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痛快!石川くん

2007年07月09日 | 読書
 と言っても、あの「ハニカミ王子」のことではない。
 私の知り合いの石川という人のことでもない。

 特殊歌人?枡野浩一のエッセイ集『石川くん』(集英社文庫)を読んだ。
 2001年に「ほぼ日」ブックスとして単行本として発刊されたらしい。
 さすが「ほぼ日」である。さすがの枡野浩一である。
 四コマ漫画や名作といわれる映画、小説、芝居などの「短歌化」で、笑える才能を持つ枡野の真骨頂が発揮されている本である。

 取り上げているのは「石川くん」。
 つまり?石川啄木。
 あの啄木の短歌を「短歌化」いや「現代語訳」そうでもない、言ってみれば「枡野化」しようという試みなのである。

 啄木については、教科書程度の知識しか持ち合わせていない自分にも十分楽しめる。
 たとえば、誰でも知っているあの歌

 たはむれに母を背負ひて
 そのあまり軽きに泣きて
 三歩あゆまず

は、こう枡野化されている。

 冗談でママをおんぶし
 あまりにも軽くてショック
 三歩でやめた

 多くの設定は、啄木の歌や歩んだ人生を現代に置き換えたような形で茶化すというパターンではある。それゆえ啄木ファンや岩手を愛する方々には顰蹙ものではあろうが、実に伸び伸びとあっけらんかんと書かれてある。
 枡野化された歌と、「石川くん」に宛てた手紙文形式のエッセイがセットになって10回分、そして最後につけられた啄木の年表(もちろん解説つき)がまた笑える。

 この痛快さは何かと考えてみたとき、二つのことが浮かんだ。
 一つは、古語、文語の持つ意味の大きさを現代語訳として歌にするには、思い切りが必要だということ。それはかなり限定された解釈という危険性を伴うのだが、本質をとらえないと響かないだろう。
 もう一つは、これは改めて思うことだが、権威のある世間的評価の高いものを鵜呑みにしないことである。啄木もいわゆる「薄幸の歌人」的な見方が強いはずだが、その生活や行動たるやだらしなさを絵に描いたような人生であるようだ。「はたらけど」の歌は実に有名であるが、実は啄木はあまり働いていないという事実に改めて気づいたりする。

 これは、新しい形の評伝だなと感じた。
 枡野の手法の斬新さもあるし、正直その徹底的なこき下ろしぶりによって、啄木の魅力がまた増したような気にもなっている。
 よくある肖像写真への落書きも、巻末にあるゆえかことさらに可笑しい。