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「結果をそろえる教育」だと言うのか

2007年12月17日 | 雑記帳
 先週の研修会で聞いた講話の中に、考えさせられる言葉があった。
 講師は県都に勤めておられる学校長で、県内ではいわば実践肌の校長として著名な方と言っていいだろう。
 配布された資料の中にも同様のことが書いてあったので、そこを抜書きしてみる。

 ・・・その子の持っている個性や能力に応じないで、結果をそろえる教育がはびこってきました。このような現象の始まりの時期は、小学校で「児童会長」が無くなり、代表委員会によって「回り番」で物事を進めながら、リーダーを育てずに、教師がその役割を奪ってしまった時期と一致します。

 私がずっと勤めてきた小さな町でも、ほぼ同じ頃にその「始まりの時期」があったろう。振り返れば、昭和62年か63年だと思う。「児童会長」という名称がなくなり「運営委員会」「企画委員会」という名称で、数人によって会を進めていくように切り替わった。学級でも委員長という呼び名ではなくなった気がする。

 この流れに対して当時の自分はどうだったのか。
 むろん、賛成だった。多くの子に役割を体験させよう、経験させようという意図に異論はなかった。特別活動の目標に照らし合わせても、そのときはそれで妥当だと考えていた。
 しかし、現実に中学校には生徒会長が存在し、様々な場でリーダーが必要であり、皆を牽引していく力や技能に長けていることはその条件になっているのだった。
 そういう意味での養成は明らかに後退したわけだ。

 では、現場の誰かの発案で児童会長がなくなったのだろうか。そうは考えにくい。特別活動という領域の中の一つの考え方として広まったものだろう。そして、それは段階的な姿として積み上がらなかったということなのだ。
 それはそうだろう。現実社会とかけ離れた姿なのだから…。
 現実に近い上級の学校は、理念は示されても機能させなかっただけだ。

 問題提起もされずに、ずるずるとそうした「個性」は育たずに時が流れた。
 この失敗を私たちはどう見ているのだろう。いや、見えているのか。
 復元させる手立てなど考える以前の問題か。
 そしてこのことは特別活動で顕著であるが、これは教科学習の部分にも共通するかもしれない、という思いも湧き上がってくる。

 講師は、こう記す。

  「結果をそろえる教育」

 そう思って実践してきた者などいないだろう。
 しかし、履修主義に染まってきた学校は、誰が何を習得できたかへ大きくシフトしない限り、その批判を免れることはできない。