので今回五つ追加製作しました。去年試行錯誤しながら作ったため、作り方はそう困難ではありません。DIYのお店に行って必要な木材や木ネジなどの材料を購入しました。そして、馬の製作に取り掛かりました。
伝統的なほぼろ、そして現代風のほぼろ
ところで、ほぼろについてです。伝統的なほぼろは、上に開く笠のような形をしています。そして、片方がより開いています。そして、肩に掛ける長い紐が二本ついています。しかし、この伝統的なほぼろを作ることができる方はもういないのではないかと思います。
今、ほぼろは伝統的なものから現代風に形が変わってきています。籠に近い形に変化したと言っていいでしょう。小物を入れたり運んだりする籠として便利に使えます。素材がワラですので、環境に優しくリサイクル可能です。柳井市の日積や伊陸で見かけたほぼろも現代風な形をしています。ちなみに、ペットボトルを包むほぼろは私が考案したものです。
馬の脚を支える部分 脚を作るための木 脚を取り付ける
さて、馬を作るための木材を次々に加工しました。木材の大きさ、長さ、加工方法、組み合わせ方も決めています。図面や作り方は頭の中にあります。今回は馬の前後となる脚を作りました。次回は馬の背中の部分を加工して取り付けます。そして、紐を縛る位置決めにする刻みを入れれば完成となります。作り方を忘れないように、講習会の前にほぼろを一つ作っておこうと思います。
脚の部分を木ネジで固定 馬五個分の脚を完成