すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

自分にとっての夏河を越せ

2007年07月23日 | 雑記帳
 夏河を越すうれしさよ手に草履


 かつて6年生の国語教科書に載っていた蕪村の俳句を終業式で紹介し、全校児童で暗唱してみた。草履を見せながらその情景について簡単に説明したが、今どきの子どもたちにぴんとくるものではないかもしれない。
 それでも、この句のもつうれしさは夏にぴったりという気がしたので、気持ちを込めて筆で書き詠んでみた。

 そのかいあってか?夕方からの学期打ち上げ懇親会で、その俳句について少し話題になった。
 その句を詠むと、自分にとっての川が浮かんでくるという職員もいた。
 ある程度の年配であれば、誰しも川に足を入れた感触を忘れずにいることと思う。

 身近にある自然で、川の持つ記憶は大きいものだ。
私自身、裏手に川のある家に育ったので、ずいぶんとお世話になった。つりの趣味を持つまでには到らなかったが、ごろごろとした石の感触を感じながら毎年川遊びをした。
 小学校高学年の頃だったろうか、堤防が整備され降りていくことができなくなったのは…
 そんなふうに、失われた自然体験について今さら語ってもと思う気持ちを持ちながら、結構川にまつわる話題はつきなかった。

 さて、この句のもう一つの読み取り方は「夏休みを越す」ことではないか、とふと寝床で考えた。
 今まで履いていたものを脱ぎ去って、休みという時間、空間を満喫するというふうなコジツケもできるなあ、などと思った。
 手にした草履の汚れに目がいく人もいるだろうし、草履などに目もくれず越していく人もいるかもしれない。
 いずれにしろ、「うれしさ」が欲しい。

 この夏が終わったとき、うれしさをいくつ数えることができるか…。
 それは子どもも大人も同じだ。
 そのためには動かなければ…そんなふうに感じさせる季節が、夏だ。