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パフォーマーへの道のり

2012年01月26日 | 読書
 『教師のためのパフォーマンス術』(上條晴夫 金子書房)

 上條先生と金子書房の組み合わせ,面白いだろうと思って手に取った。教育現場のパフォーマンスに関わってかなり濃厚にまとめられている。
 これは単なる感想でなく,じっくりと読みこみたい,つまり自分の考えと照らし合わせてみたいという気にさせられた。
 断続的になるだろうが,少しずつ進めていきたい。

 まず「はじめに」に書かれている「※(注)」が気になった。
 パフォーマンスと言う語が佐藤綾子氏によって商標登録されている件である。佐藤氏の著作はいくつか読んでいる。大雑把に「自己表現」的なとらえでいいと思ったのだが,語意から確かめていった方がいいようだ。


 パフォーマンスという語を,ふだん私たちはどんなふうに使っているか。

 スポーツや芸能的な場面での良いプレイや演技などを指したり,また政治家などのややスタンドプレー的な意味合いでも使ったりしている。またPCの能力という使い方もある。

 コーチングのサイトにも,いろいろな分野での使い方があるとされていたが,教育という面に一番近いのは「指導・育成」だなとすぐ見つけることができた。
 
 そこには「分野」「プロセス&プログレス(進み具合)」と「結果」が表にされており,次のように記されていた。指導・育成の項目は,以下のことばが並んでいる。

 やる気と潜在能力の引き出し

 高業績,高成果


 これをもとに「パフォーマンス」を解くと,「(対象の)やる気と潜在能力を引き出しながら,(目的に応じた)高業績,高成果を出す」ことが,その役割だとわかる。明確でわかりやすい。

 佐藤綾子氏の講演記録をまとめたサイトがあり,そこにはパフォーマンスの定義がしっかりと記されていた。

 「日常生活における個の善性表現」つまり「個々人の善いところを適切に表現する」

 これもすっきりしている。
 この二つから導き出される,教育の場でのパフォーマンスは以下のようにまとめてもよいのではないか。

 教師が自分の善いところを表現しながら,子どものやる気と能力を引き出し,知・徳・体の力を高めてやること

 きわめて一般的な結論である。
 表現上はやや「攻め」に軸足をおいているなあ。これを逆にして,ちょっと砕いてみるとこんな表現になろうか。

 子どもの発するマイナスやプラスの言動,気配を読みとり,それに合わせて,教師が自分の得意や個性を生かした表現をすることで,子どもの向上を促すこと

 「受け」に軸足をおくとこんな感じだろうか。

 しかし「攻め」であっても「受け」であっても,パフォーマンスを,パフォーマーとオーディエンスという考え方にすれば,これは即興演劇と比喩してもいいだろう。
 その時パフォーマーたる教師がどういう意識で臨むかが大きな鍵であることは間違いない。

 つまり,到着地点を決めておくか,さらにルートまで決めておくか,それとも,方向のみ定めて,到着地点にこだわらないのか…

 まさか,方向も決めずにその場に立つ人はいないと思うが,その方向づけの意識にしたって,ずいぶん落差があるのではないか。

 ありゃありゃ,パフォーマンス術から離れそうになってきた。