コロナが明けて久しぶりに東京お茶の水に行きました。お茶の水にある病院で人間ドッグを受けるためです。コロナ前には毎年行っていました。五年ぶり位でしょうか。お茶の水は、昭和40年代私が学生時代に拠点にしていた場所でした。当時学生街と呼ばれていました。明治大学,中央大学,日本大学,専修大学など、また女子大もありました。
また、学生でありながらジャズを演奏していた関係で、同僚とこの近くの楽器店にも入り浸っていました。お金のない学生でしたので、楽器はとても買えませんでした。しかし、見るだけでも楽しい楽器店でした。当時の下倉楽器店は今でもあります。またレコードをよく買っていたDisk Unionも健在でした。
学生時代うろついていた神保町の古本屋街
JRお茶の水駅を出るとそそくさと歩いて病院に行きました。私が学生時代は確か古めかしい病院でした。50年位前の事ですが、私の友達が入院したため見舞いに行きました。50年後この病院に人間ドッグで来るようになろうとは当時は思いもよりませんでした。
2時間位の検査でした。今回はあらたに脳のMRI検査を受けました。巨大なドーナツ状の筒に頭を入れました。ギンギンガンガンする音がしましたが、次第に眠くなってしまい。肩を叩かれて目が覚めました。後日結果を送ってくるとのこと。
人が多いJRお茶の水駅 人間ドッグを受けた病院 受験した明治大学
人間ドッグが終わると病院を出ました。時間があるため懐かしいお茶の水街を歩きました。明治大学が近くにありました。古い建物はもうありませんでした。実は53年前この大学を受験しました。ところが、とても寒くて体調を崩してしまいました。何と鼻血がポタポタと止まらなく受験どころではありませんでした。拭けば拭くほど解答用紙が赤く染まってしまうのです。気が動転してしまいました。当然ながら受かりませんでした。そんな淡く辛い思い出です。
神保町古本屋通り 校舎が立っていた場所 日本大学の校舎
実はその頃日本大学に入学が決まっていたのです。さらに下宿先も決まっていたのです。しかし、何か納得できず別の学校に入りました。関係した方に大迷惑をかけました。日本大学の一年分の学費をすでに納めていたため、日本大学の金ボタンと帽子、学生服などが送ってきました。そのため、一年間は日本大学の学生でもあったのです。
今、大学の学費はとても高価です。しかし、当時の学費は年間20万円位でした。アルバイトで稼ぐことができるお金です。アルバイトで稼いだお金で学費を払った友達がいました。ところで私が通っていた校舎は跡形もありませんでした。
懐かしいお茶の水、神保町、秋葉原を巡る