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立ち位置を明示して語る

2012年01月08日 | 読書
 『「教育」の常識・非常識』(安彦忠彦 学文社)

 この題名だけをみると,細かい教育法規のことや世間一般に蔓延っている教育界ネタのことが話題になっているのでは,と想像する人がいるかもしれない。

 しかし,この著は副題に掲げられているそこから斬りこまれている。

 公教育と私教育をめぐって

 この副題の「公教育」は公立学校の教育,「私教育」は私立学校の教育という区分ではない。
 著者は大まかに,「公教育」を私立も含む学校教育とし,「私教育」をそれ以外の教育つまり家庭,地域,そして塾,予備校,企業内等における教育とした解釈にそって論じている。

 「まえがき」にこう述べられている。

 「公教育」も「私教育」も含めた「教育全体」は,よくなってきたと言えるのでしょうか。結論を先取りして言えば,答えは,Noです。その理由と,「私教育」再生の必要性やそのための方向・方策を考えて,読者の皆さんに示したのが,本書です。

 「教育」もまた国民総評論家のような状況のなかで常に話題となって,様々な語られかたをしている。そしてかなり以前から百花繚乱の様相を見せながら,特に「学校教育」は政治の力学が働くなかで,ある方向へ流れているのは事実だろう。

 まさにその渦中にいる自分にとって,この本が示してくれたものは,学校の役割や仕事を整理して考えていくためにかなり参考になるし,この後もまたページをめくることと思う。
 そういえば,かつて著者が記した『新学力観と基礎学力』も,私にとってはインパクトが強かった。

 「公教育」と「私教育」の異同,地域社会から教育機能が失われた責任,個々の成長・発達と社会全体の関わり等々,今まで考えたことはあったが,明快に論が展開されていて,頭に入ってくる。

 そして著者は自分の立場や主義を明確にしてその考えを述べており,それは一方で現在の教育界において積極的に発言している方々に立ち位置の明示を迫っているようにも感じる。この点においては今までに読んだことのない書籍とも言える。

 思想的背景の理解は簡単ではないのかもしれないが,教育を論ずる者は現状への対応だけではなく,未来のビジョン,理想とする社会像を明らかにすることは必須だし,読者,受け手としてもその部分をもっと探る見方が必要ではないか,そんなことを考えさせられた。

 この著のキーワードはいくつかあるが,個人的には「社会的信用」が心に響く。
 「公教育」で責任を負う多くの事柄を,仮にある一つの言葉に置き換えようとしたとき,「信用」はかなり有力な候補になると思う。

 信用されるために必要なこと,それを数え上げていけば学校の役割もまた見えてくるのではないか。