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無敵パワーの弱まる現実

2007年07月12日 | 雑記帳
 朝のテレビニュースを見ていたら「無敵パワー」というキャッチフレーズをアナウンサーが言った。
 何を想像させたいのかと画面に目をやると、ある女流カメラマンの写真展。
 テーマになっているのが、「小学生男子」である。

 「小学生男子」の「無敵パワー」の様子が、生き生きと写し出されていた。
 ふざけたつくり顔をする子、カメラに向かって何かを投げつける子、変なポーズで遊んでる二人…
 関西地区の都市部らしいが、なかなかの出来ばえであることが画面を通しても伝わってきた。

 さて、小学生男子と無敵パワー。結びつきがわからぬわけではないが、身の周りの現実はどうだ。
 最近、私が籍をおいた小学校ではとみに女子の活躍が目立つ。校内生活でも圧倒的に女子優位と感ずるのは、私だけだろうか。先日も職場でそんな話題が出たばかりだ。(世の中全体にそうだと言ってしまえば簡単なのだが)

 テレビの中の言ってみれば「馬鹿らしい」(アホらしい)姿が、無敵パワーと考えると、学校という機関はどうもその馬鹿らしさに歯止めをかけてきたように思う。「くだらない」「何やっているの」という言葉とともにおふざけ姿は徐々に表面化しなくなった。

 それは明らかにパワーをなくさせる行為であったこと。いわばオスとしての勢いがそこで止められてしまったと言えばいいすぎだろうか。
 それが、学業や生活全般に何か影響はしていないだろうか。
 馬鹿げたことをやっているエネルギーは、放出されるだけでなく内なるエネルギーとなって再生産され、それが勉強する力だったり、スポーツをする力になったりしたのではないだろうか。

 かつて車に石を投げつけたりする悪ガキどもの姿はなく、知らない車が近づいてくるとおびえてふるえているような小学校男子が多くなってきた。そのうえしっかりナンバーなどを覚えていたりする。
 無敵パワーとはあまりにもかけ離れた現実を、どう受け止めるか。
 もっと真剣に考えてみなければいけない。