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おもしろがる、不思議がる教師への道

2006年12月01日 | 雑記帳
 『児童心理 2005.6』(金子書房)の冒頭論文で、奈良正裕氏(上智大学教授)は次のように書いている。

 上手にいい点数を取ることに焦点化された形式的な学びへの意欲から、子どもの求めとの関係や学習内容それ自体のおもしろさに支えられた実質的な学びへの意欲へと、その質を転換することが重要だ

 もっともなことである。
 そして奈良氏は、「具体的な手立てはたくさんある」が、肝心なのは「教師をはじめとする大人」の意識の問題だという。

 子どもたちが実質的な学びへの意欲を沸き立たせ、どこまでも主体的に学び続ける教室の中心には、常にあらゆることを好奇の目で眺めてワクワクし、自らの納得がいくまで追究の手をゆるめない先生がいる

 この文章は確かに一つの理想だろう。
 しかし現実的な運用(姿というべきか)が、現場人の発想である。
 それは、やはり特定の教科なり、学級経営のある手法に絞るべきではないか。
 そうでなければ、少なくても初等教育ではパンクの状態と言える。

 ある教科を軸にして、担任の「おもしろがる姿・不思議がる姿」があれば、子どもたちの意欲を高めていくに違いない。
 そして、これもある面では計算された形で実現されなければならない。
 それが授業づくりというものではないのか。
 限られた時間でどれだけの追究ができるか…
 全員に身につけさせたいことを、どんな手法を使って行うか…
 考えるべきことが数々あって、おもしろがるどころじゃない!

 いいや、ここはやはりおもしろがり、不思議がってみせなければならない。
 これはけして表面的にということではなく、
 そうした姿を数段階で持っていることが理想と思う。
 言ってみれば、
 教師自身がおもしろがる、不思議がる教材との出会い、葛藤
 教師自身がおもしろがる、不思議がる課題、問いかけの選択、創造
 そして、子どもの発想、発言、行動をおもしろがる、不思議がるという感性

 すべてが無理なら、どこかに特化しても構わない。
 そんなふうに、道を探っていくことだ。