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「知を育てる」ことへの挑戦

2006年12月16日 | 読書
 作家藤原智美氏のノンフィクションが結構好きである。
 『プレジデント』誌などで氏の書く記事が取り上げられるときは、目を通すようにしていた。
 その藤原氏の『「知を育てる」ということ』と題された本がプレジデント社から発刊された。
 雑誌に書かれたものを中心にまとめたようである。

 メソッドを選ぶ
 学校を選ぶ
 言葉を選ぶ

という三部構成となっていて、それぞれが四章に分かれている。
 訪問した学校のルポを中心としながら、現代の教育を巡る世相に切り込んでいる。

 都会在住のある程度の富裕層が手にできる学校選択のための参考書という見方もできるかもしれない。
 なにしろ、本の帯には発刊社が同時刊行する家庭向け教育雑誌の名も書かれているほどだ。

 東北の山深い田舎に勤める者としては、その現実にやや唖然とした心持ちでいるのだが
 取り上げられた学校で育つ子も、私たちの学校で育つ子も同時代を生きることにはかわりなく
 肝心の大人が現実に目を背けてはいけないだろう、と考えている。
 同時に置かれている立場での、将来的な展望も必要なはずだ。

 そうした思いを抱きながら、それ以上に目先のこと?として書かれてある実践への興味がふつふつと湧いてくる。

 特に、国語辞典を一年生から活用させた愛知の深谷実践
 それから、京都・御所南小学校の総合での「書く」という活動の濃さ

 これらはある程度自分も手を染めたことがある内容なので
藤原氏が描写する文章によって姿が想像され、その凄さが伝わってくるようだった。
 先日読了した『脳と音読』に書かれていた内容ともリンクするのだが
藤原氏はこんなことを書いている。

 いまの教育は、子供に無理なく段階的に教えていくという考え方に執着している

 もしかすると、いまの教育は詰め込むべきその時期を逃しているのかもしれない。

 この考えにそって広範囲にわたる内容や活動の全てを吟味することはできないかもしれない。。
 議論しても正解はでないだろう。

 だから現状維持なのか、だから挑戦してみるのか

 どちらがよりエネルギーが強いか、それは自明のことであり
子どもに対する影響力に差がでてくることは間違いない。