すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

陥穽から風穴をさがす…3

2007年12月30日 | 雑記帳
 参加しているMLで「通知表」のことが話題になった。
 いわゆる所見欄のパソコン記入が許可されているかどうかということが発端だった。
 この問題は、おそらく「情報管理」と「伝達方法による保護者の心証」がポイントになるだろうと以前から考えていた。

 しかし、それ以上に本質的なことは「何のための通知表か」という点である。

 学校から保護者に対して、「通知・連絡」が必要なことは言うまでもないし法的にも定められている。
 ただそれが「通知表」という形式に拠るということは示されていないのである。
 とすれば、それは学校裁量であり、様々な形式・内容が検討されていい。

 が、現実にはそういう余裕がないことは自明である。
 慣例化していることを大きく見直すだけの、時間的な余裕そして精神的な余裕…

 いや、それは言い訳だ。
 結局は、ビジョンでありそれを組み立てる戦略の無さなのである。
 「出口を変えることの有効性はかなり高い」とずっと前から思ってきたのではなかったか…
 明確な課題として浮かび上がらせなければならない。

 ともあれ、MLでの情報提供で大きな学びが二つあった。
 一つは紹介された坪田先生のサイトの文章である。さすがとしか言いようがない。

 もう一つは、野田芳朗先生の発言であった。
 効率化へと進む中で、選択できる自由を説き、自ら手書きにこだわる、その精神に強く心を揺さぶられた。