すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

最も古くて根っこにある言葉

2007年07月02日 | 読書
 いつも書いてきた、何度も書いてきたように思う。
 それほどに強いことばを発するのが、私にとっての「むのたけじ」である。

 むのたけじが新刊を出した。
 『戦争いらぬやれぬ世へ』
 「むのたけじ語る 1」とあるのでシリーズ化されるのだろうか。齢九十を超えても、その炎は燃えている。

 語り言葉を大事にするむのは、書こうとすることを録音テープに吹き込み、検討を加えながら文章にするという。それは、語り言葉が「最も古くて根っこにあるもの」だからであり、「表現の土台」として大切にしているからだ。

 農耕が生まれた一万年前、食料が富になり、富が権力となり、国家となり戦争が始まった。それ以前は互いに助け合うことでしか生き延びる術がなかった人間であったが、農耕という食料自給の革命により移動生活から解放され、同時に深い課題を抱えたのである。そして、言語に関わる大きな変化も生まれたという。
むのはこう書いている。

まさにそういう戦争の始まりと平行或いは重なり合うようにして書き言葉=文字が登場した。むろん人の世の状態がそれを必要としたからにちがいない。声帯では間に合わない複雑で多量の言語表現が必要になった。長く記録する必要や広く命令などを通達する必要なども発生したにちがいない。始まった戦争と生まれたばかりの文字が互いに影響し合ったに違いない。ともあれ、最も喜ばしい福音であったはずのものが最も無残な罪悪を誘発したこの万世紀を私たち現代人はどう受けとめるか。
 
 声だけで意思を伝え合う時代では単なる諍い、争いで留まったものが、文字という手段が広まることによって、組織化され拡大していったという見方もできるのかもしれない。
 文字であれ、電気であれ、インターネットであれ、画期的な発明や革新がもたらす功罪について、我々はもっと目をこらさなければいけない。
 そんな些細なことで何が変わるものか、と笑うなかれ。そういう営みの積み重ねが未来を作っていくと信じたい。

 むのは「車座」での講話にこだわっていた。
 それは「語り合う」ための姿だからと言っていいだろう。
 ふと先日見たテレビドラマの最終回と重なる。いじめを巡る一種の学園物であるが、その学校が再生しようとするとき、どの学級でも行われた道徳の時間にそれまでとは違った車座での形で生徒の発言が続くシーンがあった。それは、やはり語り合いの大切さを象徴するにふさわしい設定なのである。
 教室の黒板に大きく書かれた語り合いのテーマは、むのが見ていたら笑顔で肯くに違いない言葉だった。

 「世界を変えることは、できますか?」