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不透明な時代には「自信」

2006年12月30日 | 雑記帳
 篠田新潟市長と大森修先生の「往復書簡」は
「学校マネジメント」誌(明治図書)で連載されていたので
ふむふむと思いながら読んでいた。

 その連載をもとに、『新潟の教育』という単行本が発刊された。
 東北大の横山医師も交えた鼎談なども収録されている。
 辛口の論者なので、量的には少し不満だがなかなか面白い内容だ。

 タイトルだけをみても、かなり刺激的ではある。
 例えば教育委員会に関わる表現として…

 首長が、教育委員会に任せておくだけの時代は終わった

 説明責任の能力の低すぎる教育委員会

 現状の教育委員会では新しい教育ビジョンを推進できない
 


 現場の職員として、これらの警句をどう受けとめるか…
現実の立場として難しい問題ではあるが、
そもそも教育委員会そのものについて現場の私たちはどれだけの知識があるのか。

 かつて自分が書いたことがあったと、思い出した。

 あれから、5年。
 やはり、時代は動き出している。
 そして、学校教育とそれを取り巻く環境は変わったか。
子どもの実態、職員の意識、保護者の考え、行政との関係…
 確かに、大きく動いたこともあるし、案外そうでないこともあるなあと思う。
 この先、大きく動きそうな気配もあるし、固執していくこともあるだろう。

 5年前の自分の少し熱のこもった文章を読みながら
この不透明な現実と先行きに向かっていくために必要なものは
やはり「自信」なんだと、肯いてみる。

 であれば、自信をつくりだすことをやってきたか…
と振り返ってみたい年の瀬である。